道徳授業の「ロレンゾの友達」、あなたは最後に何と問いかけていますか?
「アの立場・イの立場・ウの立場」、分かれた後どうしていますか?
道徳の定番教材「ロレンゾの友達」。20年ぶりに帰郷する友人ロレンゾに、よからぬ噂がかかる。アンドレは何もせず迎えようとし、サバイユはそれとなく確かめようとし、ニコライは真実を問いただそうとする——。
高学年を受け持つ先生なら、一度はこの教材で授業をしたことがあるのではないでしょうか。3人の考えのどれに近いかで教室を「ア」「イ」「ウ」の立場に分け、まず同じ立場の子同士で理由を出し合い、それから他の立場の子と意見を交わす。子どもたちが自分の言葉で語り出す、手応えのある授業になりやすい教材です。
私自身、この授業が好きでした。子どもたちの立場が可視化され、教室が本当に「議論する道徳」の空間になる感覚があったからです。
でも、ある年、ふと気づいてしまったことがあります。この授業、結局のところ「多面的・多角的に考えさせる」という、私たちがすでに知っているやり方の枠を、一歩も出ていないのではないか、と。
実はこの授業、"思いやりの一言"に対立を溶かしていませんか
「ロレンゾの友達」の授業がたどり着く場所は、たいてい決まっています。「相手のことを考え、相手の立場になって関わっていこうとする心情を育てる」。アンドレの立場もニコライの立場も、最後はこの一文の中に溶けていきます。
一見、これは対立を尊重した着地に見えます。しかし、よく考えると、これは対立の中身を検討した結果ではありません。「思いやりを持ちましょう」という、対立が起きる前から用意されていた徳目に、対立を回収しているだけなのです。アンドレとニコライが何を根拠に異なる判断をしたのか、その判断の対立点そのものは、最後には問われないまま終わります。
これは「ロレンゾの友達」に限った話ではありません。「アイウの立場に分かれて話し合う」という技法自体は、実は道徳授業ではごくありふれたものです。多面的・多角的に考えさせる授業は、これまでも数多く実践されてきました。問題は、立場を分けて議論させたあとに、結局は一つの心情・一つの徳目へ収束させることを、私たちがゴールとして疑ってこなかったことにあります。物語の結末で、アンドレ・サバイユ・ニコライの3人が、あの木の下での対立について二度と語らないまま酒場で笑い合うのも、同じ構造です。私たちはこれを「優しさ」と呼んできましたが、実際には対立が消えたのではなく、語られなくなっただけです。
ムフの闘技民主主義——「多面的に考える」で終わらせない
政治哲学者シャンタル・ムフは、民主主義にとって本当に危険なのは対立そのものではなく、対立を一つの合意や徳目に溶かしてしまうことだと論じます。ムフによれば、健全な民主主義の空間とは、意見の異なる相手を「敵」として排除するのでも、話し合いによって差異を消し去るのでもなく、相手を正当な「対抗者」として認め合ったまま、対立を保ち続ける空間です。
ここが、これまでの「多面的・多角的な考え方」を促す道徳授業との決定的な違いです。従来の授業は、立場の違いを一度は開きながらも、最終的には「相手の身になって考えることの大切さ」という一つの価値へと着地させることを、暗黙のゴールにしてきました。ムフの理論を踏まえると、立場を分けること自体はゴールへの通過点ではなく、対立をそのまま保持し続けることこそがゴールになります。アンドレの「信じる」も、ニコライの「確かめる」も、どちらもロレンゾを大切に思うという同じ土台に立った、正当な立場であり、優劣をつけるものでも、一つの心情に統合すべきものでもありません。
授業でできる3つの転換
①最後の一文を書かせない 従来は「相手の立場になって考えることの大切さがわかった」という一文でまとめさせがちですが、あえて「今日はまとめを書きません。アイウ、それぞれの意見はそのままでいい」と伝える。統合させないことを、教師が明言することが第一歩です。
②沈黙を問い直す発問を足す 「3人はなぜ、あの夜のことを話さなかったのだろう」という発問を、まとめの前に入れる。「優しさだったから」で終わらせず、「話さなかったことで、何が解決しないまま残ったのだろう」まで踏み込むと、子どもたちの思考は一段深くなります。
③対抗者は固定しない ア・イ・ウという3つの立場は、あくまで今日のこの話題における位置づけにすぎません。次の授業では、同じ子が違う立場に立つかもしれません。「対抗者はいつでも味方になりうる」という前提を、教師自身が持っておくことが大切です。
あなたのクラスの「アイウ」は、本当に語り合えていますか?
「アイウの立場に分けて話し合う」授業は、これまでも数多く実践されてきました。しかし、その先で立場をひとつにまとめてしまうなら、私たちは対立を開いたようでいて、実は最初から答えを決めていたのと変わりません。
対立したまま、それでも同じ教室で学び続ける——そんな道徳の時間を、次はどんな教材で考えてみましょうか。次回は「うばわれた自由」を取り上げ、「自由と規律」という、もう一つの終わらない対立について考えます。
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