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「迦陵頻伽(かりょうびんが)の仔の渡岸」(七)

前回「迦陵頻伽の仔の渡岸」(六)

 ……もう一年くらいは経つかな? この高原に来るよりも前、まだずっと北東の方にいた時の話だ。
 その頃のおれたち、ラクダに乗って砂漠を旅してたんだよ。ここらへんよりもずっと干からびた、砂だらけのひでぇ土地をさ。水も食い物も休める場所も、そうそうお目に掛かりゃしない。それに、どれだけ行っても似たような景色ばっかり続いて、ちっとも先に進んでる気がしないんだ。最悪だぜ、最悪。

 だけど、たまには『悪くないな』って感じた時もあってさ。
 莫高窟ばっこうくつ※1 って洞窟に立ち寄った時のことだ。莫高窟も面白い所だったけど、余計な話してるときりがないから、今は置いとくな。
 ともかく、そこのすぐ近くで凄いものを見た。今まで歩いてた所が夢だったみたいに……いや、まるでおれの方こそ夢見てるみたいに、たっくさんキレイな水が湧いてて、大きな泉ができてるんだ。
 当然、そんな都合のいい場所、おれたちだけで独り占めできるわけないよな。泉のまわりに商隊なんかが集まって、ちょっとした村みたいになってた。食い物とか織物を売る露店があったり、托鉢たくはつ※2 する坊さんがいたり、ずいぶん賑わってたな。


 泉のほとりにあったちっちゃな隊商宿に、おれたちは泊まることになった。
 宿って言っても、立派な建物なんかなくて、ただ大きな天幕を張ってあっただけなんだ。寝床は汗臭いし砂埃でざらついてたけど、久々に野宿しなくてもいいってだけで満足だった。天幕張りも火起こしも、毎日やってるとしんどいからな。


 で、のんびり休もうと思ったら、全然眠れなくてさ。大酒飲みの商人どもが外でうるさくってよ。あんな時に寝れるの、よほど図太いやつだけぜ。
 二人でぶつくさ文句言ってたら、そのうち声が聞こえなくなった。みんな酔い潰れちまったんだろうな。隣のデカブツも安心したみたいで、いつの間にか眠りこけてたぜ。
 おれは天幕を抜け出そうとした。昼間からずっと、泉の中に飛び込んで水浴びしたかったんだ。ふだんは『一人でうろつくな』って言われてるけど、起きてる人の気配もしなかったし、今なら大丈夫だと思ってさ。


 外に出たら、岸辺のあちこちで燃えてたはずのかがり火が消えてた。さかずきを持ったまま眠りこけてる商人どもが、あちこちに転がってたぜ。
 灯りもなしに、何でそんなことわかるのかって? ちっとも外が暗くなかったのは、かがり火よりもずっと小さいものが光ってたからだった。
 砂粒みたいな沢山の光と、まぶしいくらいに明るい月が二つ。


 そう、二つもあったんだ。浮かんでる月が、星と一緒にくっきりと泉に映り込んでた。まるで星空が地面まで広がってたみたいで、酒の臭いにあてられて、おれまで酔っちまったかと思ったぜ。
 あまりに驚いたんで、おれは水浴びするのも忘れて突っ立ってた。二つの月と沢山の星を見てたら、足よりも先に口が動いたんだ。

古人今人若流水こじんこんじん りゅうすいのごとく
(過去の人も現在の人も、皆流れる水のように去りゆくが)
共看明月皆如此ともにめいげつをみて みなかくのごとし
(いつの時代の人も皆、明月を見ながら願う)
誰願當歌對酒時ただねがう うたにあたり さけにたいするとき
(歌を歌い、酒を交わす時には)
月光長照金罇裏げっこうとこしえに きんそんのうちをてらさんことを
(黄金の壺の中の酒を、永久に月光で照らしてほしいと)※3

 吐蕃そっちの言葉じゃなくてごめんな。百年くらい昔、とうに住んでた酒好きのおっさんが詠んだ詩なんだってさ。おれは酒なんて呑んだことないけど、少しだけ言いたいことがわかる気がした。


 そしたら、風が吹いた。で、砂が鳴いて、星空が半分揺れたんだ。
 あの辺りの砂、ちょっと変わっててさ。砂と砂がこすれ合うと、きりきり鳴き声がするんだよ。そのまんま『鳴き砂』とか言われてるらしいけど、どうも捻りがないよな。
 ともかく、鳴き声に合わせて、星と月が水面で揺れるんだ。唄に合わせて踊ってるみたいにさ。
 それがあまりに楽しそうで、今度こそおれは泉に飛び込んだ。服着たまんま、思いっきりな。
 高い波が立って、もっと水面が激しく揺れた。もちろん、星と月もいっしょだ。
 腰くらいの深さの水の中で、おれは踊った。風と砂と水と夜空と、いっしょになって踊った。
 そして、踊りながらまた唄ったんだ。さっきとおんなじ、酒好きの詩を。

我歌月徘徊われがうたえば つきははいかいし
(私が歌えば、月は彷徨さまよい)
我舞影零乱われがまえば かげはりょうらんす
(私が舞えば、影はゆらめく)
醒時同交歓せいじは ともにこうかんし
(酔いから醒めた時は歓びを交わし)
酔後各分散すいごは おのおのぶんさんす
(酔った後は別れゆく)
永結無情遊ながく むじょうのゆうをむすび
(月と影と、永く親しく交わって)
相期邈雲漢あいきして うんかんはるかなり
(遥かなる天の川で再会を誓う)※4

 全くよ、酒ばっかりだな。月と酒、どっちが大事だってのかね? 酒ってそんなに美味いもんなのか? ……まあいいや。
 星なんて毎晩見てるしさ、でっかい泉だっていくつも通り過ぎてきた。でも、あそこまで心に残ってる景色は他になかったな。もう砂漠なんか通りたくないけど、悪くない場所だったよ。あの時おれが見た全てのものは、この先いつどこに行ったって、ずっと忘れないと思うんだ。


 おれの話は、これでおしまい。長くなっちまって悪かったな。
 ──あ、西の方を見てみろよ! 明星みょうじょう※5 の周り、いつの間にか凄い数の星だぜ。だんだん、月もくっきり見えてきたな……。

「迦陵頻伽の仔の渡岸」(八)へ続く

※1 莫高窟 現・敦煌とんこう市にある、仏像・仏画が祀られた数百個もの洞窟の総称。近くの砂漠に湧く泉は、今日では月牙泉げつがせんと呼ばれる。
※2 托鉢 出家者が在家者から食料等の布施を受ける行為。
※3 李白りはく(701-762)の詩「把酒問月」(酒をりて月に問う)の一部。
※4 李白の詩「月下独酌」(月の下で独り酒を飲む)の一部。
※5 明星 金星。俗に言う一番星。


本作は「迦陵頻伽かりょうびんがは西へ」シリーズの一編です。
過去のエピソードは以下のマガジンをご参照ください。
また、小説投稿サイト:カクヨム・caitaでも並行して連載しております。


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