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【官能小説】雪女-後編

前の話

事例④:低温適応改造体との生身の触れ合い

久遠 朔也(クオン・サクヤ)。44歳。ロボティクス研究者。
雪女との累積対話時間:1284時間35分
観察期間:2年8か月
改造前物理接触時間:0秒
改造後物理接触時間(初回):421分08秒
死亡:なし

久遠は、過去3件の接触事例をすべて閲覧していた。
久遠は、雪女に一度も触れなかった。
触れれば、彼女を再び加害者にしてしまうと理解していたためである。

久遠は当初、会話すら拒む雪女のそばでずっとたたずんでいた。
何も語らず、ただただそこにいる。
同じ空気を吸い、吐く。
同じ風を感じ、違う温度を感じる。

その様は、「北風と太陽」の逸話のようだった。
もっとも、雪女にとっては冷たい風のほうが心地よいので、
凍てつく太陽というべきだろうか。

やがて、雪女はポツリポツリと自分が見てきたものについて話すようになった。
だから、自分を決して愛してくれるなとも。

久遠は結論した。
人間のままでは、雪女を愛することはできない。
ならばやることはただ一つ。自分が人間でなくなればいい。
ロボティクス研究者である彼にとって、それはある意味運命づけられた決断だったのかもしれない。

この結論に基づき、久遠は自身の身体を少しずつ置き換えていった。

まず彼が最初に廃止したのは、血液である。
久遠の血管系は、生身の血液を流す器官ではなくなった。
心臓は摘出し、代わりに複数の低温循環ポンプを胸郭内へ配置した。

循環液には、エチレングリコール系の人工不凍血漿を採用した。
ただし、それは人体内で代謝される毒物としてのエチレングリコールではない。
人間の代謝経路から隔離された閉鎖循環液であり、電解質を模倣した成分、人工酸素担体、腐食抑制剤、結晶化防止因子を含む、低温接触用の工学的血液といえよう。
すなわち、久遠は雪女の体液と類似した体液を己の体に流すことにしたのである。
そうすることで、彼は雪女と同じ体温域まで自分の体温を下げることを試みたのだ。
そうすれば、雪女に触れることができる。

久遠の肉体改造はさらに進んだ。
腎臓と肝臓は、雪女の生の体液の混入に耐える浄化モジュールへ置換した。
肺は人工酸素交換器へ接続、消化器系は生命維持の主系統から切り離し、摂食と味覚体験のための補助器官として残した。
生身の臓器は、もはや久遠の生命活動を決める中心ではなかった。
しかし、久遠は消化器系を残した。それは、彼が雪女と一緒に食事を楽しみたいと考えていたからである。

体を構成する素材は、やりたいことに合わせて改造していった。
骨格にはチタン合金。
関節には低温用セラミック軸受。
循環管には耐グリコール性ライニング。
外装にはポリエーテルエーテルケトン系樹脂と人工真皮。
雪女と接触する面には、温度制御膜を備えたシリコーン系人工皮膚を採用した。

久遠は己の五感の全てで雪女を感じ取りたいと願っていた。
そのため、神経系はその機能を維持したままとした。

視覚。変更なし。雪女の美しい姿はあるがままで彼の脳に結像する。
聴覚。変更なし。雪女の涼やかな声はそのまま彼の脳で再生される。
嗅覚。変更なし。雪女のにおいは、どんなだろうか。
味覚。変更なし。彼女の体液の甘味はそのまま感じ取ることができるはずだ。

そして、触覚。
冷痛覚遮断処理だけは丁寧に施した。
そのうえで、触覚はしっかりと残した。
痛みではなく、圧を。やさしく雪女の肌をおし、その柔らかさを。
凍傷ではなく、ぬくもりのわずかな差を。あったかいと感じ取ることができる、その差を。
久遠が雪女に触れたとき、それを「危険」としてではなく、「女の子」として感じとる。
それは久遠の悲願であったし、もしかしたら過去事例の男たちの思念もあったのかもしれない。

改造後の久遠の通常体表温度は−27.5℃。
雪女の平均体表温度−28℃より、0.5℃だけ高い。

人間にとっては死の冷たさである。
だが雪女にとっては、自分を焼かず、自分に奪い尽くされない、初めての熱であった。

雪女の体表温度より、約0.5℃高い。
この差は、人間にとっては意味をなさない。
どちらも死の冷たさである。
また、0.5℃の差を人間が感じ取ることはあまりない。

雪女は、久遠との接触を頑として拒んだ。
また久遠も殺してしまう、そう考えた彼女の気持ちを誰が責められようか。

久遠はいつも、優しく雪女に告げていた。
「大丈夫。僕が君に触れることはないから安心してほしい。」

しかしある日、久遠が優しく彼女の手を握ろうとしたときだった。

「ダメです。それをしたら、朔也さん、あなたは。」

久遠は目を細めて微笑んだ。
それは、2年8か月かけて肉体改造をしてきた男の微笑だった。

「大丈夫。僕は、人間の温度を捨ててきた。ようやく今日、完成したんだ。」

雪女は首を振り、凛と久遠を見据えた。

「そんなことをしてはいけません。あなたまで、人間でなくなってしまう」

久遠は答えた。

「人間のままでは、あなたに触れられなかった。あなたを人殺しにしてしまうからね。
だから、僕はあなたに流れる血潮と同じ温度になれるよう、肉体改造をしてきたんだ。サイボーグみたいなものだね。でも人間だよ?確かめてごらん?」

雪女は初めて、自分から男に手を伸ばした。
おそるおそる、その白い指先が久遠の頬に触れた。

霜は走らなかった。
皮膚も癒着せず、剥がれなかった。

雪女は息を呑んだ。

「本当に…」
「だからもう怖がらなくていいんだ。僕はそのためにいる」

久遠がそっと、雪女を抱き、その背中にそっと腕を回した。頬、胸、上腕が彼女の体に触れている。
雪女の身体は震えていた。
それは、もちろん寒さによるものではなかった。
恐怖と、期待と、長い孤独の終わりに対する混乱もあったのかもしれない。

雪女は、久遠の胸に頬を寄せた。

「あったかい……」

その言葉は、人間の意味する熱とは異なる。
久遠の身体は-27.5℃であり、人間が触れ続ければ凍傷を負う。
だが-28℃の雪女にとって、それは初めて触れる、自分を焼かない温度だった。
そしてまた、奪い尽くすべき熱でもなかった。
触れた瞬間に失われる命でもなかった。
そこにあり続ける、ほんの少し、0.5℃だけ彼女よりも熱い、やさしい熱だった。

人間であれば0.5℃を感じることは稀であろう。
だが彼女は雪女。
しかも、この温度は彼女のために寄せられてきた温度なのだ。

「あの、私、雪白小夜子(ユキシロ・サヨコ)と言います。雪女です。それなのに…」

小夜子は息を詰まらせた。

そして、

「嬉しい…」

小夜子の瞳から液体が流れ落ちた。

涙は透明で、冷たく、凍らなかった。
人間にとっては毒となる不凍体液。
過去に男を殺したものと、同じ涙だった。

久遠はその涙を指で受けた。
人工皮膚の上で、小夜子からこぼれ出た雫はそのまま震えていた。
久遠はぺろっとそれを口に含んだ。

「しょっぱい」

小夜子は慌てた。

「だめです!それは」

久遠は、穏やかに微笑みながら静かに首を振った。

「大丈夫。肝臓も腎臓も君に合わせて作り変えてきたんだ。40分後もどうということはないよ。と、いうか僕の血がそもそも君の血に合わせてきてるからね。もう、君に触れても死なない男がここにいる」

小夜子は言葉を失った。
久遠は彼女の涙を優しく拭った。
その仕草は、毒を避けるための処置ではなかった。
ただの、女の子の涙を拭う所作だった。

なお、この直後、久遠は意味不明な言語遊戯を行っている。

「これで僕らの血潮は!えっちでグリコー!」
「ぷっ!なにそれw」

発言の意図は、エチレングリコールという語に由来する駄洒落であると推定される。
記録者としては、本報告書への記載を躊躇した。…実に躊躇した。
何なんだコイツは。
しかし、当該発言の直後、雪白小夜子が観測史上、初めて明確な笑顔を示したことは特筆すべき事実である。従い、これを重要な情動反応として記録する。

小夜子は笑った。

それは微笑ではなかった。
諦めや遠慮を含んだ、雪女特有の静かな表情でもなかった。
声をこぼし、肩を震わせ、目尻に涙を浮かべながら笑う、ただの女の子の笑顔だった。

久遠はその表情を見て、しばらく動かなかった。

記録では、この時点で久遠の体表温度が−27.5℃から−27.4℃へわずかに上昇している。
原因は不明。
人工循環液の温度制御誤差という解釈も可能である。
だが、久遠本人は後に、これを「男として自然な反応ですよ」と説明している。

小夜子は笑いながら、まだ少し怯えたように、久遠の手に触れた。
指先。掌。手首。
彼女は触れる範囲を、おそるおそる、少しずつ広げていく。

凍着は認められなかった。
皮膚剥離も、壊死も、循環異常も認められなかった。

久遠はただ、小夜子に触れられながら、小夜子をまぶしそうに見つめていた。

「本当に、死なないのですね」

小夜子は何度もそう言った。

「死なないさ」

久遠はそのたびに力強く答えた。
それは、自分の全身全霊、全知全能を結集した自分の体への信頼でもあった。

「本当に?」

「本当に」

「私が触っても?」

「大丈夫」

「私が泣いても?」

「大丈夫」

「私が、あなたを好きになっても?」

久遠はそこで少し黙った。

小夜子は、言ってしまったあとで目を伏せた。
自分の言葉に驚いたようだった。
何百年も禁じてきたものを、初めて自分の口で外へ出してしまった者の顔だった。

好き。
その言葉を発した途端、言葉にしないでも伝えた途端、相手は身を滅ぼしていく。
文字通り、死の行進を告げる合図になってしまっていたのだ。

久遠は彼女の手を取り、その指先を自分の胸へ導いた。

「大丈夫」

久遠はゆっくりと、自分でも確かめるように、その言葉を紡いだ。
そして、言葉だけでなく、事実でそれを示そうとした。

久遠の胸。そこには心臓がなかった。
少なくとも、人間の意味での心臓は存在しなかった。

胸郭内では、複数の低温循環ポンプが規則的に作動している。
拍動は回転運動から生み出される機械的拍動であり、液温は氷点下であり、人間の胸に耳を当てた時に聞こえるはずの、あの柔らかな、生命の力強さを感じさせるあの音は存在しない。

小夜子は耳を寄せた。

「変な音」

「失礼なっ!無茶苦茶苦労したんだよ。高かったし」

「心臓じゃない」

「そうだね」

「でも、動いてる」

「うん」

小夜子は目を閉じた。
しばらくの間、その機械の音を聞いていた。

それは人間の鼓動ではなかった。
しかし、彼がここにいて、生命活動を継続していることを告げる音ではあった。

小夜子は、久遠の胸に額を押し当てた。

「朔也さん」

「うん」

「私、いま、あなたに触っています」

「うん」

「あなたは、生きています」

「うん」

「私、誰も殺していません」

その言葉の終わりで、小夜子は再び嗚咽した。

涙は久遠の胸元へ落ちた。
透明な雫は人工皮膚の上を滑り、凍ることなく残った。

久遠はそれを拭わず、そのままにした。

小夜子は慌てて顔を上げた。

「拭いてください。汚れます」

「汚れじゃないよ」

「毒…」
「涙」

久遠によってかぶせられた言葉に、小夜子は言葉を失った。

久遠は続けた。

「毒として扱う必要がある場面では、僕はそう扱う。危険物として管理もする。測定もする。記録もする。影響度も把握して、対策を打つ。でも、今ここに落ちたこれは、君が泣いたから出た涙だ。そして、僕はこの涙によって死ぬことはないんだよ」

久遠は、胸元の雫を指で受けた。

「だから、これは涙。オッケー?」

小夜子は、彼の指先を見つめた。
過去に男を殺した液体。
彼女を怪物たらしめてきた毒性体液。
誰かに触れたいと思うたびに、彼女自身を傷め、縛ってきた液体だった。

それを、久遠は当然のように涙と呼んだ。

小夜子と久遠が生身の触れ合いを開始してから72分後、小夜子は久遠の手を握ったまま、初めて自発的に接触範囲を拡大した。
手指から前腕。
前腕から上腕。
上腕から肩。
肩から背中。

小夜子は、腕を久遠の背中に回したまま、そっと久遠を抱きしめた。

この時点で、小夜子の体表温度は−27.9℃まで上昇している。
久遠の体表温度は−27.5℃を維持。
両者の接触面において、異常な吸熱反応は認められなかった。
そもそも吸熱とは温度差が大きいからこそ顕著におこるものであり、
小夜子の体温に近い久遠の体は、もはや吸熱対象ではなかった。

ただし、久遠の循環ポンプ出力は一時的に上昇している。
小夜子による吸熱反応そのものが完全に消失したわけではない。
彼女は依然として、触れたものから熱を奪う存在である。
しかし久遠の身体は、体温奪われることを前提に設計されていた。
そして、奪われたところで、その温度域は久遠にとっても生命活動を行う温度域なのだ。
なのに、計算が合わない。
なぜ久遠のポンプ出力が上昇しているのか。

久遠はのちに語っている。
あったり前じゃないですか。ドキドキするってやつですよ、と。

久遠と抱き合いながら、久遠の体温を感じながら、小夜子は震えていた。

「怖いです」

「うん」

「嬉しいのに、怖いです」

「うん」

「あなたが壊れないか、ずっと怖い」

「壊れたら、直せばいいさ」

「そんな簡単に言わないでください」

「じゃあ、壊れないようにするよ」

小夜子は少しだけ笑った。

「それなら、いいです」

小夜子は久遠の目を見つめた。久遠もまた、同じようにした。
生身の触れ合い開始から110分後、両者は初めて口づけを行った。

記録上の彼らの口唇接触時間は2.4秒であった。
短時間である。
だが、過去事例において口唇接触は重大な損傷を伴っていたため、この2.4秒という時間は極めて重要な意味を持っていた。

凍着なし。
粘膜損傷なし。
毒性体液による異常なし。

口づけの直後、小夜子は久遠の顔を両手で包み、つぶやいた。

「あったかい」

久遠は応答している。

「小夜子も、あったかいよ」

小夜子は上目遣いに久遠の顔を覗き込んだ。
それでも、怖いのだ。

「私、怖いです。幸せなのに、もっと欲しがってる」

「欲しがっていい」

小夜子は顔を上げた。

「そんなことを言ってはいけません」

「言うさ。そのために作り変えたんだから」

久遠は静かに続けた。

「僕は、小夜子に触れるためだけに身体を変えたんじゃない。小夜子が誰かに触れたいと思った時、その願いを罪にしないために変えた。だから、当たり前だよ?」

小夜子は息を詰めた。

記録映像では、この時点で小夜子の顔面部に明確な紅潮様変化を確認している。
そもそも雪女の血色変化は人間のそれとは異なっているのだが、この反応は人間がするものと酷似していた。視線の揺れ、呼吸周期の乱れ、発声の遅延から、強い羞恥と期待が同時に発生していたものと考えられる。

「私が、女としてあなたを欲しがっても」

「うん」

「あなたは、死なないのですか」

「死なない」

「本当に?」

「本当に。全部想定してる」

小夜子は、久遠の衣服を指でつかんだ。
その力は弱かった。
だが、離そうとしなかった。

「では、確かめたいです」

その発言をもって、生身の触れ合いは第二段階へ移行した。

第二段階では、衣服の解除、接触範囲及び面積の拡大、口唇接触が行われ、二人の情動昂揚時における体温変化が見られた。
小夜子は、久遠に対し継続的な接触を求めた。
額、耳、鼻、頬、唇、手、肩、胸、腹、脚、どこかしらの接触を維持していた。
それは今までできなかったことを丁寧に感じ取ろうとしているかのようでもあった。
久遠は、小夜子の求めに応じながら、また自分も求めながら、循環ポンプ、人工不凍血漿、温度制御膜、浄化モジュールの状態を逐次確認していた。どこにも異常はなかった。

この記録において重要なのは、久遠が一度も、一瞬たりとも小夜子の反応を危険徴候としてとらえなかったことである。

流涙は、涙として扱われた。
唾液は、口づけの名残として扱われた。
発汗は、恐怖ではなく、昂揚の兆候として扱われた。
バルトリン腺液は、毒性体液ではなく、小夜子が愛された証であった。

小夜子は怖くなって、何度も中断を申し出た。
そのたびに久遠は止まった。

「オッケー」

「……やっぱ、やめたくありません」

「怖い?」

「怖いです」

「怖いままでいいさ、僕も怖い。ゆっくりやろう」

この応答ののち、小夜子は久遠の身体に口づけの雨を降らせ、
久遠も小夜子の身体を隅々まで舌でなぞった。

凍着なし。
皮膚損傷なし。
循環異常なし。
毒性体液による急性反応なし。

ー28℃で求めあう二人。
汗ばみながら、高め合っていき、小夜子の男を知らぬ茂みの奥は、不凍体液で温かくぬめっていた。久遠もまた、不凍体液が流れ込んだ怒張が、雄々しく反り返っていた。
小夜子の身体は、彼女自身の意思で、確かに久遠を受け入れる準備を進めていた。それは過去に毒性体液として記録されてきたものと同じ分泌でありながら、久遠とのこの時間においては、彼女が愛され、愛そうとしている証であった。

何度、その華奢な体を震わせただろうか。
小夜子は、久遠の耳元で、非常に小さな声で久遠に語りかけた。

「朔也さんが欲しいです」

この発言は、特筆すべきものである。
生存確認しながら恐る恐る伝えられてきた彼女の願いであったが、
これは純粋な彼女の願いであるように見受けられた。

しかも、この時点で二人はお互いを「あったかい」と認識しており、
明らかに互いを触れ合う動作に情動と身体反応を伴っていた。
小夜子は、久遠の体温を安心できるものしてだけではなく、気持ちいいものとして認識し始めていた。

雪女にとって、初めて感じる、自分と近い体温。
それを、もっと深く。自分の中で感じたいという彼女の願いは自然なものだった。

久遠はゆっくりと、小夜子の中に入っていく。
それは観察する側から見ると、動いていないにも等しいものだった。
少しずつ、なじむのをゆっくりと待つ。
受け入れられる状態になるまでゆっくり待ち、また少し。
それは、36℃であっても、-28℃であっても変わらないものだった。

やがて、最も奥まで到達すると、小夜子はまた泣き始めた。

「どうした?」
「違うんです。嬉しくて。私にこんな日が来るなんて…」
「それは僕の言葉でもあるな。一緒だよ」

そのまま二人はしばらくじっとしていた。

「あ、そうだ。僕の表面、こういう時は生体被膜で覆われて、安心安全だからね」
「何を言っているのか、わかりません笑」
「雪女と人間…一応人間ということにしておこう、だとどうなるかはまだ未知数だからさ」
「そんなことまで考えていたとは…!私なんてもういっぱいいっぱいなのに」
「今は僕もそうさ。事前準備ってやつ」
「どこまで考えてたんですか」
「射精回路は組み込んでたよ笑」
「雪女とできると思ってたんですか…!変態ですね…笑」

慣れてきて、軽口をたたいていた二人であったが、お互いが動き始めてからはただただ、二人の吐息と不凍体液の音だけが響き渡っていた。

生身の触れ合い開始から421分8秒後、二人の身体が離れた。
久遠は生存していた。
二人とも、生存がどうとかそんなことはもう考えていなかった。

雪白小夜子は、久遠の腕の中で眠っていた。
久遠もまた、その体勢のまま、眠りに落ちていた。

小夜子は眠りながらも、久遠をつかんでいた。
久遠がわずかに身じろぎすると、小夜子は眉を寄せ、さらに強く彼を引き寄せた。

観察者は、これを次のように記録した。

小夜子は、久遠を逃がさなかった。
ただし、それは拘束ではない。甘えである。

翌朝、先に目を覚ましたのは雪白小夜子だった。

最初に確認したのは、久遠の顔。
次に、彼の胸に耳を当てた。
規則正しい、低温循環ポンプの作動音。
彼がまだ動いていることを確認し、小夜子の顔がほころんだ。

小夜子は長い間、何も言わなかった。
やがて、彼女は小さく呟いた。

「朝になっても、生きてる」

久遠は目を開けた。

「おはよう」

小夜子は、その言葉を聞いた瞬間、泣き出した。

彼女は、男を知った。
それでも、その男は生きていた。

この事実は、雪白小夜子にとって、過去いかなる観察記録よりも重大な意味を持つ。

彼女はその朝、初めて理解したのである。
自分は、誰かを望んでもよいのだと。
それを受け止める相手がいるのだと。

幸せとは、継続する時間の中でつかみ取り、感じていくものである。
雪女はこの日を境に、自分はこれから何ができるだろうと考え始めた。
それはとても楽しい時間だった。

その話は、またどこかで語られることもあろう。

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