声と火のあいだで──共同性を呼び戻す身振り
はじめに
声を重ねること。火を囲むこと。少し道に迷いながら同じ場所を歩くこと。そんな一見ささやかな動作が、ばらばらになった人や記憶をもう一度つなぎはじめるとき、共同性はようやく現実のものになる。Claudia Losi、Mira Mann、Dietrich Meyerの3人のアーティストは、それを理念として説明するのではなく、人がどう集まり、どう耳を澄まし、どう場を共有し直すかというレベルで見せてくれる。
Claudia Losi
Claudia Losiは1971年イタリア・ピアチェンツァ生まれで、現在も同地を拠点に活動する作家だ。彫刻、ドローイング、刺繍、パフォーマンス、共同制作などを横断しながら、人と土地、人と動物、人と記憶のあいだにある関係をゆっくり編み直してきた。Losiの作品で重要なのは、完成されたオブジェを提示することよりも、作品が移動し、変形し、人を巻き込みながら関係そのものをつくっていくことにある。

その感覚がよく表れているのが、長期プロジェクト《Balena Project》だ。全長24メートルのナガスクジラは、細かなウール布、巨大な空気袋、詰め物によって作られ、港の前の広場、学校の校庭、ギャラリーや美術館など、さまざまな場所を移動していった。ここでクジラは単なる巨大な彫刻ではない。行き先ごとに意味を変えながら、人々の視線や物語、そして関わる人の手の動きや作業を取り込んでいく装置として機能している。Losiにとって共同性とは、同じ場所にとどまることではなく、移動しながら関係を編んでいくことのなかに現れる。

その感覚を「声」のレベルではっきり見せたのが、2018年の《Voce a Vento》である。南イタリアのモンテ・ブルゲリアの山道では、LosiのテキストにMeike Clarelliが曲をつけ、30人の女性の声が山道に沿って配置された。ポリフォニックな歌声は、ある場所でははっきり聞こえ、別の場所では風や距離や地形によって途切れ、ほどけていく。ここで共同性は、全員がひとつの中心へまとまることとしては現れない。むしろ、離れた声が風景のなかで届いたり届かなかったりしながら、それでもひとつの場をつくることとして立ち上がっている。
Mira Mann
Mira Mannは1993年ドイツ・フランクフルト生まれで、現在はデュッセルドルフを拠点に活動している。詩、音楽、パフォーマンスのあいだを横断するアーティストであり、経験や記憶、現実と虚構のあいだに生じるずれを、時間ベースかつサイトスペシフィックな方法で扱ってきた。Mannの実践で重要なのは、ひとつのアイデンティティを固定することではない。異なる時間や文化的背景や記憶が、同じ場のなかでどうぶつかり、どう響き合うかを探ることにある。

そのことがもっとも具体的に見えるのが、2024年にベルリンで発表された《objects of the wind II》である。このパフォーマンスでは、ドラムの音に、韓国の伝統的な打楽器文化であるプンムルや、語りの芸能であるパンソリのモチーフ、伝統舞踊、コール&レスポンスが重ねられている。さらにMannは、パーカッショニストDomi Chansornに加え、1972年設立の在独韓国人看護師協会を含むベルリンの二つのパーカッション・アンサンブルと協働している。ここで起きているのは単なる音の演出ではない。離散した歴史や身体の記憶が、リズムと声と応答を通じて、いまここで一時的に響き直すことなのである。
Dietrich Meyer
Dietrich Meyerは1987年フィラデルフィア生まれで、ベルリンを拠点に活動する作家だ。彫刻や自然環境への介入を行いながら、季節の変化や反復される行為、そして儀礼的な時間の感覚に関心を向けてきた。Meyerの作品では、共同性は大きな出来事として一気に生まれるのではない。むしろ、同じ場所を少し違う感覚で歩き直すことや、何かを一緒に見届けることのなかで立ち上がってくる。
その出発点がよく見えるのが、《In the Cycles of Time Grows Togetherness》である。2019年秋から2021年夏まで、ベルリンのフォルクスパルク・レーべルゲでは、季節の中頃ごとにエフェメラルな彫刻介入が行われた。作品は78ヘクタールの公園に散らして置かれ、来場者には地図が渡されず、ただ大まかな場所だけが口頭で伝えられる。少し道に迷いながら探すことで、人は公園の微妙な変化や、季節とともに変わる作品の状態へ注意を向けるようになる。ここで共同性は、大きなイベントとしてではなく、同じ場所を別の感受性で歩くこととして生まれている。

その感覚を、より儀礼的で直接的なかたちで示したのが、2020年の《We Dance on Fire/Combustible Essences》である。パンデミック開始から6か月後に行われたこのパフォーマティブな彫刻的ハプニングでは、ユーカリ、ヨモギ、焼成陶器、鏡のように光を反射する素材などで構成されたインスタレーションが置かれ、Dalia Mainiが書いたテキストが朗読されたあと、吊るされたユーカリの束に火が点けられた。Meyerはこれを、ネガティブなエネルギーを払う儀礼であり、孤立の時間のあとに人を再び集め、新しいサイクルを開くための行為だったと説明している。ここで火は象徴ではなく、人をもう一度同じ場へ呼び戻そうとする実践そのものになっている。
おわりに
3人とも、共同体そのものを説明することには重心を置いていない。そうではなく、関係がほどけたあとで身体がどうふるまうか、そのふるまいがどんな場や応答をつくるかに重心を置いている。だからこそ、共同性も彼らの作品では抽象名詞のままでは終わらない。必ず、声を重ねること、少し迷うこと、火を囲むことという身振りとして表れている。
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