「話せばわかる」ではなく「わかるまで話す」――対話をあきらめないという姿勢
「話せばわかる」という言葉、みなさんもよく口にしていませんか?
どこか安心感のあるフレーズです。
けれど、どれだけ丁寧に話したつもりでも伝わらないときもあります。
噛み合わないまま話が進んでしまうと、心が落ち着かず、妙なざわつきだけが残ります。
そんな経験を重ねるうちに私は、大切なのは“話すこと”ではなく、“分かり合うまで話し続けること”ではないか、と考えるようになりました。
そんな気づきに至った私自身の体験と、そこから見えてきた対話の姿勢について、今日は綴ってみます。
「話せばわかる」の落とし穴――かつての私の体験
以前、スケジュール調整のために相手と連絡を取り合っていたときのことです。当時の私は、まさに「話せばわかる」タイプでした。
こちらの希望に、相手の要望を(憶測で)織り交ぜた折衷案を出したつもりでした。けれど、どうにも噛み合いません。
やり取りを重ねても距離は縮まらず、最後には、「もうあなたの要望に合わせます。条件を教えてください」と、半ば投げやりに言ってしまったのです。
すると、出来上がったスケジュールは完全に相手中心のもので、私の希望は一切反映されませんでした。
その瞬間に押し寄せたのは、伝わらないもどかしさ、分かってもらえなかった悔しさ、そして、どこか自分が置き去りにされたようなざわざわした気持ちでした。
今振り返ると、私は「伝えたつもり」になっていただけで、本当の意味で“対話”をしていなかったのだと思います。
「わかるまで話す」へ――最近の経験で見えた変化
時が経ち、最近また同じようにスケジュール調整をする場面がありました。ですが今度は、以前の私とは違う行動を取っていたことに気づいたのです。
まずは、こちらの希望をそのままテーブルに乗せます。
そして、相手の意見を丁寧に聞きます。
すると、予想以上に“噛み合わないところ”がいくつも見えてきます。
そこからは、「スケジュールを調整する」という共通目的に立ち返りながら、お互いにどこまで調整できるかを率直に話し合いました。
もちろん相手の都合も尊重したい気持ちはあります。ですが、こちらが一方的に我慢するのでは対等な対話にはなりません。
だから私は、「ここだけはどうしてもお願いしたいところです。力を貸していただけると、とても助かります」と、自分の願いを丁寧に伝えました。
その結果、双方が納得できる形で合意形成でき、スケジュールそのものにも前向きな気持ちを持つことができました。以前とまったく違う終わり方でした。
これこそが、「話せばわかる」と「わかるまで話す」の違いなのだと、強く実感したのです。
「わかるまで話す」は、往復するコミュニケーション
「話せばわかる」は、一度伝えれば理解してもらえるという“一方通行”の前提に立っています。
けれど、「わかるまで話す」は往復運動です。
相手はどう受け取ったのか
どこに疑問があるのか
何が引っかかっているのか
どんな言葉なら伝わるのか
相手の反応を受け取りながら、こちらも言葉を変えたり角度を変えたりします。誤解があれば解消し、理解が重なり合うまで続けることもあります。
それは、理解を押し付けるのではなく、理解を一緒につくっていくコミュニケーションです。
手間はかかります。
摩擦も生まれます。
でも、その先にある“合意”や“納得”は驚くほど深いのです。
手間を惜しまない対話が、関係性の土台になる
効率が求められる時代に、わかるまで話す姿勢は遠回りに見えるかもしれません。
でも、この手間を惜しまない姿勢は、人間関係の土台を豊かにします。
不安や疑問をそのままにしない
誤解のまま進まない
お互いの価値観を尊重する
共通の目的に向けて歩み寄る
こうした空気がある関係性は、安心感を育てます。
「わかるまで話す」というのは、単なる技術ではなく、相手を尊重する姿勢そのものなのだと思います。
おわりに――対話は、未来をともにつくる
対話は、正しさを競う場ではありません。
互いの理解を少しずつ重ねていく、共同作業です。
だからこそ、「話せばわかる」という期待ではなく、「わかるまで話す」という覚悟を持つという「未来をともにつくる姿勢」が必要なのではないでしょうか。
それが関係を深め、仕事を整え、そしてお互いを大切に扱うコミュニケーションへとつながっていくと、私は信じています。
