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横溝正史の友人関係

宝石昭和37年3月号に掲載されて居た横溝正史のインタビューより。

横溝は友人を問われ、水谷準、乾信一郎、長谷川修二、岩崎昶、宮田新八郎と答えている。
長谷川、岩崎、宮田は渡辺温繋がりではないだろうか。色々な人と関わりがある中で、この5人とは距離感が近かったんだなと思う。
江戸川乱歩、西田政治も親交が深かったんじゃないかと思うけど、この二人は別格ということだろうか。本位田準一も付き合いが長かったと思うけど、この五人が特にやりとりをして居た仲だったということなのだろうか。

乾信一郎に関しては本人が「新青年の頃」で頻繁に手紙のやりとりをして居て、親しくしていたことを書いている。乾が渡辺温の後任として新青年に入った後は、横溝・水谷準と共によく銀座に飲みに行ったようで、お酒の方も渡辺温の後任になったようだった。尤も乾は酒が飲めない体質で、付き合うのに苦労したり二人の介抱をよくしていたという話だけど。

閑話休題、横溝が名を挙げた5人は乾以外は全員渡辺温とも友達である。乾信一郎だって渡辺温の後任として入ってきたのだから、縁がないわけじゃない。彼らの繋がりは乾以外は大正15年頃からのものになる。
この密な人間関係を相関図にしてみた。多分この相関図を作ったのは僕が初めてではないのかなと思うので、屹度貴重なものだと自負しております。(修二や宮田の入った相関図は誰も作ってないでしょう…?という事で)

ちょっとだけがんばりました。

黄色が銀座のバー・サイセリアに行っていたメンバーで、赤が及川道子の父の店、喫茶オアシスに行っていたメンバー。
緑色は府立一中なのだが、これは岩崎昶と長谷川修二。二人は同級生で此の頃からずっと仲が良かったらしい。この二人の関係は、長谷川修二の弟分であった清水俊二の「映画字幕五十年」に書いてある。
また、岩崎が喫茶オアシスに通っていた話は、岩崎自身の自伝に書いてある。岩崎は道子の父と話すのが楽しくて通って居たとの事。この店には、渡辺温の兄の啓助、広瀬将(啓助と温の友人で、新青年にも小説やシナリオを多数寄稿)、辻潤、和田精なども通って居る。

それから渡辺温の七回忌には宮田、岩崎、長谷川、横溝、水谷も参列している。
とにかくこの界隈は、学生時代からの繋がりがあったり、同じバーに行っていたり、新青年を作ったり寄稿していたりなど縁が深い。

思えば横溝正史は宮田新八郎と一緒に撮った写真があるし、横溝正史追悼集では妻の孝子さんによる長谷川修二や岩崎昶と親しかったという言及がある。(岩崎は横溝の3ヶ月半前に亡くなり、横溝は病院のベッドの上でその報を知ったという/横溝正史追悼集、横溝孝子)

それから同誌、横溝正史追悼集の年表によると
大正十五年(中略)十月から「新青年」の編集に従う。牛込神楽館に下宿し、宮田新八郎、水谷準、本位田準一、渡辺温、長谷川修二らと交遊。
とのこと。

この名前の順に意図があるのなら、宮田を最初に識り、温を紹介してもらい、温の親友だった修二とも遊ぶようになったという事ではないかと思う。

で。僕は横溝正史に関しては唯の一般のファンなので、横溝に関する詳細はもっともっと詳しい諸兄にお任せしたいと思って居るのだが、このあたりの件について僕は、長谷川修二、渡辺温の友達としての横溝正史という観点で調べて居る。昭和4、5年の彼らの空気がどのようなものであったのか。長谷川修二と横溝正史の関係、空気感が分かると昭和2〜5年頃の新青年と渡辺温の捉え方もまた少し変わるように思う。そういったわけで、今後も彼らの交遊を調べ倒していきたいなあと思っています。

何か僕の好きそうな資料の情報等あれば、教えていただければ幸いです。


おしまい。


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