【チ部】恥ずかしいって何だろう②
前の話
恥部。
恥ずかしい部分。
それは己の黒歴史や恥ずかしい性癖や、恥ずかしい本当の自分。
それを全裸になってさらけだして、物語が始まるわけですが…
恥じらうからこそ恥部でもあると思っています。
バーン!見て見て!開脚ゥ! というものには興奮しないのであって。
やっぱり、見られたくない…恥ずかしい…そういう恥じらいがあってこそ
見たくなる。そういうものだと思いませんか?
チラリズムもしかりです。
全裸で歩いている人を見ても興奮しません。
少しずつ、恥じらう姿を愉しみながらその衣を、薄皮をはぐように一枚ずつ…
あらわになった下着や素肌の美しさに感動しながら進むのです。
心の衣も一緒ですね。一枚一枚、丁寧に。
安心安全。楽しい。優しい。
そういう時間空間だからこそ、その場においては
女性も「いいよ」もしくは「したい」と思ってくれています。(はず。)
それでも恥じらうのは、きっとこれから抱き合う男性がそうすると喜ぶことを知っているから。
そうではないかと私は思っています。
演技?
かというと、ちょっと違うのではないかと思っています。
擬態のほうが近いかな。
本気でなり切る。なり切っているから、それが素の自分じゃないことはわかっていても、
じゃあ演技なのかといわれると、そういうわけでもないというグレーゾーン。
なり切っているうちに、そうかもしれない、と思ってしまうような。
時々女の人がいう「スイッチを入れる」という感覚は、
それにも近いのかなあとも思っています。
なんか歯切れが悪いのは、私が女性の心を想像して書いているからですね。
でも、プライベート、快活問わず、
えっちにおいて「恥ずかしい」という気持ちを引き出して、
それと二人で向き合うということが、極上の愉しみ方だと思うのですよ。
そう考えると空間、時間、音楽、照明、会話、思い出、生身の触れ合い、
五感を解放して、彼女の恥ずかしさを引き出すことこそが、
前戯の前戯でありたいと思っています。
こうした「恥じらい」という現象そのものに、
すべてを賭けた物語が
「全恥全能の神」
私がチ部「恥と和解せよ」の本の中に
忍ばせておいた物語なのです。
============
文学フリマ東京!
文芸的露出狂集団チ部の部員として、私も出撃します。
5月4日、東京ビッグサイトです!
D−06ブースが我らがチ部の陣地です。

