『愛猫がくれた「魔法」の言葉 —— 捨て猫との20年が私をTEDxの舞台へ導くまで』第6話
『「食べられない」が教えてくれたこと ——肉を拒絶した身体と、動物たちの声——』
その日の夜から、私の身体に異変が起きた。
晩ご飯に肉を口にしようとした瞬間——
ものすごい吐き気が込み上げてきた。
「まぁ、今日は疲れてるのかもしれないし
仕方ないよね?」
その時は、そう自分に言い聞かせた。
だけど翌朝、魚を箸でつまんで口に入れた途端——
「これは食べ物ではない」
まるで、自分の身体が直接そう告げているような感覚だった。
日常の当たり前の食事のはずなのに、肉や魚が何かの死体に見えたり、近づけるだけで吐き気が込み上げる。
気づけば私は、野菜と果物と穀物以外
一切受け付けない身体になっていた。
急に体質が変わった私は、食べられるものを探すのが日課になった。
コンビニやスーパーで食べ物を手に取るたび
まず目が向くのは裏面の食品表示。
肉や魚が含まれていないものを探すのが、
これほどまでに骨の折れることだとは、思いもしなかった。
ちょうどその頃、作品作りを通じて出会った仲間たちと、大阪のギャラリーでグループ展を企画していた。
私はそのグループのリーダーも務めていた。
初めてのことばかりの中、
「どうすればよい展示になるのか?」
そのことばかりを、毎日考え続けていた。
ギャラリーのオーナーは、アメリカ人のご主人がいる女性。
作家に対して厳しい言葉も容赦なく投げかける彼女だったが、私が会うたびに痩せ細っていくのを見て、さすがに心配になったらしい。
顔を合わせるたび、いろんな食べ物を買ってきてくれて
「あんた、これ以上痩せたらあかんで」
私を太らせようと必死だった。
自分では気づかなかったけれど——
肥満ではないかもしれないけど、以前は太っていると自覚していた。
だけどある日、鏡をふと見た時、いつも着ていた服がダボダボのオーバーサイズに見えるくらい痩せていることに、初めて気がついた。
展示は無事成功し、その後も私はギャラリーで個展を開いたり、コンクールに応募したりする日々を過ごした。
だけど、食べられないものが多いせいで、仲間たちと外食に行けなかったり、心ない言葉を掛けられたりすることが続き——
そのうち、私はまた一人で行動するようになっていた。
私の家では、それ以外にも変化があった。
私が部屋で作品を制作していると…
膝にクロが座っている。
「えっ?」と思い二度見すると、そこには誰もいなかった。
足元に、ふわふわする感触を感していますて見てみると、クロがしっぽを立ててすり寄る
同居している私の母も
「冷蔵庫からチーズを取ろうとしたら、
クロが足元にいた。」
と驚いていたり
階段の死角からしっぽだけが見えたり
そんな不思議な現象は、クロが亡くなって数年続いた。
アニマルコミュニケーターになるための勉強がきっかけでそれが、亡くなったペットの里帰りだと知った。
そんな頃、テレビで「志村どうぶつえん」という番組が放送されていた。
そこに出演していたハイジさんがきっかけで、
私は「アニマルコミュニケーター」という言葉を、
生まれて初めて耳にした。
なんか、この人——私と似てる。
見た目や容姿ではなく、なんとなく似ている何かを感じた私は、ハイジさんの本をネットで取り寄せて読んでみることにした。
そこに書かれていたのは、ハイジさんの生い立ちや、過去のアニマルコミュニケーションのセッション記録だった。
それを読んでいる時、ふと母から聞いた話が頭に浮かんだ。
私は小さい頃から動物が大好きで、同世代の子供が怖がって泣いてしまうような大きな動物でも、私は一度も怖がったことがなかった。
噛み犬で危ないと言われていた犬と仲良くなって、周りの大人たちを驚かせたこと。
道を歩いていると、野良猫や野良犬が後からついてきて、困ったこと。
——私、知らない間にアニマルコミュニケーションをしてるんだ。
その事実に、はっと気がついてしまった。
子供の頃は、「人と違うね」とよく言われた。
母は「個性は宝物だよ」と教えてくれたけれど、私は自分に何か問題があるのかと思って、その言葉がすごく嫌だった。
「みんなと同じでないといけない。」
その言葉も嫌だった。
そんな私も今なら思う。
結局誰も同じ人間なんかいない。
だから人は素晴らしいのかもしれない

《第7話》
