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渡辺温が書いたと思われる物/新青年昭和3年2月号より

新青年昭和3年2月号が届いた。
此の頃の新青年は編集長が横溝正史で編集補佐が渡辺温である。

新青年昭和3年2月号

無記名の文章で渡辺温が手がけたのではないかな、と思う物があったので備忘録として此処に貼り付けておく。


うしろにデータ起こしした物を掲載しておきます。

まずは扉のページ。此の頃の扉の担当は、渡辺温と水谷準がやっていたと、新青年昭和60年号で語られて居た筈。
僕は当初、総て渡辺温に拠るものかと思って居たけど、森下・横溝時代にも同じ企画をして居たことを知り、それなら横溝・渡辺の手に拠る物かと思って居た。というのはどうしても温の色を感じざるを得ない物が幾つかあったからだ。
とはいえ總てを温に拠るものだと仮定しても「今月は何時もと調子が違うなあ。テンションが低いのかな?」等思う物があった。思えば渡辺温っぽくないそれが、水谷準に拠るものなのかも知れない。
此の2月号の扉は渡辺/水谷の2分の1の確率だとすれば、僕は此れは渡辺温の作品ではないかと考える。

定 義 七 つ
速力とは——警官によりて自動車を停止せしめられ、且つ手帳に記入せらるる事なり。
×
騎士とは——婦人の面前に於て、ある対手に向かって手袋を投げつける人間の事なり。
×
粗忽とは——吸いさしの葉巻を窓より投げ棄てる代りに、自ら窓より身投げする事なり。
×
音楽とは——我は聾者には非ずとの証明をなす術なり。
×
悲哀とは——大いに小便を催してW・Cの見当たらぬ街を歩み、且つ水道より滔々として水の流るゝを見る事なり
×
聖人とは——聖きうちに死んでしまうことなり。
×
芸術とは——人間なるが故に極めて高尚なる感激を起さしむる方法の事なり。

新青年昭和3年2月号/扉

皆さんにも読んで欲しいので文字データに起こした。
ざっと読むと個人的には渡辺温の空気を感じる。批判精神と皮肉とナンセンス的なユーモアと何処かヒリヒリする感じ。個人的には行間にある物が可哀相な姉に近いなあと思う……が、そこは人それぞれ感じ方が違う部分だと思うので、もう少しだけ「此処が温ぽい」と云う話をしよう。

悲哀とは——大いに小便を催してW・Cの見当たらぬ街を歩み、且つ水道より滔々として水の流るゝを見る事なり

僕は温の真似をして銀座—赤坂見附間を散歩した時に、途中でトイレに行きたくなって酷く困った、という事がある。その時に「散歩好きだった温は途中でトイレに行きたくて困った事はないのだろうか?」と云う事を思った。当時はコンビニも無くトイレも借りられないだろうし、銀座の方ならまだしも、永田町や赤坂見附あたりは官公庁の建物が多く現在でも店が余り見当たらない。
此の「悲哀」の文章は、僕にその時の体験を想起させた。それ故に此れはひょっとして、渡辺温が散歩をして居た時の実体験ではないのかな?と思う。

他には「聾者」を出す所は可哀相な姉との共通点。
当時の聾唖者が社会の中でどのような位置付けにあったのか、僕は不勉強故に知らない。けれど、可哀相な姉で聾唖者が登場するのは渡辺温作品にしては珍しい。自分の身の回りに在る物を設定やモチーフに使う事が多い渡辺温、そして聾唖者の姉の人物像は僕は身近にモデルが居たのではないかと僕は感じている。例えば、苦労して居る人が多かった深川・猿江など。障害と貧困の中で、頑固な性質になって仕舞った人が居て、幼い頃にそういう人を見ていたのではないかなと。そんな事を想像した。
可哀相な姉とのリンク、という事しか明確な共通点はないけれど、聾唖者が温の引き出しの中に明確に存在して居たのではないかと思う。

他「騎士」は大学時代に温が「愁い顔の騎士」と自称していたと云う話とのリンク。

芸術」に関しても、温はこの言葉への思いが強く「芸術」と云う言葉を用いて周囲と自分の表現活動について語って居た樣だった。及川道子の夢の中の渡辺温は「芸術」と言う言葉を使い、啓助さんの夢想の中でも「芸術」という言葉を使って居たように思う(うろ覚えでごめん)。温の創作活動については「芸術」と云わず「文学」や「表現」であっても意味はそう変わらない筈だけど、そこで此の言葉を好んで使っていたのが、温という人間だったのだと思う。

ざっくり第一印象だけでもこんな感じで、渡辺温の要素が可なり強いなあと思う。
もう少し文体や物の見方を読み深めたり、或いは水谷準の作風との比較をすればまた改めて見えて来る物が在るかもしれない。

それにしてもこの言葉を渡辺温が書いていたとすれば、何と皮肉な事であろうか。

聖人とは——聖きうちに死んでしまうことなり。

啓助さんが云うように、温は早くに死んでしまって「うまいことやったなあ」感は確かにあると思う。
彼はその早逝を以て浪漫趣味者の人生を物語のように永遠のきらめきで以て彩って仕舞ったのだから。

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新青年昭3年2月号、春季増刊号の広告より

『新青年』が毎号売切になってしまうこの勢いは極めて自然であると思います。我々の時代の靑年は誰でもみんな冒険好きで、新しがりやで詩人で少しばかり出鱈目な生れつきを持ち合わせているのだから、つまりめいめいが『新青年』と同じ国籍を有しているわけです。故郷を愛するが如く『新青年』を愛して下さい。

↑皆さんに読んで欲しいので文字データ起こしをしました②
此れは文章の癖や空気、手触り等が温だなあと思って引っ掛かったんだけど、読めば読むほど渡辺温でしかなかった。

我々の時代の青年は誰でもみんな冒険好きで、新しがりやで詩人で少しばかり出鱈目な生れつきを持ち合わせているのだから、

冒険好き新しがりや詩人少しばかり出鱈目な生まれつき」って「我々の時代の靑年みんな」ではなく、これは渡辺温の自己紹介じゃないかと思った。笑 渡辺温の特徴そのものだ。人柄は正確な處は分からないとしても、作品や新青年での仕事ぶりには此の要素を十分に感じられるだろう。

しかしそう考えると温は自分のような青年たちが新青年を喜んで読んで居るのだと思って居たのだろうし、それ故に自分が喜ぶ誌面を作れば読者も喜ぶと云う思いで居たから、のびのびと自分のセンスと面白さを存分に発揮出来たのだろう。

つまりめいめいが『新青年』と同じ国籍を有しているわけです。故郷を愛するが如く『新青年』を愛して下さい。

此れを読みながら僕はハッとした。それは自分が20歳の頃に考えて居た事と殆ど同じだったからだ。僕は沖縄で7歳まで育ち、21歳まで岐阜で過ごし、親類全員先祖代々沖縄だし家庭の中は沖縄だったけど、知識としては岐阜の方が多く言葉もすっかり岐阜に染まって居て、どちらが故郷とも言い難く、自分には故郷が無くて根無し草のような氣持ちで居た。
渡辺温の育ちも僕と似て居る。温の両親は秋田の人だが、温が産まれたのは北海道。幼少期に東京の下町、深川猿江で過ごして小5くらいに茨城県日立市へ引っ越し。その後大学時代以降は東京で暮らしている。人には「海の上で生まれたから故郷がないんだ」と云う事を言って居たそう(城昌幸さんへ云った話だったと思う)。
温は「故郷は何処?」と云う話になると、何と云っていいのか理解らなくて困ってたんじゃないのかなと思う。生まれは北海道だが、家族は誰も北海道の人間じゃない。物心ついてからは東京に居たから、地元として最も親しみがあったのは東京では? と思うけど、その後は日立に引っ越したし実家や親類が居る訳でもない。親は秋田だけど秋田で暮らしたことはなく「海の上で生まれた」と云うのが本人の心情として一番しっくり来たのではないのかなと思う。
沖縄と岐阜、どちらも故郷と言い難い僕は、大人になって東京に住む事にした。東京で感じた事は、東京は余所者の集まりで、特に僕が住んでいた中野・高円寺辺りは他県から来た人が多い街だったと思う。出会った人で地元の人だと云う人は殆ど居なかった。
僕は東京が今まで住んだどの場所より居心地が良く感じた。此の町に居る人たちは皆、何処か似ている處があって僕は魂が「中野」の人たちが此の町に集まっているのだと思った。それ故に僕はこの街が自分の”故郷”のように居心地好く感じるのだと思った。
魂の形で居場所を決めるのなら僕の故郷は中野だし、地縁や血縁ではなく魂の形で故郷を決めて仕舞うのも好いのでは無いか、と考えて居た。

つまりめいめいが『新青年』と同じ国籍を有しているわけです。

この言葉は僕が中央線で暮らし始めたときに感じた事と同じだった。
そしてその後に続く言葉。

故郷を愛するが如く『新青年』を愛して下さい。

故郷という概念を「新青年」に当て嵌めて居るところ。
僕は自分が根無し草故に辿り着いた感覚と同じ事を言っているこの文章の主は、僕以上に「故郷」と言える場所が無かった渡辺温なのではないかなあと考える。

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新青年昭3年2月号、春季増刊号の広告より

お正月が済んで、窓べには氷の花が咲き、もう骨牌も象棋(チェス)もお倦きになった頃ですが、それでも青年諸君、お嬢さん方と云うものは根が楽しい品質であるし、そこでたった一つ残っている新春の喜びは、古風な、近代的な、或いは荒唐無稽な物語の数々にあふれた新青年新春増刊『探偵傑作集』であると信じます。

こちらも同じ号の同じ広告の文章。
先程の文章が渡辺温であるなら、此れもその可能性があるかなと思った物。
先程よりははっきりと渡辺温! と断言は出来ないけれど、もう一人この文章を担当する可能性があった横溝正史の文章かどうかと言う視点で見ると、横溝正史ならもう少しお客としての読者に向かって宣伝上手な文句を書くような気がする。それに横溝さんという人は何時も文章が上手くて、簡潔に情報を伝えながら情感も含ませると言う樣に、個人的には感じています。
横溝愛好家のお友達が「店先の店主のような言葉が綴られそう」と喩えて居たのだけど、まさにそんな感じだと思う。

古風な、近代的な、或いは荒唐無稽な」

横溝さんならば、此のような羅列の手法はしないような気がするし、

窓べには氷の花が咲きもう骨牌も象棋(チェス)もお倦きになった頃ですが

「氷の花」のくだりは広告にしては詩的で、特に新青年らしい!という訳でもない言葉。そしてこの情景の何処かロマンチックな樣子。そんな邊りに渡辺温っぽさを感じる。

「それでも青年諸君、お嬢さん方と云うものは根が楽しい品質であるし」

詰まり読者の靑年たちに「女の子を喜ばせる爲に新青年の増刊号を買って送ろう」と言ってると云う話なのだろうけど、こういうのもカフェで女の子といちゃついてたり、恐らくモテたであろう(岡戸武平さんの推測)渡辺温らしいなあと感じる。それに温は作品に男女の恋愛を書くことが多いから、外側へ向けてこういった内面を出す作風、としても温らしさを感じた。

それから此処での「品質」の使い方、念のため辞書を引いて調べたけれど、一寸此れは誤用ではないのかなと感じた。女の人の性質を「品質」と評する文脈でもない気がするので。
横溝さんなら言葉の誤用はなさそうだし、その点も込みで渡辺温ではないかな、と僕は思った。

今回はぱっと見で感じた「これ渡辺温が書いたやつじゃね!?」の備忘録でした。
何時かそのうち改めてもう少し自信持って言える根拠が出來たらいいなあと思って居ます。


おしまい。


追記:広告文の横にあった作品紹介の文も渡辺温っぽかったので、その記事もまた改めて書きたいです。

追記2:こういう小さな無記名の文章も出來るだけ拾い集めて、本にしてまとめておきたい。

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