しんどいの閾値、バグってます 番外編~『ニューシネマパラダイス』とあの愛おしい薄暗がり~
https://youtu.be/BvD8EiibPVo?si=jGhLVxNgkddIaOmS
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の冒頭、 エンニオ・モリコーネの旋律とともに、 風に揺れるカーテンの向こうに海が見える。
あの少し粒子が荒く、光が飽和した映像を観るたびに、 私は決まって故郷の景色を思い出す。
■ 光のベールと、暗がりの凪
青い海にかかる、大きな赤い橋。
記憶の中のその景色は、あふれんばかりの光に満ちていて、 まるで白いベールがかかったように、輪郭がまぶしく滲んでいる。
よく晴れた日の昼下がり、吹きつける強い海風に負けまいと、よろめきながらも足の指先で強く地面を踏みしめて帰った、あの道。外は刺すようにまぶしくて、 ようやく家に着いたときの、ひんやりとした薄暗がりが何より心地よかった。
4Kなんて言葉のない時代の、 あの「光のベール」と「深い闇」のコントラスト。 私にとっての「凪(なぎ)」は、間違いなくあの暗がりの中にあった。
実家は町の小さな小売商店だった。 アルフレードのいた映画館が町の人たちの憩いの場だったように、 うちの店もまた、町の人たちの暮らしの真ん中にあった。
私は家の玄関ではなく、店の引き戸をガラガラと開けて 「ただいま」と入っていく。
店の一角には小上がりがあり、 祖父が古いテレビを眺めながら店番をしていた。
「おじいちゃん、外暑かった! アイスちょうだい!」
ショーケースからキンキンに冷えたひとつを掴み取る。それは、 店の子である私に許された特権だった。
当時の私にとって、その店は誇りそのものだった。 「うちはお菓子がいっぱいあるんだよ」と胸を張れる、 子供ながらの確かな自慢。
■ 無邪気に愛せていた、あの頃
裏の自宅へ入れば、母の包丁の音が響き、どこかに家族の気配がある。 トトが映写室を愛したように、私もこの家を、家族を、無邪気に愛していた。
そこにはまだ酔っ払った父もおらず、 実家を嫌いになる理由など何一つなかった。
私は畳に身を投げ出し、溶け始めたアイスを口にしながら、 心地よい眠気に身を任せる。 あの頃、我が家の暗闇は、私がただの純粋な子供でいられる場所だった。
『ニュー・シネマ・パラダイス』を初めて観たのは、高校生の頃だった。 映画好きの友達が多かった影響で、 背伸びをしてミニシアター系も観るようになった。
モリコーネの音楽、有名なラストシーンに胸を打たれ、 まだ「まとも」だった頃の父に、勧めた記憶がある。
そのとき父が私に言った。 「お前も、こんな映画を見るようになったか」
娘の成長を少しだけ誇らしく、 眩しそうに細めた父の目の色を、今でも覚えている。
■ 宇宙よりも遠い、40分の断絶
けれど、トトが成長とともにあの町に閉塞感を覚えていったように、 私が見ている実家の景色も、いつしか変わっていった。
人口が減り、商売の活気がなくなり、 反比例するように加速していく父のアルコール依存症。
朝から晩まで、酒を煽り続ける父。 夕暮れ時、そこへ吸い寄せられるようにやってくる酔客たち。
誇らしかったはずのお菓子の棚は、いつの間にか、酒の匂いが立ち込めるその光景に塗りつぶされていった。
心地よかったはずの実家の薄暗がりに、 じとーっとした「湿度」を感じるようになったのは、大人になってからだ。
社会人になり、家を出た。 車でわずか40分の距離に住んでいるのに、滅多に帰ることはなくなった。 あんなに自慢だった実家が、足を踏み入れたくない、恥ずかしい場所になっていく。
その40分という距離は、私にとって宇宙よりも遠い断絶だった。
■ 喉に刺さった小骨
「ここにいると、自分が世界の中心だと感じる。何もかも不変だと感じる。 だがここを出て2年もすると、何もかも変わっている。頼りの糸が切れる。 会いたい人もいなくなってしまう。一度村を出たら、長い年月帰るな。 年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地に再会出来る。 今のお前には無理だ」
数年おきに、この映画を見返した。 そのたびに、アルフレードのこのセリフが、 喉に刺さった小骨のようにしっくりこなかった。
家を出た。滅多に帰ることはない。 けれど、長い年月を経ても、故郷にいるのはアルコール依存症の父が待つ現実。 再会して何になるというのか。 そんな冷めた思いが、ずっと消えなかった。
■ 冬の快晴、訪れたカタルシス
父が死んだのは、冬の寒い朝だった。 雲一つない、見事なまでの快晴。
その突き抜けるような青空を見たとき、 私の心に降りてきたのは「全部、許す」という言葉だった。
それまで長年抱え込んできた憎しみや虚無感ではなく、 圧倒的な光の中で訪れた最高のカタルシス。
優しかった父を失った悲しみを感じるとともに、 アルコール依存症の父という心の中の重石が消え、 私の世界がようやく、モノクロームから解放された瞬間だった。
父がいなくなり、 実家の商店はかつてのようなシャッターの開け方をしなくなった。 今は母が一人で、細々と店を守っている。
けれど、かつてのように店に光が射し込むことは、もうない。
■ 愛おしい暗がりへ帰る
映画の終盤、トトは爆破され瓦礫となった映画館を見届ける。 私の実家は瓦礫にすらなれずに、ただ静かに色を失っていく。
けれど、その「終わり」を見届けたことで、 喉に刺さっていた小骨が、ようやくスッと消えた。
あの高校生の頃、父と一緒に映画の話をしたときの、 誇らしかった自分の記憶を、ようやく汚されずに取り戻すことができたのだ。
ラストシーン。 映写室でトトが観る、カットされたキスシーンの連続。 流れる「愛のテーマ」を聴きながら、私も自分の記憶を辿る。
そこには、ただあの家を、家族を無邪気に愛せた頃の断片がある。
私は今の私として、青い海にかかる大きな赤い橋を渡る。そして、 ひんやりとしたあの愛おしい薄暗がりの玄関へと帰っていく。
(あとがき・リンク)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 この「バグった閾値」の原点。産後ワンオペが「凪」に見えてしまうほどカオスだった、第1話はこちらからどうぞ。👉https://note.com/okame_non_alc/n/n8ad895cea485

