渡辺温愛用の「バガボンドネクタイ」に就いての調査
まえがき
シルクハットに次いで渡辺温のトレードマークとも言える「バガボンドネクタイ」だが、どのような物か調べようとしても情報が全く無い。
しかし今回「バガボンドネクタイ」がどのような物なのか殆ど特定出來たと思われる。
「バガボンドネクタイ」の条件に合うネクタイを見つけ出した、という推定方法になるので100%ではないが、9割は合っているんじゃないかと考えて、僕はバガボンドネクタイに就いての結論を出すことにした。
結論から読みたい方は目次からどうぞ。
順を追いたい方は文頭からどうぞお付き合いください。今回も探偵のような作業でした。
渡辺温は何時もバガボンドネクタイをしていたという話
渡辺温の遺された写真を見ると、普通のネクタイの日もあるしアスコットタイやリボンタイの日など様々なので、実際は何時もバガボンドネクタイをしていた訳ではないだろうが、このタイを締めた温の姿は印象的だったのか回想録にはバガボンドネクタイの話が登場する。
僕と会ふのはそれが三度目だつたと思ふが、茶色のチヨツキに背広を着て、黒いヷガボンドネクタイを結び、髪を長く伸ばしてゐる姿はいつにも変らぬ渡辺君であつた。
温が谷﨑邸を訪れた3回の内訳は、1・昭和2年頃に辻潤と共に 2・昭和4年11月頃に一人で 3・此の昭和5年2月。
「いつにも変わらぬ」と谷崎が書いて居ることから、谷崎の前では毎回ヷガボンドネクタイを結んでいたのではないかと思われる。
叔母が温の姿を最後に見たのは、事故死をとげる一年前のことだった。ツイードの上下、バガボンドネクタイをしめ黒い帽子をかぶり(中略)帰っていった後ろ姿が温を見た最後だった。
※渡辺東さんは温の姪に当たる人。叔母は温の妹のこと。
事故死を遂げる1年前=昭和4年2月。「帰って行った」というのは東京へ帰ったということであり、このバガボンドネクタイ姿を見掛けたのは茨城県日立市の実家ということになる。
温のファッションに就いての言及は「シルクハットにモーニング」と「山高帽」の話が多いが、ネクタイに関する話は「バガボンドネクタイ」以外では見掛けない。

それでは温の肖像写真で締めているリボンタイの事を此の当時は「バガボンドネクタイ」とも呼んだのだろうか?
オング君は、一昔前と変わらぬリボンをネクタイに結んだ懐かしい姿で
渡辺温は自分をモデルにした人物をこう描写している。「リボン」をネクタイに結んだと「リボン」という言葉を明確に使って居るので、此れは肖像写真のリボンタイの事を指しているのではないかと考えた。バガボンドネクタイなら「リボンをネクタイに結んだ」とは書かず「バガボンドネクタイ」と書くのではないのかなあと僕は考えた。
欧米の資料
主に1930年代の紳士の服飾に非常に詳しい方に、X上でお願いしてお持ちの資料を確認していただいた。然し、欧米の資料には「vagabond」というネクタイは無かったとのこと。服飾辞典のようなものを調べて頂いたと言うお話だったが見つからなかったそう。
バガボンドネクタイの条件
以上を踏まえてバガボンドネクタイの条件を考える。
・少なくとも1928年(昭和3年)の時点で存在している物。
・谷崎潤一郎(当時44歳)(既に文豪)(神戸在住)という人が、随筆作品の中で使う言葉なので、一般的に浸透している言葉ではないか。
・渡辺温の妹(茨城県在住、10代後半〜20代前半だと思われる)でも知って居る言葉、物。ひょっとしたら温に教えられたのかもしれないけれど、後に思い出として自分の言葉で語っている感じがするので、常識として知って居たのではないかと判断した。
・欧米の呼び方ではない。日本ローカルの名称。
此れ等の事を考えて、国会図書館デジタルコレクションで「ヴァガボンドネクタイ」で検索をした。※因みに「ヷガボンド」表記は0件だった。
谷﨑が「ヷ」と書いていた爲、てっきり「ヴァガボンド」表記だと思っていたが当時は「バガボンド」が一般的な表記らしかった。
検索の結果、出て來た「バガンボンドネクタイ」の文章が、昭和6年、獅子文六による物だった。
藝術家モンマルトル——。
それは随分昔のことだ。畫家と云へば廣縁の帽子をかぶりバガボンドネクタイを結び、文士と云へばアブサンに醉拂つた時代のことだ。
(中略)
しかしその頃の藝術家キヤフエ「黑猫」は雜誌「巴里生活」を産み、やがてアントワヌの自由劇場を生んだ
詰まりバガボンドネクタイは19世紀末頃にフランス・パリの画家たちがしていたネクタイということになる。参考になる文章はこれだけで、他は谷﨑潤一郎の作品「鮫人」の中で登場人物がしているという描写のみだった。
ところで僕その時のイデタチは、白の背廣服に眞黑のバカボンドネクタイ、同じく眞黑のソフトといふ、誰が見ても先ず繪カキと見える保護色を呈し
昭和5年10月の「美術新論」より。この頃もバカボンドネクタイと云えば画家という事が見える。(※こちらは図版研様より「バカボンド」という表記揺れがあると言う事で教えていただいた資料です)
昭和2年頃に於ける「バガボンド」という言葉
大正14年4月発行の「英語から生れた現代語の辭典」にバガボンドの項がある。
意味は「無宿者。浮浪者。」との事。例文『あの男はバガボンドだ。』
<英文大阪毎日學習號編輯局 編『英語から生れた現代語の辭典』,大阪出版社,1925.4.)>
それ以外にもカフェのルポ、映画のコラム、詩、文学作品等、形容詞として「バガボンド」は一般的に使われているような様子だった。
浸透度は今で言うなら「チル」とか「モチベーション」位の感じだろうか。兎に角多くの人が知ってる言葉という雰囲気だった。
そしてバガボンド・スカーフなるものも見付けた。
バガボンド・スカーフ(乞食の肩掛け)は其名の示すが如く外見には無関心なる乞食或は漂流者が自由に無雑作に肩掛けを肩に引っ掛け又は首に巻き付けたが如き体裁を現わすを以て其主眼とするものである。色や模樣とりどりの肩掛けを乞食の如く無関心なるが如く装いつつ無雑作らしく肩に引っ掛けながらも、実は文化人のスタイル動作に最新なる注意を払うところに一つの洗練味があるのであろう。
ここで「バガボンド」が意味するものは「外見には無関心なる乞食或は漂流者が自由に無雑作に」辺りなので、ファッション用語として「バガボンド」が使われる時は「無造作」「自由」「(身だしなみに)無関心」こういった意味を含むと考えられる。
バガボンドネクタイ・中間まとめ
・19世紀末にフランスの画家がしていたネクタイ
・1920年代の日本で広く知られていたネクタイ
・昭和5年の日本でも画家といえばバガボンドネクタイ。
・欧米の名称ではなく日本ローカルの名称
・”浮浪者”のように無造作で自由な雰囲気
検索ワードを少し変えてみた。
昨年辺りに此の辺りまで調べたものの、手詰まりを感じてその儘にしていた。然し木曜頃に図版研様にお声がけ頂き、このタイに就いて情報を伝えようと改めて検索する中で、僕は「バガボンドネクタイ」の真実に辿り着いて仕舞った。
国会図書館デジタルコレクションでは、and検索をした時だけ出る資料や、その言葉が含まれていても別の言葉で検索した時にしか出ない資料など、少し不思議な挙動がある。その事を思い出した僕は<バガボンド+タイ>など、以前検索して居なかった言葉で検索してみた。
ボヘミアン・タイに関する文章を見付けた。
その結果、昭和7年に刊行された大田黒元雄の『大西洋そのほか』と云う本に辿り着いた。
この本の中に出てくる「バガボンド」はコンサートの話の中で、ネクタイの話ではなかったが、別の項目に「ネクタイ談義」というネクタイのことを詳細に語って居る文章があり、当時の人たちがどのようにネクタイの種類を認知していたのか、それを知る事で消去法的にバガボンドネクタイが見えてくるかもしれないと思い、何となく読み進めていた。アスコット、クラバット等様々なネクタイの話を見て居るうちに、これだ! という物に僕は突き当たった。
十五六年前の東京にはパリの芸術家を真似てボヘミアン・タイと呼ばれるものをしている青年が大勢いた。しかもそういう連中は多くは長髪の持主であった。これは独り芸術家志望の青年だけではなくて、或る年の夏、日光で見掛けた牛乳配達のごときは、上着なしで白い折襟のシャツに兵児帯のようなネクタイを結んで長髪を風になびかせながら自転車を走らせていた。
ボヘミアン・タイが長髪と共にすたったのは面白い事実である。これは日本だけの現象ではなくて、今日ではフランスの画家なども、既に一家を成した大人たちは、皆通常の服装をしている。
バガボンドネクタイの説明と同じじゃないか。
ボヘミアン・タイとバガボンドネクタイの比較
パリの芸術家がしていたものと同じ →バガボンドネクタイと同じ
15,6年前=1917年頃(大正6年頃) →1928年以前に存在している、バガボンドネクタイと同じ
長髪の青年がしていた →渡辺温の髪型と同じ
芸術家志望の青年に多かった →渡辺温と同じ
ボヘミアンの意味=生活放浪者(外来新語辞典,博多成象堂,昭和7より)
バガボンドの意味=無宿者。浮浪者
両者の言葉の意味は非常に近い。
バガボンドタイの条件を満たす上に、バガボンドタイをしていた渡辺温の髪型とも一致している。偶然かもしれないが、仮にヴバガボンド・タイがボヘミアン・タイだったとして、コーディネートやスタイルとしても無理がなく決まって居るという印象になるだろう。
温のバガボンドネクタイのスタイルは、個性的だけど自然に着こなしてすごく似合っていたんじゃないんだろうか、と谷﨑や妹の書きぶりにそう感じる。故に、統一感のあるコーディネートだと推測する時に此のボヘミアンタイの記述がしっくり当てはまると思う。
辞典による定義
昭和7年の外来語辞典によると「ボヘミアンネクタイ」はこうである。
・ボヘミアンネクタイ 大きな「リボン」を蝶結びにして前に垂らしておくもの
.https://dl.ndl.go.jp/pid/1109868 (参照 2025-10-03)
昭和2年1月(※昭和2年1月発行なので、実際は大正15年に書かれた文章)の敎科書にボヘミアンタイの作り方が掲載されてあった。それによるとボヘミアンタイとはこういう物らしい。
又ボヘミアン・タイ(Bohemian-tie)と称して長さ約45吋、幅約6吋位の薄絹にて作られ、襟元で普通の両膝折結にしてフックリと大きく、ワイシャツも見えない位にして使用せられるものがある。こは多く若い美術家間に愛用せられる。
また、Wikipediaのネクタイの項にはこんな説明があった。
ボヘミアンタイ - チェコスロバキアに住むボヘミアン人が使用したのが始まり。ボヘミアンには自由放縦な生活をする人という意味があり、日本では 明治、大正時代の文士や芸術家に愛用された。
ボヘミアンタイは別名「ラヴァリエール」
ボヘミアン・タイとは?
「自由人たちのネクタイ」の意味で、ラバリエールの異称とされる。蝶のような形を特徴とする大型のネックウエアで、ベル・エポックのパリの芸術家が15㎝ほどの幅の薄い黒絹を蝶形にあしらって、その両端を垂らして飾ったのが原型とされる。リボン・タイをこうよぶこともある。
この「派遣ナビ」の出典元が無いため、どこまで信じていいのか解らないが「自由人たちのネクタイ」を意味するのなら「バガボンドタイ」とも意味が近いと感じる。
「ラヴァリエール」。ラヴァリエールは、スカーフ状の大きなネクタイ。日本でボヘミアン・タイというのにも似ています。
「ラヴァリエール」lavallièreは、日本で言うところのボヘミアン・タイのことです。日本でも明治末期から大正時代にかけてずいぶんと流行ったものであります。
その昔、ルイ十四世の愛した姫「ラ・ヴァリエール」が好んだ結び方なので、その名前があります。
どなたかもう一度ラヴァリエールを復活させて頂けませんでしょうか。
ボヘミアン・タイは別名「ラヴァリエール」と呼ぶのだそう。検索でボヘミアン・タイの画像が出て来なかった為、「ラヴァリエール」を検索することにした。
イラストによる説明で解りやすいが、矢張り1920年代頃の実物を見ないと「これが渡辺温がしていたと思われるもの」とは言いがたい。ネクタイにしろ時代によって太さやデザインが多少変わっているので、あの頃のラヴァリエールを見たいと思った。
また、アスコットタイを蝶結び、ラバリエールにアレンジする方法の動画を見付けた。この事から「ラバリエール」はこういう仕上がりになるのだと想像出来るし、もうこれで殆どゴールだとも思ったが、しかしこれは「アスコットタイ」のアレンジであって、100%ラバリエール(ボヘミアンタイ)ではないため、もう少し調べて見る事にした。
Pussy Bow
ラバリエールは日本ではメジャーではないのかもしれないと思い、僕は「Lavalliere」で検索をした。すると海外のWikipediaに行き当たった。
詰まりラヴァリエールの別名が「pussy bow」という話だった。
Google翻訳に掛けるとこういう話だった。
ラヴァリエールは、プッシーキャット・ボウ、プッシーボウとも呼ばれ[1]、女性や少女のブラウスやボディスに着用されるネックウェアの一種です。首に結ぶリボンで、「プッシーキャット」に付けられるリボンに似ていることから、この名が付けられました。
ラヴァリエールは、19世紀フランスで広く着用されていた蝶ネクタイに似たクラバットの一種です。蝶ネクタイに似たスタイルですが、結び目が大きく、両端が垂れ下がっています。長さは最大1.6メートル(5.2フィート)で、蝶ネクタイと同じように結びますが、2つの垂れ下がる貝殻と2つの自由なリボンを形成します。この名称は、ラ・ヴァリエール公爵夫人(ルイ14世の愛妾)に由来しています。19世紀フランスでは、主に女性、芸術家、学生、そして政治的に左派と関係のある知識人によって着用されていました。
今回は「プッシーボウ」がラバリエールを指すと言う事、またこの文中の「ラバリエール」が僕の思って居るラバリーエルと同じ物、と言うことが確認出来れば良かったし、他で読んだラバリエールの説明とそう変わらないので、此の翻訳はまあまあ正しいものだと信じる事にした。
一旦整理する
バガボンドタイ≒ボヘミアン・タイ
ボヘミアンタイ=ラヴァリエール=pussy bow
つまりpussy bow≒バガボンドタイ と云う訳で、pussy bowの画像を見れば、バガボンドタイがどのような物か解るという事になる。

pussybowを調べると大体みんな此樣な感じであった。pussybowはラヴァリエール、ボヘミアンタイが現代のレディースファッション風にアレンジされた物らしかった。「ラヴァリエール」はレディース向けでは華やかに大ぶりになっているのかもしれない。
pussy bowはレディース向けのファッション用語だと言う事を悟ったので、これ以上の情報はないと考えた。
ボヘミアン・タイの写真を探す
此処で再び国会図書館デジタルコレクションで「ボヘミアン・タイ」を検索する。画像を見れば解決する!という思いが強すぎて、GoogleやPinterestばかり探していたので、戻ってみることにした。そもそも戦前のファッション記事には写真や画像が少ないので、写真が見られることを基本的に全然期待していなかったのだった。
すると「日本ネクタイ史」にこんな写真と記述があった。

ここにハッキリと鈴木三重吉の写真があるので此れを結論としても良いのだが、此の写真のボヘミアンタイは他の説明と違い、ボリューム感が少ない気がする。此れが一般的なボヘミアンタイなのか、鈴木三重吉特有の着こなしなのかを調べる必要がある。又、この資料のみだと、渡辺温の肖像写真のリボンタイが「バガボンドタイ」と呼ばれて居た可能性が拭えない。
今回の調査目的は「渡辺温がしていたバガボンドネクタイとはどんな物だったのか」なので、温が何時も着用していた物を突き止めなくてはならない。
なので、もう少し検索してみることにした。
萩原朔太郎らが愛用していたと言う話。
またこちらのサイトで、ボヘミアンタイに就いての言及を見付けた。
一部の若い男性の間で、1920(大正9)年前後に流行したゆるやかなボヘミアン・タイは、セーラー服のタイにちかいものだ。永井荷風や萩原朔太郎、鈴木三重吉など、洋行帰りの文人、詩人たちのイメージがそれにむすびつく。
1920年前後であるなら、渡辺温が大学で上京してきた時期と重なるので、それを目にした温がタイを手に入れ、身につけていたとしてもおかしくない。
永井荷風や萩原朔太郎、鈴木三重吉らがボヘミアンタイをしていたという事だろうか、と思った僕はまずこの中で一番大好きな萩原朔太郎とボヘミアンタイを調べる事にした。
ボヘミアンネクタイは幅一五センチ長さ一二○センチほどの布で、胸の前に蝶結びをするものです。ボードレールが愛用したことでしられ、日本ではパリ帰りの画家達がつけていました。また明治末期にフランスから帰国した永井荷風はボヘミアンネクタイで銀座を闊歩して注目を浴びていますし、白秋や萩原朔太郎もこれを愛用していたようです。東京に遊学していた朝鮮人青年達もそれを京城に持ち帰りました。
萩原朔太郎もボヘミアンタイをしていたというのなら、この写真で見られるタイがボヘミアン・タイであろう。これまでに見てきた説明と一致するように感じる。
その後に国会図書館のサイトで検索をしてみたら、鈴木三重吉と永井荷風のボヘミアンタイの姿が出て來た。


三重吉さんのタイは荷風や朔太郎の物と少しデザインが違うように感じる。
また、渡辺温が師事していた小山内薫に就いてこんな記述がある。
(関東大震災後に苦楽を創刊した頃の話)小山内はビアズレイ調を日常生活に持ち込んだように、ボヘミアン・タイを大きく結び、ビロードの服を着て堂々とした風采を放って人目を惹いていた。
黑のビロードの上着に細いボヘミアン・ネクタイを結んだ先生は
(※先生とは小山内薫の事)
築地小劇場の山本安英が、小山内薫が「細いボヘミアン・ネクタイ」をしていたと書いて居る。細いボヘミアンタイとはどのような物だったのだろう。鈴木三重吉のボヘミアンタイが荷風や朔太郎の物に比べて細いから、同じようなものなのか、或いはもっと細いものなのか。
『陶説』(日本陶磁協会 [編](196),日本陶磁協会,1969-07)の直木友次良によると、谷﨑潤一郎は若い頃に真っ赤なボヘミアンタイをしていたとの事。
一口に「ボヘミアン・ネクタイ」と云っても、長さや幅、色など様々な種類があったようだった。
それにしても温を世に送り出した小山内・谷崎共にボヘミアンネクタイを愛用していたとは。特に谷崎は、かつての自分と同じようなタイをしている事もあって温の「ヷガボンドネクタイ」が印象に残ったのかもしれない。
渡辺温が着用しているタイの名前は?
太いもの、細い物、比較的ふんわり感が少ない物など、ボヘミアンネクタイに様々なバリエーションがあったとすれば、渡辺温が肖像写真で着用しているあのリボンタイの事を「バガボンドネクタイ(ボヘミアンネクタイ)」と谷崎や妹が呼んでいた可能性がある。
ボヘミアンネクタイの条件として<初めからリボン結びする事を前提に作られたタイの事>という可能性がある事を考えて(例えば<アスコットタイをリボン結びにした物>とは違うということ)今度は1920年代頃の日本に「リボンタイ」と言う呼び方が存在したのかを調べた。
「リボンタイ」という呼称について
・「リボンタイ」「リボンネクタイ」で国会図書館デジタルコレクションを検索したが0件だった。この時代には「リボンタイ」という名称は全く使われて居ないようだった。
・リボンタイの正式名称は「ウェスタンタイ」と言う。カウボーイらが着けていたタイであることに由来する。「ウェスタンタイ」「western necktie」等々、カタカナ・英語ともに国会図書館デジタルコレクションで検索するも此の時代には無いようだった。
・ただ、西部劇の映画は1920年代に澤山作られたということなので、リボンをネクタイにするというファッションは知られていた可能性があると思う。(※映画の内容と公開状況をちゃんと検証した訳じゃないので、断言は出 来ず申し訳ないです)
ボヘミアンネクタイとリボンタイ的な物の販売状況を調べる
・百貨店などの広告冊子などを簡単に確認したが、ボヘミアンネクタイ自体が掲載されておらず、リボンタイに近いものもなかった。
・「ボヘミアンネクタイ」と「銭」「圓」で検索をし、販売している場所を探そうとしたがこれも全く出なかった。
そもそもみんな、何處でボヘミアンネクタイを手に入れていたのだろう。百貨店などではなく、少しマニア向けの服飾雑貨店などだろうか。或いはオーダーメイドで作ってもらっていたのか。
しかし、「ボヘミアンネクタイを仕立て」での検索は0件だった為、詳細は分からない。一般のネクタイは明治時代から工場生産だったようだ(日本ネクタイ組合連合会 編『日本ネクタイ史』より)
・と、なるとそもそも温はあの写真で身につけているリボンのネクタイを何処でどう手に入れたのだろう? という事に気が附いた。実はウルトラレアな一品だったのだろうか。だから温はあの写真で着けることを選んだのだろうか。(なのに首元でリボンが歪んでしまってるところに、僕は渡辺温という人の愛嬌を感じてしまう)
温のコーディネートから考える
・リボンのネクタイ→モーニング
・バガボンドネクタイ→(昭和4年)茶色のツイードの上下,(昭和5年)茶色の上着、茶色のチョッキ、ワイシャツ、縞模様のズボン。
温はバガボンドネクタイの時は茶色のスーツに合わせているようだった。もしかしたらこの頃のお気に入りで(※茶色のツイードは昭和三、四年頃の流行だったらしい)合わせていただけかもしれないけれど。
リボンのネクタイをモーニング用とし、別の「バガボンドネクタイ」をスーツ用と使い分けていた可能性も考えられる。この邊り、当時のコーディネート感覚を掘り下げて調べたら、何かヒントがあるかもしれない。

そういえば谷﨑はヷガボンドネクタイで訪ねて来た温の事を、カリガリ博士のアランに似ている、と書いて居る。アランはふんわりとしたボヘミアンネクタイをしているが、そのことは関係あるのか否か……。
オング君は、一昔前と変わらぬリボンをネクタイに結んだ懐かしい姿で
繰り返しの引用になるけれど……この描写を読むと「バガボンドネクタイ(ボヘミアンネクタイ)と温の写真のリボンのネクタイは、やっぱり別の物ではないかなあと言う気がしてくる。温は割と時代の固有名詞を使う事が多いので、それがボヘミアン(バガボンド)ネクタイなら、そう書くような気がする。
【結論】
・バガボンドネクタイがボヘミアンネクタイの事を指すのであろうことは、大筋判明した。
・渡辺温が着けていた「バガボンドネクタイ」が、ボリュームがある一般的なボヘミアンネクタイなのか、肖像写真で着用していた細いリボンのタイの事なのかは、半々の可能性。
真相は文学者の墓の中
富士霊園の文学者の墓には、渡辺温が事故当日に着用していたネクタイが収められているという。詰まりバガボンドネクタイだ。冨士霊園にある温のバガボンドネクタイを見せてもらうことが叶えば、それがどんなネクタイだったのか判明する。
ダメ元で書いておきますが、文学者のお墓に納められている渡辺温のネクタイ、どうか見させていただく事はできませんか。関係者の方、何卒ご検討宜しくお願いいたします。
ボヘミアンタイを着用している著名人
又、千田是也の兄に当たる伊藤道郎もボヘミアンタイをしていたと言う事。千田是也は築地小劇場の関係者で、渡辺温とは近い場所に居る人だ。
他にも芥川龍之介、佐藤春夫、等々大正時代の文学者や詩人はボヘミアン・タイをしていた人が非常に多いようであった。
それにしても、谷﨑潤一郎が記録をするような冷静な筆致の「春寒」で、当たり前のようにさらっと「ヷガボンドネクタイ」と書いて居るものだから、一般的な言葉だと思い込んでいたら「ボヘミアンネクタイ」の方が一般的な言葉だったので、此処は自分の見込み違いだったと反省した。
尤も当時は喋り言葉としては「バガボンドネクタイ」を使っていたけど、文章には余り使われてなかったという事かもしれないけれど。
謝辞
今回、再調査の切掛を与えて下さり論考にお付き合い下さった図版研樣、ありがとうございました。補足資料も教えていただき助かりました。
餘談(何も解決していない話)
映画からの影響の可能性を考えて居た。
バガボンドネクタイの手がかりが掴めない中、僕は映画方面から考察をしていた。
渡辺温も好きだったであろうカリガリ博士だが、この登場人物の青年達が普段着としてモーニングを着用している。
他にも温が幼い頃に好きだったという映画「ジゴマ」では登場人物がシルクハットを被っていたりする。
こういう映画を見ていると、温のファッションというのは子供の頃の憧れをやってみたという事でもあったんじゃないか、と思う。

以前からそのように考えていたので、カリガリ博士の登場人物が日常的にモーニングを着ている姿が温と重なり、このオシャレなタイも温は好んだりしなかったのかなあ……と思っていた。自分が渡辺温なら絶対好きだけどな! と思いつつ、こういう話にこの感覚は持ち込むもんじゃないので、本当の事が知りたいなあと思っていた。
長谷川修二の評が知りたかった。
服飾に詳しい家人によるとモーニングとリボンのネクタイの合わせは無い、と言う事で温特有の着こなしなんだと解った。
渡辺温の隣には長谷川修二が居るので、あの知識豊富で毒舌なモダンボーイが、温のファッションに対して好い事も悪いことも何も言わない訳はないだろうし、もし「ボヘミアンタイを着けたい」と言えば入手先も含めて色々アドバイスするだろう。まあ……詰まり、温のバガボンドネクタイやあのリボンのネクタイは長谷川修二の目が有ったで上がってきたファッションなんだよなあと思う。特に最後のバガボンドタイの谷﨑邸では隣に修二が居たわけで。
前世に理解ある家人の話
僕の前の人生の話に理解ある家人が「君の感覚として、そのふんわりしたタイが大好きだと言う事なら、前世の渡辺温だった頃にはそれが手に入らず、仕方なくあの細身のリボンをして居た。だから今、このふんわりしたタイがお気に入りなんじゃないのか?」と言った。
温の事に限らず、前世関連の表れとしてそういう事って結構ある。叶わなかったからこその執着。
もしそう言う事なら、ふんわりしたボヘミアンタイが温の青春時代に手に入ったのかどうか。それを調べる必要があると思った。
此れは流行としては大正初期の物だったらしいので、温が慶應に入り上京した時には「一寸前に流行ってたあのボヘミアンタイ、最近全然見ない!何処に売ってるの!?」となった可能性もなくはないかもしれない。そうしてやっと手に入れたのが、あの細身のリボンタイだった……とか?。まあ、僕の感覚が正しくて本当に渡辺温が前の人生ならばその可能性はなきにしもあらずかも。
結局やっぱり決定的な資料がこれ以上見つからないので、何とも解らないのであった。
何卒、文学者の墓に眠る温のネクタイを見せていただくことは出来ませんかね。そしたら総て解決です。
おしまい。
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