八所御霊神社に祀られる八所御霊神とはーその1
平安時代になると疫病や天災が起きるとその原因が政争に巻き込まれて非業の死を遂げた人の怨霊の仕業と考えられるようになり、それらの人の魂を御霊として祀ることが行われるようになります。最初の御霊会は清和天皇の貞観五年(865)5月20日に平安京の神泉苑で行われ、この時に祀られたのは、崇道天皇(早良親王)▪︎伊予親王▪︎藤原吉子▪︎観察使(藤原仲成)▪︎橘逸勢▪︎文室宮田麻呂で、六所御霊(ろくしょごりょう)と言われ、後に、藤原仲成に変わって藤原広嗣が祀られ、さらに吉備大臣(吉備真備)と火雷神が加わって八所御霊となりました。
八所御霊として祀られる神々のうち、火雷(ほのいかづち)神以外はその前身は人間です。火雷神は当ブログでも書いていますが、京都の上賀茂神社の祭神である別雷神の父神とされます。火雷神が丹塗り矢に化して川上から流れて来たのを玉依姫が拾って飾っておいたところ妊娠して生まれたのが別雷神だと伝えられています。したがって火雷神は怨霊ではありませんが、雷、特に落雷は人を死に至らしめることのある恐ろしい現象であることから、恐怖の対象であり、後に菅原道真が雷となったとされることから火雷神が道真と習合していきます。
吉備大臣は吉備真備(きびのまきび)のことですが、吉備真備は当ブログでは、祇園信仰と関連して、姫路市の広峰神社の創建に関わったとしてそのプロフィールを紹介しています。吉備真備は政治家としては不遇な時代がありましたが、最後は天寿を全うしており、怨霊となるような非業の死を遂げたわけではありません。そういう人物が御霊神として祀られていることについて、ウィキペディアでは、御霊として祀られている神々の和魂(にぎみたま)として認識されている。と書かれています。
崇道天皇(早良親王)については、当ブログでは、下鴨神社の「みあれ祭り」が行われる八瀬の地に関連して崇道神社についての説明の中で紹介しています。崇道天皇、菅原道真、崇徳天皇を三大怨霊と言いますから、怨霊としてのパワーが抜群であったということになります。
貞観五年に初めて行われた御霊会を契機にして、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)と下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)が創祀されました。上御霊神社は上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町(かみごりょうたてまち)495にあり、祭神は崇道天皇•他戸親王▪︎井上大皇后▪︎藤原大夫人▪︎橘大夫▪︎文大夫▪︎火雷神▪︎吉備大臣。下御霊神社は中京区寺町通丸太町下る下御霊前町(しもごりょうまえちょう)にあり、祭神は吉備聖霊▪︎崇道天皇▪︎伊予親王▪︎藤原大夫人▪︎藤大夫▪︎橘大夫▪︎文大夫▪︎火雷天神。火雷天神は神社では諸神の荒魂と解釈しています。吉備聖霊は吉備真備、藤原大夫人は藤原吉子、橘大夫は橘逸勢、藤大夫は藤原広嗣、文大夫は文屋宮田麻呂になります。両御霊神社はいずれも旧府社。下御霊神社は京都御所の産土神です。
