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今日の講義:ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』

おう、お前ら! 席に着け!源二だ。
今日は、一度足を踏み入れたら二度と元の世界観には戻れないと言われる、禁断の書物について語る。
その名も、ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』

なんだその顔は。「ボルなんとか…?」って顔してるな。大丈夫だ。知らなくて当然。だがな、今日この授業が終わる頃には、お前らはボルヘスという名の魔法にかかってる。「アイデンティティ」だの「パラダイムシフト」だの、小難しい言葉の意味が、身体でわかるようになる。
世界が、まるで万華鏡みてえに、キラキラと、そして不気味に見え始めるはずだ。


そもそもボルヘスって誰よ?――盲目の図書館長が見た宇宙

まず、このとんでもねえ本を書いたホルヘ・ルイス・ボルヘスってオッサンについて話しておこう。こいつはアルゼンチン生まれの作家だ。だがな、ただの作家じゃねえ。詩人であり批評家であり、そして何より国立図書館の館長だった男だ。

ボルヘスは何度も候補に上がったが、結局ノーベル文学賞は受賞できなかった。
理由の一つに、アルゼンチンの軍事政権に対して
ボルヘスが微妙な態度を取ったからなんて言われてる

図書館長、いい響きだよな。本の虫、知識の巨人って感じがするだろ。その通りだ。ボルヘスは若い頃から、世界中のあらゆる本を読み漁った。ギリシャ神話から中国の古典、カフカから日本の『源氏物語』まで、古今東西の物語が全部、彼の頭の中に詰まってた。まさに歩く図書館だ。

だが、運命は皮肉なもんだ。遺伝性の病気で、彼の視力はだんだん失われていく。本をこよなく愛した男が、本の文字を読めなくなっちまうんだ。 普通なら絶望するよな。だが、ボルヘスは違った。
彼は言った。「神は私に、書物と夜を同時にお与えになった」と。
かっけえだろ? 目が見えなくなった代わりに、彼は頭の中に
自分だけの図書館、いや、自分だけの宇宙を創り始めたんだ。

彼の書く物語は、いわゆる普通の小説とは全然違う。
短い、めちゃくちゃ短い。原稿用紙で十枚かそこらの話ばっかりだ。
だがな、その数ページの中に哲学、数学、神学、歴史が、まるでブラックホールみてえに圧縮されて詰め込まれてる。だから彼の作品を読むことは、物語を読むっていうより、誰かの奇妙で美しい「夢」を覗き見るような、あるいは難解な「暗号」を解読するような体験なんだ。
ボルヘスの作品は、小説のフリをした思考実験なんだよ。

『伝奇集』ってどんな本?――二つの迷宮への招待状

さて、本題の『伝奇集』だ。この本は、大きく二つのパートに分かれている。というか二冊の短編集『八岐の園(やまたのその)『工匠集(こうしょうしゅう)を合わせて出版されたものだ。
名前からしてヤバいだろ。ヤマタノオロチみてえに道が分かれまくってる庭と、神みてえな職人たちが作った仕掛けのコレクションだ。

この本全体を貫く、超重要なキーワードがある。それは、「迷宮」「図書館」「無限」「時間」「鏡」「夢」「分身」「百科事典」だ。

お前ら、「迷宮」って聞くと、ただの迷路を思い浮かべるだろ? だがボルヘスの迷宮は違う。物理的な壁でできた迷路だけじゃない。時間が枝分かれする迷宮、書物の中に広がる無限の図書館という迷宮、自分とそっくりな他人が現れる鏡の迷宮。 俺たちの生きるこの世界そのものが、出口のない巨大な迷宮なんじゃねえか? ボルヘスは、そういう根源的な問いを、物語っていう形で俺たちに叩きつけてくるんだ。

彼の物語の登場人物は、大体何かを探してる。古文書の謎、ある男の正体、宇宙の真理…。だが、探せば探すほど、自分がいる場所がわからなくなり、探している自分自身が何者なのかすら、わからなくなっていく。まるで、合わせ鏡の中に迷い込んだみてえにな。この感覚、わかるか? インターネットで調べ物してたら、いつの間にか全然関係ない動画見てて、「俺、何したかったんだっけ?」ってなるだろ。あれの、もっと壮大で、もっと哲学的なバージョンだと思え。

代表作をぶった斬る!①「バベルの図書館」――情報の洪水で溺れ死ぬ

じゃあ、具体的にどんな話があるのか、いくつか紹介してやろう。まずは、ボルヘスといえばこれ、「バベルの図書館」だ。

想像してみろ。宇宙が、ぜーんぶ図書館なんだ。六角形の閲覧室が、上にも下にも、前後左右にも、無限に、蜂の巣みてえに繋がってる。その図書館には、この世に存在しうる、ありとあらゆる本が収められている。いいか、「ありとあらゆる本」だぞ。25種類の記号のその組み合わせで作れる全ての410ページの本が、一冊残らずそこにある。

ボルヘスによると図書館にある本はすべて同じ体裁をしていて、 ページ数=410。
1ページ=40行、1行=おおよそ80文字。文字は「22種類+句読点2種+スペース」で、合計25種類

そこにはシェイクスピアの全集も、お前らが書いた卒業文集も、完璧な未来の予言書も、神の存在を証明する究極の真理が書かれた本も収められている。だが同時に、意味のない文字の羅列だけの本、「あああああ…」って最初から最後まで書いてある本、「MCV MCV MCV…」って繰り返すだけの本なんかが、ほとんど全部を占めてるんだ。

図書館の住人たちは、人生をかけて「意味のある一冊」を探し求める。
だが、それは無限の砂漠でたった一粒のダイヤを探すようなもんだ。何百年探しても、見つかるのは意味不明なガラクタ本ばかり。やがて人々は絶望し、狂っていく。真理の書を求めて争い、偽物の預言者に騙され、本を破り捨て、ついには自殺する者まで現れる。

現代のインターネット社会みたいだよな。ググればどんな情報でも手に入る。だが、そのほとんどはゴミ情報、フェイクニュース、誰かの悪意に満ちた書き込みだ。俺たちは情報の海の中で、何が本当で何が価値のあることなのかを見失いかけてる。ボルヘスは、インターネットなんて影も形もなかった時代に、この「情報の無限地獄」を予見してたんだ。知識が無限にあるということは、無知であることとほとんど同じなんだよ。 この恐ろしさ、わかるか?

代表作をぶった斬る!②「円環の廃墟」――お前は、誰かの夢じゃないのか?

次に紹介するのは「円環の廃墟」。これもゾッとする話だぜ。
ある南の国のジャングルに、円形の廃墟と化した寺院があった。そこに一人の魔法使いがやってくる。彼の目的はただ一つ。
「夢の中で人間を一人、創り出すこと」。

主人公の魔法使いには名前が一切出てこない。
名前を与えられなかった=「実体がない存在」っていう仕掛けでもある

彼は来る日も来る日も廃墟で眠り続けた。夢の中で、彼はまず完璧な心臓を思い描く。次に内臓を、骨格を、そして最後に顔のパーツを、一つ一つ丹念に創り上げていく。何年も何年もかけて、彼はついに完璧な「息子」を夢に見ることに成功する。彼はその息子に、現実世界で生きるための知識を全て教え込み、火を恐れないように特別な魔法をかけて、別の寺院へと送り出した。

息子は現実世界で、奇跡を行う聖人として人々に崇められるようになった。創り主である魔法使いは、自分の創造物が現実として生きていることに満足し、静かに死を待っていた。

ところがある日、近くで山火事が起こる。炎はあっという間に広がり、魔法使いのいる円環の廃墟にも燃え移った。彼は死を覚悟し炎の中へ歩いていく。だが…どういうわけか、炎は彼を焼かない。彼は少しも熱さを感じない。その瞬間、彼は全てを悟るんだ。

「自分もまた、何者かによって夢見られている存在にすぎないのだ」ということをな。

どうだ、鳥肌立ったか? 古典の授業でやっただろ? 荘子の「胡蝶の夢」だ。「俺が蝶になる夢を見ていたのか、それとも蝶が俺になる夢を見ているのか」。現実と夢の境界線が崩れ去る瞬間の、圧倒的な恐怖と美しさ。 俺たちの人生も、実はどこかの誰かが見ている壮大な夢のワンシーンなのかもしれない。お前らが仕事で悩んでるのも、恋に破れて泣いてるのも、全部壮大な夢のシナリオ通りだとしたら…? この構造は、映画の『マトリックス』や『インセプション』にめちゃくちゃ影響を与えている。

代表作をぶった斬る!③「八岐の園」――選ばなかったもう一つの人生

最後に、この本の代表作である「八岐の園」について話そう。
こいつは一見、ただのスパイ小説だ。主人公はドイツに雇われた中国人のスパイ。第一次大戦の真っ只中で、イギリス軍のヤバい機密を掴んだ。それは「アルバート」という町にある砲兵陣地の情報。だが、敵の追っ手に嗅ぎつけられもう後がない。どうやって「アルバート」という地名を伝える?

絶体絶命の状況で、彼は一つの狂った計画を思いつく。
「俺が殺される前に誰かを殺して新聞に載る。その記事に『アルバート』という言葉を紛れ込ませるんだ」
彼は電話帳を開き、「アルバート」という名前の人間を探す。
もちろん殺すためだ。
そして見つけたのが、「スティーヴン・アルバート」
ドイツ軍の上官は暗号に気づくはずだ。「目標はアルバートだ」と。

屋敷で彼を待っていたのは信じられない偶然だった。
このアルバートという男は、なんと主人公の曽祖父が書いた奇妙な小説『八岐の園』を研究していたんだ。

ここ、本当におかしくないか?
「なんで殺しに行った相手が、よりにもよって自分のルーツとつながってんよ?」って思うだろ?
でも、これがこの話の肝なんだ。アルバートは主人公にこう語る。
「君の曽祖父の小説『八岐の園』は、登場人物が何かを選ぶたびに、物語が枝分かれする。『勝つ未来』『負ける未来』、その全ての可能性が同時に存在する、時間の迷宮なんだ」と。

つまり、ボルヘスが言いたいのはこうだ。
この世界そのものが、『八岐の園』だ。
世界は無数の可能性が枝分かれし、信じられないような偶然がそこら中で起きている巨大な迷宮だ。俺たちが普段「ありえねえよ」って笑うような偶然も、無数に広がる未来の枝の一つに過ぎない。

主人公は、「アルバートという人間を殺す」という枝を選んだ。そしたら、その枝の先がたまたま「自分の曽祖父の研究者に行き着く」という、
とんでもなく皮肉で、運命的なルートだった。ただそれだけなんだ。

この話のヤバさは、スパイ小説の皮を被りながら、「運命」とか「偶然」とか、そういうもんの正体を暴こうとしてるところにある。
俺たちの人生だってそうだろ?無数の選択と偶然の積み重ねだ。ボルヘスは「その『もしも』の世界、全部どこかで同時に存在してるんじゃねえか?」と考えた。これは現代物理学の「多世界解釈」っていう考え方にそっくりだ。ボルヘスは科学者じゃねえのに、文学の力だけで、宇宙の真理に殴り込みをかけてたんだよ。

なぜ今、ボルヘスを読むのか?――脳みその筋トレをしろ!

さて、もう頭がクラクラしてきたか? それでいい。それが正常な反応だ。
ボルヘスの物語には、わかりやすい教訓も、感動的な結末もねえ。読んだ後に残るのは、混乱と世界の不確かさだけだ。
じゃあ、なんでこんなもんを読む必要があるのか。

ボルヘスを読むことは、脳みその筋トレなんだよ。
ボルヘスの迷宮に迷い込むことは、「正解のない世界」で生きるための、最高のトレーニングになる。一つの視点に凝り固まるな。常識を疑え。世界はもっと複雑でもっと奇妙で、もっと美しいかもしれないってことを、教えてくれる。

情報の洪水に溺れそうになったら、「バベルの図書館」を思い出せ。
自分のいるこの現実がクソみてえに思えたら、「円環の廃墟」を思い出せ。
過去の選択を悔やんで立ち止まりそうになったら、「八岐の園」を思い出せ。

ボルヘスは親切な地図をくれない。どっちの道に進むか、どの本を手に取るか、どの人生を選ぶかは、お前ら次第だと語りかけてくるだけだ。

騙されたと思って『伝奇集』を読んでみろ。最初は意味がわからねえかもしれねえ。だが、その「わからなさ」を楽しめるようになった時、
お前らの知性は、間違いなく一段階上のレベルにジャンプしてるはずだ。

よし、今日の授業はここまでだ! 頭から煙が出てるやつがいるな、いいぞ! しっかり復習して、自分だけの迷宮を探検してみろ! じゃあな!

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