見出し画像

映画『マイケル』2度目の鑑賞。彼が「運命(Destiny)」を受け入れた瞬間

映画『マイケル』を観てきた。今回は2度目の鑑賞となる。
単なる音楽の伝記映画を超え、一人の人間の魂の軌跡を見つめるような本作。
1度目と2度目では、心に響くポイントが全く違っていたことに自分でも驚いている。

前回の鑑賞では、マイケルが抱え続けた「コントロールできるもの」と「できないもの」の境界線での葛藤に強く心を打たれた。
メディアの狂乱や父親の支配という「自分ではどうにもならない外部の力」に翻弄されながらも、自らの意志で統治できる内なる領域を守ろうとする姿。
過酷な運命に対する反逆としての「重力からの解放(ムーンウォークやゼロ・グラヴィティ)」。
絶対的な才能を持ちながら精神の均衡を保とうと闘う彼の姿に、不条理な現実を生きる私たちへの重い問いを感じ取った。

しかし、2度目の今回、私の胸に最も深く突き刺さったのは、彼がペプシのCM撮影で大火傷を負い、死の淵を彷徨ったエピソードだった。
死に直面したことによって、マイケルの死生観は劇的に変わる。
そして、自分に与えられた過酷な運命を静かに、しかし確固たる意志で受け入れていく。

その覚悟が最も象徴的に表れていたのが、このセリフだ。

"I have to shine my light spread love and joy to heal."
(僕には光を輝かせ、愛と喜びを広めて人々を癒やす使命がある)
"That's my destiny."
(それが僕の運命なんだ)

この言葉を発した時こそが、彼が自らの運命を受容した決定的な瞬間だったのだと思う。
ただのエンターテイナーであることを超え、「人々を癒やす」という自らの存在意義を悟った瞬間。
自らに与えられた運命を愛し、受け入れる。
そこから逃避するのではなく、自らの力で光に変えていく。
英語のセリフの響きそのものから、その決意の純粋さと力強さがストレートに伝わってきた。

なぜ今回、このシーンがこれほどまでに僕の心に響いたのか。
それは、僕自身の経験と深く重なったからだ。

かつて、僕も大腸に悪性腫瘍(神経内分泌腫瘍)が見つかり、リアルに「死」を意識した時期があった。
人間はいつか必ず死ぬ。
その避けられない絶対的な運命を前にしたとき、自分の中で明確な死生観が形作られた。

60歳という節目で第一線を退き、引退を決意できたのも、実はこの悪性腫瘍のおかげだと思っている。
死の可能性と向き合ったからこそ、それまで背負ってきた社会的役割やノイズから解放され、残りの人生を自分の「内なる領域」に従って生きる覚悟が決まった。

マイケルにとっての火傷の事故がそうであったように、僕にとってもあの病は、人生の残り時間をどう生きるかという「運命」を引き受ける最大の転換点だった。

死を意識したことで生まれた、死生観。
マイケルが死の淵で自らの運命(Destiny)を悟り、光を輝かせる使命を受け入れたように、僕もまた、自らの「使命」とは何かを今、この沖縄の地で探している。

使命とは、文字通り「命を使う」と書く。
僕が残りの命をどう使うことができるのか。今の自分になにができるのか。
社会的な役割から降りた今だからこそ、自分の内なる声に耳を澄ませて、この沖縄の地でゆっくりとその答えをさがしていきたい。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集