yubiori -Interview #1-
東京横浜を中心に活動するバンド、yubiori。
新しいアルバム『yubiori2』は、アンビエントからエモーショナルハードコアまで、様々なジャンルの音楽を横断してたどり着いた、日本語インディーロックの美しい実りのひとつだと言える。バンドの成り立ちや、生活も含めた音楽活動についてのインタビュー。
<文:後藤正文 写真:山川哲矢>(全5回)
「音楽もバンドも仕事も家族のことも、それぞれ1人1人の人生だから、そこは無理しない程度に好きにやればいいんじゃないかなって」
<19年に居酒屋でyubioriになった>
後藤正文(以下、後藤):yubioriのことを知らない人がたくさんいると思うので、まずはバンド結成のいきさつというか、どこで出会ってどう結成したのか。あと、yubioriってバンド名になった経緯を聞かせてください。
田村喜朗(以下、田村):結成の経緯は僕が神奈川大学の軽音サークルに入っていて。基本はそのときの同級生と後輩でスタジオに入り始めて、みたいなところでしたね。で、スタジオ入ったりしてたんですけど、yubioriをやるぞ、ってなったタイミングで長谷川(長谷川洸介/ハセコー。2025年3月にyubioriを脱退)と、俺と阿左美の共通の友人と4人でbloodthirsty butchersのコピバンをしたんですよね。阿左美は大学が違ったんですけど、来いよみたいな感じで来てもらって。
後藤:それっていつぐらい?
阿左美倫平(以下、阿左美):2016年か17年ぐらいだと思います。みんな学生だったんで。
後藤:なるほど。ブッチャーズのバンドで2人ともギターだったの?
田村:そのときは僕がギターボーカルで、阿左美がベースを弾いて、長谷川がリードギターを弾いてました。
後藤:ちなみに何の曲をやったの?
田村:「プールサイド」とかやってたんですけど葬式みたいだった…誰も知らないみたいな。
阿左美:地獄のような時間でした。
後藤:ブッチャーズを最初にやり始めたことが、yubioriのチューニングとかに影響してるのかな。吉村さんは独自の変則チューニングで、どうやってるのかよくわからない曲もあって。最近のバンドだとANORAK!とかも変則チューニングだよね。yubioriは全部が変則的だとは思わないけど、6弦がドロップチューニングだったりとかするから、そういうアンサンブル的な影響がブッチャーズからなのかなって。
田村:はい、それはあると思います。やっぱりギターが3人いるので、それぞれの役割を考えると、もちろんその音色だったり音域みたいなところも、誰かがどっかに逃げなきゃいけないみたいなのもあって。フレーズを考える時にみんなレギュラーだと思い浮かばないっていうのでチューニングずらして、みたいなところはあると思いますね。
後藤:ギター3本だと、ライブハウスの人から「めんどくさい」みたいなこと言われたりしない?(笑)

田村:幸い僕らが出るところはなかったです。優しくて助かりましたね。最近はベースもアジカンと同じで上手側に置いてるので、そこで毎回移動が発生して申し訳ないなって思ってますね。
後藤:ライブハウスはベースアンプが下手に固定されてることが多いから、めんどくさいよね(笑)。昔、アジカンはギター3本でやってた時代があって、ライブハウスの人に「なんで3本なんだ」って説教されたことがあった。なんで怒られなきゃいけないんだろうって思ったな。
田村:これは多分、後藤さんたちが獲得してきたものを俺たちが利益としていただいてるんだと思います。
阿左美:ちゃんと享受してる感じなんですね。
後藤:Radioheadだって3本じゃないか、とか思いながらその講評とか聞いてて(笑)。それで、yubioriとして活動を始めたのはいつ頃から?2人で始めた時からもうyubioriというバンド名だった?
田村:その時はまだですね。
阿左美:そうですね。明確にいつ、みたいなのは正直あんまり覚えてないんですけど。ただ、ベースの東條が入って、初めてライブをしたのが2020年の12月に下北沢近松ってところで。今のyubioriの流れができたのは多分その時期かな。
後藤:なるほど。
阿左美:その前からメンバーが変わったりとかもありつつ、ライブはやってはいたんですけど、今の流れの始まりとしてはそこかなって思います。
後藤:今のメンバーに固まったのもその時?中野くんが入ったのもそのぐらい?
田村:シゲ(中野)が入ったのは割と最初の方ですね。
中野慈之(以下、中野):そうですね…いや、ちょっと待ってください。自分の記憶だと確か自分が入ってから、ハセコーじゃなくて別の長谷川ってやつがいて。わかりづらいんですけど(笑)。
後藤:長谷川がいっぱいいて、長谷川渋滞してる(笑)。
中野:それで阿左美とジミー(田村)と5人で最初結成して、居酒屋でなんか名前決めようってなったのが最初だった気がします。それが19年だったかな。
後藤:19年に居酒屋でyubioriになったと。
中野:そうですね。それから1番最初のデモ音源「yubinori E.P.」を出して、自主企画をやったんだったかな。
後藤:yubioriの「yubinori E.P.」ややこしいな。でも、yubioriってバンド名はすごくいいよね。
田村:ありがとうございます。
後藤:どういうふうに決めたのかなっていうのはすごい興味がある。
田村:当時、僕らの先輩にkanari(カナリ)っていうバンドが横浜にいて、結構バーニングハードコアみたいな感じなんですけど、日本語を小文字のローマ字にしてバンド名にしてたのがなんかかっこいいなと思って。それで響きが似てるような言葉で何かないかなって色々探してる中で、居酒屋でぱっと僕が “yubioriっていいんじゃないか”って言ったら、みんなもうそれでいいんじゃないって感じで決まったので、特にこういう意味を込めてるみたいなのはないんですけど、その響きと字面で決めたような感じですね。僕らは、日本語の歌を歌うのでバンド名も日本語にして、音の響きもその意味としても、なんかあったかい感じがするので僕らの楽曲ともリンクしてるいい名前なのかなって思いますね。
後藤:仲間内でもそういう感じがするよね、kurayamisakaとか、せだい、とか。みんな日本語のバンド名で、シーン的にそういうのが多いのかな、みたいなね。世代的な感覚っていうか。
田村:そうなのかもしれないですね。

<音楽もバンドも仕事も、それぞれ1人1人の人生だと思う>
後藤:活動は順調だったの?最初の頃はやっぱりライブハウスのブッキングに出てた?
田村:僕ら、yubioriを始めてから、ライブハウスのチケットノルマを払ったことがないんですよね。なんでかわかんないんだけど、ない。
阿左美:そうですね。
田村:最初にtwitter(現X)に上げたスタジオで演奏してる動画とかを、いろんなライブハウスのブッキングの人が気に入ってくれて、それで呼んでもらえるようになったんですけど、2年ぐらいはお客さんもほぼ0人のまま、申し訳ないなと思いながら、機材費として3000円だけっていう優しい会場もあって。そこだけ払って、その分お酒いっぱい飲むぞみたいな感じでやってました。
後藤:ライブハウスの人たちから期待されてる感じがするね。
田村:そうですね、それはずっと感じてたんですけど、なかなか応えられないことが続いてましたね。
後藤:期待されてるのはいいことだね。みんなチケットノルマで疲弊していくからね。
田村:そうですね、yubiori前のバンドでは多分めちゃくちゃ払った気がします。yubioriをはじめて回収できたかなって感じですね。
後藤:僕らがバンドを始めたころの横浜のCLUB24はチケット代1600円で、ノルマ30枚だったんだよね。「4万8000円どうする!?」って感じで。でも、バンドのメンバーと「ディズニーランドに1日遊びに行ったと思えばこれぐらいでしょ」みたいな話をして、なんとか納得したけどね。そのぐらい自分たちにとって音楽は楽しいものだったから。でも、金額的には、なかなか大変だよね。
田村:そうですね。当時はきつかったです。
後藤:みんなバンドをやりながら大学を卒業して、その先に就職するタイミングを迎えたんだと思うけど、そのときにバンドどうしようかみたいな話にはなった? 自分たちの世代だと、就職するタイミングで「バンドを続けるか否か」みたいな、そういう問いがどうしても頭の片隅によぎるっていうか。自分の話をしちゃうと、当時、横浜に残る意味って「バンドを続けたかったから」だけなんだけど。バンドをやらないならもう実家に帰ろうかなって思ってたくらいで。yubioriのみんなは大学卒業後、どんなふうに考えてたのかしら。
田村:そうですね。僕らは全く真逆っていうか、時代が変わって僕らの周りはみんな働きながらやるのが当たり前になってて。だからもう何の疑いもなくみんな働きながらバンドやってるし、掛け持ちもしてるのも結構当たり前でしたね。
後藤:掛け持ち率がすごいよね。
田村:そうですね。僕と莉奈(大野)さんはやってないですけど、それ以外のメンバーはやってますね。
後藤:俺たちの頃って掛け持ちしてる人って、そんなにいなかったんだよね。思い当たるとすれば、ストレイテナーのベースのひなっちが、ART-SCHOOLを辞めてストレイテナーに入って、かつZAZEN BOYSのメンバーでもあるっていう。当時はふたつのバンドをやるのが珍しかったから、結構痺れるっていうか、大丈夫かなって心配だった。今は無理がなければ、全然みんなやれるよね、みたいな時代でそれは面白い変化だよね。リズム隊(中野、東條)はyubioriとは別でやってるバンド、Acle(アクル)があるよね。普通に東條くんギター弾いてるじゃんって感じで動画を観て、みんな器用ですごいなって。
田村:そうですね。これは時代的なものもあるのかもしれないですね。もちろん、じゃあ俺たちが音楽1本で売れるために頑張るぞっていうことになったら、僕は全員にお前ら掛け持ち辞めろって言うとは思うんですよ。でも、そうじゃないっていうか。音楽もバンドも仕事も家族のこともあって、それぞれ1人1人の人生だと思うので、そこは無理しない程度に好きにやればいいんじゃないっていうのはありますね。
後藤:なるほどね。それはすごく不思議な感覚っていうか、例えば、俺がジミー(田村)と同い年で同じ状況だったら、さすがに人生やキャリアをはしに置いて、「仕事も全部辞めてバンドにぶち込む」みたいにできたかなって考えちゃうんだけど。今の若い人たちは、音楽と仕事や人生について、どういうふうに捕まえてるのかな。正直、明日から「音楽だけやっていいよ、音楽で食べれるよ」ってなったら仕事は辞める?
田村:いや〜(笑)。
後藤:考えちゃうよね。音楽で食べられたとしても、それが一生続けられるかどうかは、わからないよね。40歳ぐらいに何らかの波が来るんじゃないかなって俺は思ってしまう。
田村:だから多分仕事は辞めないと思いますね。
後藤:やっぱりそういうのって実際、ロールモデルって呼んでいいのかわからないけど、LOSTAGEやtoeの存在って心強い?
阿左美:きっかけとしてはかなり強かったなって思います。LOSTAGEのメディア露出がちょうど増えた頃ぐらいに五味さんがレコード屋さんをやりながらみたいなのは見ていて。やっぱりこういう大きい存在の人たちが、(自分たちとその仕事の業種は違っても)働きながらやってる人もいるんだっていうのは、きっかけとしてはすごく大きかったなと自分は思いますね。ただ、それが自分とリンクするかどうかっていうと、またちょっと話が違ってくるかなと思います。
後藤:やっぱりそういう話を聞くと、時代が変わったんだなって思うよね。自分はtoeやLOSTAGEと働き方が全然違うけど、2つのバンドが見せた可能性ってめちゃくちゃ大きいと思っていて。僕らは「音楽で食べる」ということに夢が持てた世代だったけど、デビューしてもメジャーとの契約が切れて、売れなくなったら辞めなきゃいけないのかなみたいな、そういう悲しい話をいっぱい聞いてきた。でも、toeやLOSTAGEの姿を見て、若い人たちが「音楽をやめなくてもいいんだ」っていう気持ちになれたんじゃないかなって。あと、toeとかLOSTAGEは結果を残し続けているのがすごい。
→続き#2

『yubiori2』 2025年7月2日リリース
1.Maxとき
2.いつか
3.思い出した時のために
4.終わらない
5.春になれば
6.deep blue
7.super blue
8.せめてそれだけ
9.山の向こう
10.二等寝台
11.すばる
12.rundown
yubiori
東京・横浜を中心に活動中。日々の生活の中で闘い続ける人々に寄り添う言葉とメロディ、エモーショナル・ハードコアからインディフォークを横断する幅広い音楽性と、感情が爆発するライブパフォーマンスが魅力。2022年には1stフルアルバム『yubiori』をリリースし、全国ツアーを敢行。2024年にはキャリア初のワンマンライブ「ASAP」を新宿Marbleで開催。今年4月に同会場で行われたワンマンライブはソールドアウト。同年10月には、新メンバーとしてTrp.大野莉奈が加入。より多彩で深みのある音楽を生み出し、ライブハウスシーンで注目を集めている。
