一人称のukka(2025/5/10 ukka 10th Anniversary Live vol.2 第2部 茜空プロデュースワンマンライブ「〜響く、青春小節。〜」)
カバー画像は、ukkaの公式X(旧twitter) から引用させていただきました。
(※以下の文中、敬称略で失礼します。また、ライブの内容や引用したメンバーの配信内容、そこからの解釈については記憶に基づく部分も多く、実際と異なる点があるかもしれません。ご容赦ください)
春が来ると、気持ちが浮き立つ。
夏は、暑さにうんざりしながらも、どこかはしゃいでいる。
秋には、ほんの少しセンチメンタルになるし、
冬には、理由もなく胸の奥が少しだけ熱くなる。
それはきっと、子どもの頃から変わらない感覚だ。
ただ、年齢を重ねるにつれて、その揺れは少しずつ奥に沈み、
目立たない場所で、けれど確かに続いている。
もう「青春」という言葉を素直に受け入れる年齢ではない。
けれど、心に小さな揺れが訪れるたびに、
まだどこかで春を感じている自分がいる。
響く、青春小節。
2025年、ukkaは前身の“桜エビ~ず”時代を含めて、結成10周年を迎える。
この節目の年に、ukkaは「10th Anniversary Live」と題して、ほぼ毎月メンバーがプロデュースするワンマンライブを開催している。
先月4月の結城りなプロデュース公演に続く第2弾は、久しぶりの横浜1000clubで、茜空プロデュース公演だった。
第1部では、同じ事務所のデビュー同期として切磋琢磨してきた、いぎなり東北産と6年ぶりのツーマンライブが行われ、そしてその後に続く第2部が、今回の公演だった。
公演のタイトルに、茜空が選んだのが「響く、青春小節。」
グループのコンセプトとして、3年前にWebページに掲げられた言葉だった。
年齢を重ねるごとに、「青春」という言葉からは、もうずいぶん距離ができてしまった。
それでも、その言葉を目にしたり耳にしたりするたびに、春夏秋冬それぞれの小さなゆらぎが、心のどこかをそっと揺らしていく。
折からの雨もやみ、さわやかな夕刻の風を感じられる5月。
春の浮き立つ気持ちを押さえきれないまま、先月の川崎に引き続き、今月もじっと開演を待っていた。

セットリスト
(ライブ中の注意事項に関するVTR)
- オープニング映像 ー
M1. アフタヌーン・グラフィティ
M2. 僕らのハジマリ
M3. 初恋模様
M4. Poppin’ love!!!
- interlude(茜空、宮沢友、結城りな) ー
M5. ティーンスピリット
M6. まわるまわるまわる
M7. 灼熱とアイスクリーム
M8. エビ・バディ・ワナ・ビー
- interlude(芹澤もあ、若菜こはる) ー
M9. グラジェネ
M10. 嘘とライラック
- interlude(村星りじゅ、葵るり) ー
M11. 透明
M12. 結び目
M13. Trip To The TKY
- interlude ー
M14. Glow-up-Days
M15. さいしょのさいしょ
M16. AM0805の交差点
M17. TAiLWiND
EN0. We are...
EN1. TOUTOI
EN2. タリルリラ
EN3. リンドバーグ
- MC ー
EN.4 Rising dream
オープニング:放課後の教室のように
開演に先駆けて、ライブ中の注意事項を伝えるVTRが流れる。
宮沢友と若菜こはるが、ちょっとたどたどしく、それでも一生懸命にアナウンスを読み上げる。
その様子に合わせて、ほかのメンバーたちが思い思いに動きまわる。
まるで、青春なんてまだ先にある年頃の小学生たちが、放課後の教室でふざけ合っているような、そんな自由で楽しげな空気が画面いっぱいに広がっていた。
暴れる客を退場させる場面では、芹澤もあがあっさりと画面の外へ連れ去られてしまう。
「それでは、まもなく開演です」
こんな空気で始まるなら、もう心の準備をするしかない。
客電が落ちると、無人のステージに、「響く、青春小節。」の一連の文章を読み上げる茜空の声が静かに響いた。

朗読が終わると、スクリーンにアニメやドラマのオープニングのような映像が映し出される。
これから出てくるメンバーの名前が、ひとりずつ紹介される。
ちょっとしたYouTube番組のテロップのような、親しみと非現実の間にある映像だった。
茜空が後日の配信で語った「一人ひとりの物語を描きたかった」という想い。
それは、この最初の演出からすでに予告されていたのかもしれない。
映像が終わると、間髪入れずに『アフタヌーン・グラフィティ』が始まった。
物語の1ページ目をめくるように、ステージに“役割”を持った7人が、それぞれ別々に歌いながら現れる。
いつもの歌割りやフォーメーションを変えて、順番にスポットライトを浴びながらステージに登場するメンバーたち。
フロアにいる自分たちも、ただの「観る側」ではなく、物語の最初のページに立ち会う“読者”として巻き込まれる感覚があった。
季節でめくる、物語のページ
この日のセットリストは、明確に季節で区切られていた。
M1~M4までが春、M5~M8が夏、M9~M10が秋、M11~M13が悩みや葛藤。
そしてM14 以降で、再び春へと歩き出す構成だった。
茜空が後日の配信で説明していたが、実際、ライブを見ていてもその流れは自然に伝わってきた。
春――始まりのドキドキ
『アフタヌーン・グラフィティ』に続く『僕らのハジマリ』『初恋模様』『Poppin’ love!!!』。
制服姿で現れたメンバーたちは、同じ学校に通う、違う学年の生徒たちという設定だった。
後日に明かされたことだが、制服のグレースカートのみを茜空が統一衣装として指定し(人数分)持ち込み、その他のスタイリングはそれぞれのメンバーがオリジナルで考えたとのことだった。
曲ごとに、メンバーの個性や物語が浮かび上がる。
春は、始まりのドキドキ――そんな空気が、ステージにも客席にも静かに流れていた。
それぞれ別々の衣装をまとったメンバーが表現する「春のドキドキ感、例えばちょっと好きな人ができたり、かっこいい先輩がいたり、そんな新しい季節のワクワク」が、そんな空気をより濃く作り上げていた。
夏――熱と躍動、そして爽やかさ
春の余韻がほんのりと残るなか、ふと風鈴の音色が場内に響く。
その瞬間、なぜか思い出したのは、tipToe.の『散り菊』冒頭の一節だった。
思い入れのある曲の断片が、ふいに心のどこかから浮かび上がる。
いたずらに歳を重ねてきたことに、もし意味があるとすれば、こうして記憶の奥にしまっていた何かが、思いがけず呼び覚まされる瞬間があることかもしれない。
SNSで感想を交わし合うことも素敵だけれど、こうして心のどこかにふいに立ち上がる感情は、たぶん、誰にも共有できないものだ。
その小さなゆらぎを、大切にしたかった。
『ティーンスピリット』では、夏休みの学校に忍び込んだり、学校でみんなで野球をやったり(結城りなが4月に出演した舞台のオマージュだそうだ)。そんな冒険心を感じさせる演出。
実際に(自分は気づけていなかったが)最初に門を飛び越えるシーンや、部活帰りの友達と出会うような流れが、細やかな振付や動きに込められていたそうだ。
『まわるまわるまわる』から『灼熱とアイスクリーム』。
ukkaの夏は、はしゃいだり、汗をかいたり、時に少し背伸びをしたり。
誰もがかつて経験したはずの、あの「一瞬」が、ステージいっぱいに息づいていた。
茜空が「夏はとにかく楽しい曲を詰め込みたかった」と話していた通り、客席のテンションも一気に上がる。
秋――色づく心と、広がる物語
夏の熱が少し落ち着き、ステージは秋のブロックへ移る。
『グラジェネ』『嘘とライラック』
どちらも、ukkaの多彩な表現力を静かに、しかし鮮やかに伝えてきた。
茜空は配信で「春夏はストレートに季節を描いたから、秋はukkaの幅広さを見せたかった」と話していた。
”秋”という季節の曖昧さ、少しだけ大人びた感情の揺れ――それは、メンバーひとりひとりの表情や歌声にも、静かに滲み出していた。
悩みと葛藤――停滞からの再起
『透明』『結び目』『Trip To The TKY』の3曲
ここは、季節を越えた「悩み」や「葛藤」のパートだった。
茜空は「悩みや迷いがないまま春夏秋冬を駆け抜けたら、現実味がない」と言っていた。
どこかで変化や痛みを描けなければ、この物語は完結しない。
『透明』に入る直前、葵るりと村星りじゅが、自身がアイドルになったきっかけを短い言葉で語った。
これは、本編中に3度挿し込まれたinterludeのひとつで、通常のライブであればMCにあたる時間にあたる。
茜空は、演出の流れを止めないよう「MCのようでいて、MCではない語りの場」を用意したという。
春の終わりには茜・宮沢・結城、
夏の終わりには芹澤・若菜、
そしてここで秋の終わりに葵と村星。
――それぞれ2~3人ずつが、自らの言葉で物語に息を吹き込んでいった。
メンバー自身が事前に振り返って考えたセリフだったが、口調や表情にはどこか「演じている」ような、他人のようなニュアンスが滲んでいた。
とりわけ、いつもは饒舌な葵るりの言葉が、一瞬だけ詰まったように感じられたとき――顔を上げた彼女のまなざしは、今にも泣き出しそうで、まっすぐに客席を見つめていた。
その刹那、
水溜りに映った僕らの未来
0.5秒の表情の揺れに、女優としての葵るりの一面が垣間見えた。
さっきまで学校の中で楽しげに過ごしていた7人の少女たちが、それぞれに悩みを抱えた“ひとりの顔”に変わって見えた瞬間だった。
そして『結び目』。
宮沢友の最後の大サビを爆発させるために、茜空は、その直前の自身のソロパートからつらなる一瞬の無音部分を、通常よりも長く取ったという。
離さないで 離さないで
偽りでも 上辺だっていい
消えないように受け止めて
宮沢友は、その期待に応えた。
できるだけ音符の後ろに感情を乗せるように、まるで情念を一言一言に乗せるベテラン歌手のように。
圧倒的な爆発力だった。
感情のほとばしりを目の前で見た分、直後の『Trip To The TKY』は、ひとつの救いだった。
茜空が「悩みから抜け出して、一度現実に戻るような、客観的になるようなイメージ」と語ったとおり、ステージの温度感も切り替わっていった。
冬から春へ――氷が溶けて、再び歩き出す
『Glow-up-Days』『さいしょのさいしょ』『AM0805の交差点』『TAiLWiND』
凍てついた心が、少しずつ溶けていくような終盤ブロック。
茜空が「氷が溶けていくようなイメージ」と語った通り、
メンバーの表情にも、動きにも、解放感が漂っていた。
不器用な生き方でもいい 今の私が好きだ
「自分の物語を受け入れる」ことが、このブロックの通奏低音となっていた。
『TAiLWiND』を歌い終わり、何も言わずにステージを去る7人。
「アンコールが当たり前じゃない」
茜空のそんな想いが、客席に静かな名残惜しさを満たしていく。
アンコール――「尊い」とは何か
一度楽屋に戻った制服姿の7人が、生中継風の映像でスクリーンに映る。
「まだまだ盛り上がっていけますか?」
そう呼びかける声に、大きな声で応えるものの、客席の表情は、まだどこか本編の余韻とともに、距離感のあるやりとりにも感じられた。
短い映像が終わり、メンバーたちは、ひょこひょこと(自分にはそう見えた)画面からフェードアウトしていった。
場内に流れ始めたのは、いつものoverture『We are…』だった。
いつもの54秒を過ぎても、メンバーはいつものようにあらわれない。
60秒…70秒…7人が一斉にあらわれたのは、10秒を残してストリングスのパートが終わった80秒過ぎだった。
1月の豊洲PITでのワンマン衣装をまとっていた。

背後には、たった4文字「ukka」のロゴがぼんやり浮かぶ中、7人はステージ前方のお立ち台に上がって、横一列に並ぶ。
物語のなかでそれぞれの役割や個性を演じてきた彼女たちが、今ここでukka=”We"として一体となった姿だった。
performed by ukka と acted by ukka ―― その二つの側面が、かわるがわる入れ替わりながら、そこにアイドルとしての彼女たちがいることが、たしかな実感として、響いてきた。
奏でられたのは『TOUTOI』
鏡に映っていた“学生の私”と、いまここに立つ“アイドルの私”。
―― どんな私でも、尊い ――

その言葉が、悩みや迷いを抱えた自分自身をも、そっと肯定してくれるようだった。
7人全員が、フロアに最も近い場所で歌う『TOUTOI』は、第一部の対バンで披露されたときともまるで異なる響きを持っていた。
鏡の中の自分に「尊い」と呼びかけること。
それは、自己愛や共感を求める”kawaii”楽曲とはまったく違う、孤独を抱きしめるような強さだった。
『タリルリラ』―― ただただ楽しかった。
宝塚のレビューを思わせるような祝祭感・一体感の中、若菜こはるが自分のパートで茜空を真ん中に引っ張り出す。
「お前が一番、お前が一番」
そう、お前”も”一番だよ。
そして『リンドバーグ』。
「君のためなのさ」で、右手の手のひらを上に向けて左から右へと180度大きくゆっくりと動かした茜空。
慈愛そのものの所作だった。
「最初で最後の」と前置きをおいたMCを経て、12月に全曲披露ライブ「ALLOUT 3rd」を開催するという発表を受けて、『Rising dream』。
茜空がいくぶん申し訳なさそうに、この曲だけは、今日はペンライトではなく、拳をあげてほしいという。
芹澤もあが、客席で一斉にあがった拳を見て「チンアナゴみたい」と笑いながら見つめる。
何百ものチンアナゴが、一斉に上空めがけてつき上がる。
おそらく、茜空が「この景色を見たかった」という風景だった。
「以上、ukkaでした。ありがとうございました」
物語の余韻と、私の「青春」
ライブが終わっても、
心のどこかに“青春”の余韻が残っていた。
茜空は配信の最後で語った。
「このライブが全員にとって最高だったとは思わない。でも、ukkaの良さやらしさを感じてもらえたなら、それが私の価値だと思う」と。
あえて無粋に言葉を足すなら、
誰かと共感して気持ちを重ねるよりも、自分の心がどう動いたかを確かめる。
それが、ライブの本質かもしれない。
そんな一人称の体験を、茜空は、ukkaは、あの日確かに差し出してくれていた。
過ぎ去った日々に戻ることはできない。
けれど、いまを生きる心に、かすかな春風は吹き続けている。
青春という言葉は、とうに過ぎたと思っていた。
けれど、心が揺れるその瞬間に、過ぎ去った季節がそっと戻ってくることもある。
でもね、、、
ライブは終わった。
こうしてライブについて書いている文章も、やっぱり冗長に終始しちゃうけれど、ここでスパッと終われば、きっと読後感はきれいに締まる。
だけれど、自分はやっぱり、
このライブを通して、茜空という存在のことをもう一度書かずに終わることはできなかった。
颯爽とステージを去っていったukkaの7人。
そして、最後にひとりだけ、舞台袖で深々と頭を下げてから消えた茜空。
客電がつくまでの30秒間。
あちらこちらから自然発生的に起こった、ダブルアンコールの声。
それをかき消すように流れた、無情な終演アナウンス。
このライブは、茜空プロデュースとして、
メンバーひとりひとりへの愛情と、
楽曲への深い敬意と、
「ukka」という存在そのものへの誇りに満ちたものだった。
素晴らしかった。
ここまで書いてきた通り、
あの日のukkaに、一つの生命体としてのダイナミズムが確かにあった。
けれど。
だからこそ、どうしても言いたい。
もっと、茜空を見たかった。
これは文句なんかじゃない。
ただのオタクの、どうしようもないわがままだ。
エゴだ。わかってる。
エゴを押し殺して、
ひたすら「与える」側に徹した茜空。
そのことが、たまらなく愛おしいからこそ。
だからこそ、
あのダブルアンコールに応えて、
ひとりだけ、もう一度、ステージに出てきてくれる世界線だって、
あったっていいんだよ――
そんな、ないものねだりの夢を、自分はどうしても見てしまう。
茜空は、あの日、ダブルアンコールが起きたことを知らなかったという。
配信のコメントでそれを知ったとき、
一瞬「え?」と咄嗟に照れたような笑いを浮かべて、
「嬉しいなあ」と言った途端、
みるみるうちに目に涙を浮かべ、
それを隠すように、そっと画面から外れた。
そういうところだよ、と思う。
やっぱり、そういうところだよ。
彼女は、プロデューサーとして全体を見渡しながら、
ひとりの表現者としても、深く深く、
このライブの中に潜り込んでいた。
群像劇を描きながら、
むしろその群れの中で、
静かに息を潜めていた。
目立つことを恐れずに、
でも目立とうとはしない。
その覚悟があった。
だからこそ、彼女の歌には、誰にも似ていない翳りがあった。
強さと、脆さと、覚悟と、怯えと――
そんな相反するものすべてを抱え込みながら、「私」を歌う。
その「私」は、誰かの理想をなぞるものではない。
自分自身を生きるために、
誰かにとっての「期待される私」を脱ぎ捨てながら、
それでも笑って、立っている。
そんな茜空を、ライブ中、
ずっと目で追わずにはいられなかった。
ちょっと悔しいけれど(笑)。
たとえば、対バンやフェスのとき、
あるいは、たまにはプライベートでも。
他のアイドルたちのステージに向き合う茜空は、
いつも興味とリスペクトを持って、変わらぬ視線を送り続けてきた。
だからこの日も、
プロデューサーとしてだけではなく、
ひとりのファンとして、
自分たちのステージと客席を、
静かに見つめ直していたのかもしれない。
そんな彼女の視線の先に、
自分たちは、どんな景色を届けられただろうか。
そして次は、
どんな景色を、一緒に見ることができるだろうか。
素晴らしいライブを、ありがとうございました。

