色とりどりの「素晴らしい世界」──白糖か黒糖か決めに来たら、カラーシュガーだった件②
佐藤隆紀 ソロコンサート2026
SugaryBox ホワイト&ブラック
2026年7月3日(金)18:00開演
第1部前半戦の記事はこちら!↓↓
他人同士〜威厳と苦みを湛えた、ザッハトルテ〜
リーヴァイ作品の最後を飾るのは、「ブラック」を代表する一曲。
『ベートーヴェン』から、フランツの歌う「他人同士」だ。
ベートーヴェンの想い人であるトニの夫、フランツ・ブレンターノ。(フランツはフランツでも黒フランツ)
この役は、モラハラぶりがすさまじい。それなのに、佐藤隆紀さんの当たり役と言われているのだから驚きである。
その完成度は、シルベスター・リーヴァイ氏本人をも驚かせたという。
日本公演を観劇したリーヴァイ氏が、シュガーさんのフランツを絶賛し、「君は今まで僕の作品に出ていなかったよね!?」と声を掛けたというエピソードは、あまりにも胸が熱い。
この曲をお菓子に例えるなら、ザッハトルテだ。
オーストリアを代表するチョコレートケーキ。艶やかなチョコレートに包まれたその姿には、端正な威厳がある。
しかし、中にはアプリコットジャムの酸味が潜んでいる。
濃厚で、重厚で、甘いだけでは終わらない。
その苦みと酸味を含んだ奥行きが、フランツという人物によく似ていると思った。
フランツは、ただ威圧的なだけの男ではない。
支配欲、執着、愛情の歪み、不器用さ。
そうしたものが幾重にも重なっているからこそ、観客は嫌悪しながらも目を離せなくなる。
シュガーさんは、その危うい重なりを、声の品格を失わないまま表現する。
だからこそ怖い。
そして、だからこそ美しい。
ザッハトルテのように濃厚で、苦く、どこか抗いがたい一曲だった。
僕の願い〜願いを幾重にも重ねる、バウムクーヘン〜
ディズニー・ミュージカルは、前半と後半に一曲ずつ配置されていた。
前半を彩るのは、『ノートルダムの鐘』。
「ホワイト」を象徴する一曲として選ばれたのは、「僕の願い」である。
長い間、暗いノートルダム大聖堂の中で暮らしてきたカジモドが、それでもなお「外へ出たい」「人と触れ合いたい」という純粋な願いを歌い上げるナンバーだ。
この曲をお菓子に例えるなら、私はバウムクーヘンを選びたい。
幾重にも層を重ねて焼き上げられるバウムクーヘンは、幸福や成長、積み重ねた時間の象徴でもある。
長い孤独の年月を経てもなお、人を信じ、世界を愛したいと願い続けたカジモドの心に、これほどふさわしいお菓子はない。
そして何より驚いたのが、シュガーさんが歌う「僕の願い」の真っ白さだった。
こちらの曲も、第一部の大きな“震えどころ”の一つである。
持ち前の優しい雰囲気がこの曲では大きなバフとなり、その歌声も眼差しも、まるで初めて世界へ一歩踏み出そうとする少年のように、初々しい輝きに満ちている。
これまで数々の「黒」をまとってきたシュガーさんだからこそ、その対比はなおさら鮮やかだった。
何色にも染まっていない、曇りひとつない「白」。
カジモドの願いは、シュガーさんの歌声によって、静かに、そして美しく劇場いっぱいへと広がっていった。
あまりにも印象的な歌唱だったので、もし『ノートルダムの鐘』が実写映画化され、日本語吹替版が制作される日が来るのなら、ぜひカジモド役をシュガーさんに演じてほしい。石丸さんリスペクトのシュガーさんが石丸さんの演じた役を演じたとしたら胸熱だ。
そう願わずにはいられないほど、この日の「僕の願い」は、私の心に深く刻まれた。
罪の炎〜誘惑と矛盾のティラミス〜
「ブラック」を象徴するディズニー・ナンバーは、同じく『ノートルダムの鐘』から、フロローの歌う「罪の炎」。
先ほどまで、純粋な願いを抱くカジモドだったシュガーさんが、一瞬にして、聖職者でありながらエスメラルダへの邪な感情に苦しむフロローへと姿を変える。
その切り替わりは、『ジキル&ハイド』の「対決」で見せた、ジキルとハイドの変貌を思い起こさせた。
しかし、今回改めて感じたのは、シュガーさんの表現は「善」と「悪」を単純な二項対立として描いていないということだ。
純粋さは、ほんの少し角度を変えれば執着へと変わる。
信仰は、行き過ぎれば狂信へと姿を変える。
善と悪は断絶しているのではない。
一本の線の上で、少しずつ色を変えながらつながっている。
この曲をお菓子に例えるなら、ティラミスだ。
ほろ苦いコーヒー、濃厚なマスカルポーネ、甘さ、苦さ、そして酒気を帯びたような陶酔感。
清らかさと誘惑が層になって重なり、口の中で境目をなくしていく。
フロローの「罪の炎」もまた、禁欲と欲望、祈りと執着、清廉と邪念が複雑に絡み合う曲である。
そして私は、この瞬間に気づいた。
シュガーさんは、感情の「色」と、その「座標」を捉えることに長けた表現者なのではないか。
白から黒へ。
善から悪へ。
けれどそれは、スイッチのように切り替わるものではない。
色彩が少しずつ混ざり合い、別の色へと変化していくように、シュガーさんは感情の濃淡をなめらかに移動していく。
その考えは、このコンサートを通して、次第に確信へと変わっていくことになる。
鉄腕アトム〜みんな大好き元気印のパンケーキ〜
ここで炸裂したのが、ドジっ子シュガーさんである。
「続いては皆さん誰もが知っている、ホワイト&ブラッきゅ……ブラッキュゥゥゥ!!」
思わず狩野英孝さんの「スタッフゥゥゥ!!」を思い出してしまうような豪快な言い間違いに、会場は大爆笑。
しかし、そんなハプニングさえ愛おしい。
曲が始まると、今度は一転して元気いっぱいのアトムに早変わり。客席をぐるりとパトロールするように歩きながら、朗らかな笑顔で歌う姿は、とにかく可愛いの一言だった。
この曲をお菓子に例えるなら、パンケーキ。
焼きたてのふわふわ感、優しい甘さ、そして子どもから大人まで自然と笑顔になる親しみやすさ。
難しいことは考えなくていい。ただ「楽しい!」という気持ちを、そのまま届けてくれる。
そんな元気印の一曲だった。
おれはジャイアンさまだ!〜豪快と人情のたい焼き〜
「これがブラックになるのか!(笑)」
思わず心の中でツッコんでしまった選曲である。
子どもの頃は乱暴者という印象ばかりが強かったジャイアンも、大人になって見返すと、その豪快さの裏に人情味や仲間思いな一面が見えてくる。
そんなジャイアンを代表するこの一曲を、シュガーさんはボエボエとは無縁の美声で歌い上げる。
そのギャップが、とにかく可愛い。
この曲をお菓子に例えるなら、たい焼き。
見た目は豪快で存在感たっぷり。それでいて一口頬張れば、中にはほっとする優しい甘さが詰まっている。
強引だけれど憎めない。
豪快だけれど温かい。
そんなジャイアンの魅力を、シュガーさんは朗らかに届けてくれた。
知りたい〜これぞ幻、三不粘(さんぷーちゃん)〜
第一部を締めくくるのは、『ジキル&ハイド』。
「ホワイト」を代表する「知りたい」である。
実はこの曲、石丸幹二さんがジキル/ハイドを演じた時代にのみ歌われた、まさに”幻”のナンバーだ。
その幻の楽曲を、石丸さんへのリスペクトを公言してきたシュガーさんが歌う。
それだけでも胸が熱くなる選曲だった。
ジキル博士の純粋すぎる知的好奇心と、未知への憧れ。
その輝きと危うさを描いたこの曲は、私が今年の『ジキル&ハイド』再演で、採用されなかったことを残念に思ったナンバーでもある。
だからこそ、今回シュガーさんの歌声で再び出会えたことが、本当に嬉しかった。
しかも会場は、2026年版『ジキル&ハイド』と同じ東京国際フォーラム ホールC。
もし今年の再演でも「知りたい」が歌われていたなら、きっとこんな景色が広がっていたのだろう。
そんな”もしも”に思いを馳せながら、私はうっとりと、その歌声に耳を傾けていた。
この曲をお菓子に例えるなら、三不粘(さんぷーちゃん)。
「皿に付かず、箸に付かず、歯にも付かず」といわれる、中国宮廷料理にルーツを持つ希少な菓子である。
高度な技術を要し、日本ではなかなか出会うことができない”幻のお菓子”。
滅多に味わえず、今ではジキハイで聴くことのできない「知りたい」。
その曲とシュガーさんの希少な出会いは、この日のコンサートを忘れられないものにしてくれた。
生きている〜妖艶と陶酔のブランデーチョコトリュフ〜
第一部のクライマックスを飾るのは、「生きている」。
甘党を震撼させた2026年版『ジキル&ハイド』。ハイドを代表する一曲が選ばれた。
何を言っているのかと思われるかもしれないが、私はやはり、シュガーさんの優しく品のある人柄が「デバフとしてのバフ」になるところに惹かれてしまう。
優しさがあるからこそ、ハイドの狂気はより危うく映る。
品格があるからこそ、欲望はより妖艶に香り立つ。
理性と本能。
優美と醜悪。
清楚と濃艶。
品格と卑俗。
どちらか一方へ振り切れそうで、決して振り切れない。
その危うい均衡の上で踊るハイドから、私は最後まで目を離せなかった。
この曲をお菓子に例えるなら、ブランデーチョコトリュフ。
上品なチョコレートの甘さの奥に、芳醇なブランデーが静かに香り立つ。
一見すると穏やかで美しいのに、一口頬張れば、酔うような余韻がじわりと広がっていく。
まさに、シュガーさんのハイドそのものだった。
私は、このコンサートに来るまで、「ホワイト」と「ブラック」、どちらがシュガーさんの真の魅力なのかを確かめたいと思っていた。
けれど第一部を聴き終えて、その考えは少しずつ揺らぎ始める。
シュガーさんの魅力は、「白」でも、「黒」でも、「グレー」でもない。
もっと自由で、もっと鮮やかな場所にある。
その答えは、第二部で見つけることになる。
(③に続く)
