アダルトチルドレン、成人経て躁鬱になる。
こんにちは、猫電波です。
自己紹介noteの続きなので、第一弾もぜひご覧ください。
成人した私に人生で最も辛い時期が訪れます。
実家を追われ、1人で生活し始めた私に本当の孤独と葛藤が。
発病要因の要素分解は別のnoteで発信しますので、
物語調で起こった事実をまとめていきます。
初めに
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1995年生まれ2児の父の猫電波です。
私はかつて人生のどん底にいました。
アダルトチルドレン/毒親育ち/躁鬱/
セックス依存症/借金/自己破産
これらの負のレッテルを抱え、誰も頼れずひとりぼっちでした。家から出れず、ただ毎日ベットで過ごす日々。お金がなくてご飯も食べられず、友達もいない。そんな私が人生をやり直すためにまず初めにしたこと。
それは、「自己理解」「精神分析」です。
なぜこんな状況なのか?
その具体的な行動と精神状態の理解。
過去の整理と自分の精神と向き合う。
時間をかけ一つずつ紐解いていきました。
今では負のレッテルを全て乗り越え、
人生を立て直して会社を経営し、
カフェと小売店を経営しています。
あなたの人生のどん底や悪癖はあなたの背ではない可能性が高いです。心療内科で病名をもらい、人生を諦めることは簡単ですがこのnoteに辿り着いたあなたはきっと
どうにかしたい・諦めたくない・改善したい・人生を立て直したい
そう思っているはずです。
私もかつてはそう願っていました。
私は幸運なことに自分で向き合う体力と気力、環境がありました。誰か助けてくれたらどんなに楽だったか。
その思いから、私の経験がその手助けになる事を強く願っています。
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「家追い出されたンゴ」
私が6歳の時に両親の別居が始まり、母・姉・私の3人暮らしでしたが各々の洗濯・洗い物は各自でやるというルールが敷かれ、家族関係は軽薄になってしまいました。
10代は実家で1人で過ごす時間がほとんどでした。
学校では常にいじめられ、友人も少なかったです。
とても寂しい思いをしました。
前回も記述した通り、母親は自立するための勉強とパートでお金を貯めていました。
つまりは、子育てをする余裕が彼女にはなかったんですね。
養育費は父親からもらっていたため、生活には困りませんでした。
でも欲しいものや必要なものは買ってもらえず、ただただ生きているだけ何も楽しいことも無かったです。
私にとっては当たり前の環境だったので家族を恨むこともできず、自分の状況も理解せずただ馴染めない社会を恨みました。
17歳の時に両親の離婚が決まり、財産分与の裁判が始まりました。
母親は会社をスタートするための資金が必要でした。
そのための財産分与ですね。
私が大学を卒業するまでは母親が実家で育てる。
というのが養育費を払う際の取り決めでしたので、私にとっては大きな不満がありました。
しかし、私の意見に耳を傾ける余裕は両親にはなく自分たちの為だけに財産分与の取り決めを進めました。
18歳になり、裁判が終わりました。
実家は売りに出すことが決まり、私・姉の5年間の養育費と財産の半分を母親は受け取りました。
そしてある日突然、家を出なさいと言われました。
私が大学を卒業するまでは売らないはず。私は腸が煮えくり返る思い出いで自分の気持ちを伝えました。
私の養育費は月に15万円だった為、そのお金を私が受け取り生活することを条件に家を出ました。
ちなみに売りに出した実家は立地が良かった為、すぐに売れました。
「実家が無いのほんま寂しい」
下宿先での生活がスタートしました。
とにかく寂しい思いで毎日のように実家やまだ家族4人で過ごしていた日々を思い出して泣いていました。
死にたい思いがより一層に強くなった私は壊れてしまいました。
朝起きて家で泣き喚き、学校へ行く。
夕方からバイトへ行き、協調性のない私は誰ともうまく行きませんでした。夜は友人と遊ぶ。その帰りには楽しかった反動で死にたくなって車で泣き叫ぶ。
まさに感情のジェットコースターでした。
約束の養育費はもらえず、そんなお金は貰っていないと母親は言い張っていました。(現在もですが。)
当時の時給は920円。
月8万円で生活できるわけもなく、あと3週間を300円で過ごさなければいけない。そんな日々が続きました。
大学で必要な費用を誰も払ってくれなかった。
父親に頼むと「母親に金は渡した」と拒まれ、「養育費を私は受け取っていない、お金がない」と伝えると「なぜ渡さない、あのクソ女」と電話であげる怒号。
母親に頼むと「父親は稼いでいるからそっちにもらえ」と拒まれる、「父親は養育費として渡しているからそこからもらえと言っている」と伝えると「そんなお金はもらっていない、あいつは殴ったから金は幾ら払っても当たり前だ」と電話であげる怒号。
実際、父親は大学の授業料を払ってくれていた。
言い分に間違いはない。
だが母親は感情でキレ散らかすだけなので、話し合いにならない。話を聞いてくれる父親に頼むしか無かったが、後ろめたかったので教科書代などのなるべく自分で払えるものは払った。
私はとにかく寂しかった。
本当にどうしようもない時だけ頼む様になった。
いつものように押し付け合いが始まり、私をそっちのけ両親だけで話し合うように。
結果はいつも「私が嘘をついているからお金を渡さない」ということになった。
何を言ってるのか、わからないですよね。
私もわかりませんでした。
要するに「私が両親に二重請求して金を騙し取ろうとしている」だから払わなくていい。
という理論でした。
気がつくと寂しさは憎しみへ変わっていきました。
両親とも家を買い
新しいパートナーを作り
高級車に乗っている。
一方で私は六畳一間でご飯も食べられず、電気水道ガスが止まることが当たり前になっていきました。
「そりゃ躁鬱にもなるわな」
そんな生活が3年続き、気がつくと躁鬱になっていました。
全く自覚はなかったのですが、「30分ごとに人が変わったようになる」と友人に言われ「頭がおかしくなってきている、病院に行け」と忠告される様になりました。
一日の中で感情の波が数えきれない程に動き続け、コントロールが効かなくなっていました。ふと我にかえるとなんてことを言ってしまったんだと後悔の念に襲われることも増え、それがまた精神を病ませていました。
連絡先もSNSも削除して誰とも関わりたくなかった、関わると傷つけるし傷つくからと本気で思っていました。
気がつくと自ら友人を遠ざけ、孤立した。
一日の中で死にたいと思う回数が増え、夜も寝ることができずご飯も食べられない。電気水道ガスは止まり、誰も助けに来ない。
本当の絶望でした、でも自力でなんとかする力もない。ただいつまで続くかわからない苦しみを味わう毎日でした。
子供の頃から母親に否定され続けた私は、家族という集団において自責をするのが癖でした。
その為、憎しみを抱きつつも私は親を責めきることができませんでした。どこかで必ず自分のせいにしていました。
それが躁鬱になった私の一番大きな要因だったと整理しています。
この頃から朝起きると汗と失禁でベットがぐちゃぐちゃになっていることが増え、またそんな自分に自己嫌悪する。
自責も限界を迎えるといよいよ本格的に現状を社会のせいにする様になりました。
バイト先でも怒りを振るう様になり、学校では教授に怒る。
そうして居場所をなくし、家に引き篭もる生活が始まりました。
21歳の時です。
もちろん生活費などなく、頼れる人などおらず。カードローンやリボ払いの形で借金をする様になりました。
「時には誰かのせいにしていい」
ざっくりと説明してきましたが、どうでしょう?
まぁよくある話です。
共感していただける人も多いんじゃないかと思いますが、ここでキーワードになるのは「責任」です。
誰も子供の私への責任を持たなかったんですね、私でさえも。両親は子供を育てることよりも自分の人生を優先しました。1人の人間としては当たり前のことかもしれませんね。
でも、責任が持てない人間は自分の人生を生きていないことが多いです。他人から利用されたり、何かに従い大きな者の為に生きたり。それは人生というのでしょうか?
私もそのうちの1人でした。
私は自分を守るために全て他人のせいにしました。
そんな時期があったからこそ、今日まで生きてこれました。
時には誰かのせいにしていいんです。
でも、現状に悩んでいるからこそこの記事に辿り着いてくれたんだと思います。その時点であなたはどうにかしたいと思い、責任を背負っています。
素晴らしいことです。
私も自分に責任が持てず、他人を攻撃してどん底へ落ちました。厳しいことを言う様ですが、全て自分の責任です。
過去の自分を許し、他者を、社会を許して自分の人生に責任を持って生きていく。生き続けるのであればこれしかありません。
諦めず、どうか自分と向き合ってあげてください。
必ず乗り越えられます。
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