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スランプは遭難に似ている。できるはずの自分が動けなくなったら

スランプには、自分にできるはずのことができない、という自己認識があると思う。

調子のいい時期には、できればやるし、できないならできるようになる、あるいは諦める。動きはシンプルなはずだ。そんなときは、なんの疑問もなく、分かれ道のたびにルートを選んで登っていく。

でも、調子のいい時には、見えない象限がある。できると、できない、の軸に加えて、自己認識の、できると思ってる、できると思ってない、という二軸があることに気づく。 
図の第四象限がスランプだ。第一象限にいるときには、見えにくい。

できるかどうかと、できると思うかどうか。

できると思ってるのにできない、と、混乱する。

思ってた場所に着かない。
この先に行きたかった場所があるのか?
このまま前に進んでいいのか?
それとも引き返すべきか?

あるいは。
なんだか、予想外に天候が悪くなってきた。
この道でいいのかもしれないが、このまま進むことができない。どうしたら。
いや、どうしようもないんだが。だから困ってるんだけど。

うん、無理だ。となった時、私は、そこにテントを張って、ビバークする。
そして、なるべく消耗しないようにしながら、今の自分の状態を確認する。

ビバークするときは、「なんでこうなったの?」と自分の判断ミスを探しがちだけど、なぜできると思ったのか、その理由は別に、間違ってないことが多いと思う。

前にできていたから、あるいは、似たようなことができた経験があるから、できると思ってる。
それは過去のデータに基づいた、合理的で正しい判断だ。全然悪くない。その時点では。

だから、体力と装備を確認して地図を見ることは、第四象限から、めでたく第一象限へ行くにせよ、いったん、第三象限へ下山するにせよ、まずは有効だと思う。

実は前提条件が変わってるな、とか、自分側で昔持ってたものが、今は足りないかなあ、とか。
いやいや、間違ってない、待つか、とか。
装備なり天候なり、体力の回復なり、ここからまた登るのに要るものが、分かる可能性がある。

ちなみに、みんな「第一象限に戻りたいんだよ!」という気持ちだと思うんだけど、私自身は、あまり再登山はしてこなかった。

厳密にはスランプではないのかもしれないけど、自分が第一象限から落ちてしまった時のことは、覚えている。
あまりカッコいい話ではないんだけど。
むしろカッコわるいんだけど。

仕事で担当の業務がすごく減った時期、何かできることを探していたが、結局、実になるものは得られなかった。
仕事側がどうだったかはともかく、その時期は、わたしの人生において「ダイエットを成功させた年」と名前をつけて保存されている。

その後転職したら、いきなり肺炎になり、まだ有給がろくになかったので、制度都合で休職になってしまったことがあった。
配属後の出遅れをクヨクヨしていたが、無駄に長い休みを使って英語学習を始めて、後にTOEICを510点から最高950点まで上げられた。
私の人生において、あれは「英語学習を始めた年」だ(まあ、学習を始めたのはその時でも、900超えるのには10年以上かけてしまったので、飛び抜けた効果ではなかったが)。

だから、第一象限から落ちてぼう然とする時、
「出口は、天井だけではなくて、実は左手にも開いている」ということは、心の片隅にあってもいいかもしれない。

どちらも出口ではある。
そして、第四象限でビバークし続けても別にいい。
そんな時期には、また違う景色が見えるし、後から思い出話にも、できると思っている。

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