《超適当雑記129》2025年8月4日(月)【愛を拾い上げる感性】
〚5546文字〛
おはようございます。入谷です。
まずは感謝とご報告からお伝えします。前回までの記事についてマガジンにてご紹介していただいた方々へお礼申し上げたいと思います。
■感謝とご報告〚724文字〛
momoさま
メルト&クリエイトさま
YOR(ヨル)さま
りこ@一生養生さま
ペリンさま
の、5名の皆様からは以下の記事、
について、マガジンへ追加していただきました。
取り上げてくださり、大変感謝しております。
いつも励みに感じておりますし、本当に毎回有難く思っております。紹介していただけたことで、こちらも書きたいという意欲が高まります。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
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りこ@一生養生さま
からは以下の記事、
についてマガジンへ追加していただきました。
いつもありがとうございます!。取り上げて下さり、大変嬉しく思いますとともに、感謝申し上げます。最終回の旅行日誌⑤については、もう少しタイミングを見計らってからアップしたいと思います。
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コツコツさま
からは以下の記事、
についてマガジンへ追加していただきました。
いつもありがとうございます!。取り上げてくださり、大変嬉しく思いますとともに、感謝申し上げます。
この記事は、内容を深掘りし、加筆修正したものを近々上げたいと思いますので、宜しければ、どうぞお付き合いください。
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天命を授かりし者【チャメ】〜明鏡止水と共に〜 さま
からは以下の記事、
について、マガジンへ追加していただきました。取り上げてくださり、大変感謝しております。ありがとうございます。
加えて、楽しいコメントも嬉しかったです。サーファーの方々はシーズンの海へ行った時の風物詩ですね。
皆様どうもありがとうございました。
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■愛を拾い上げる感性〚4822文字〛
さて、今日は数十年の人生の中で発見した、愛を拾い上げる感性についてに書きたい思います。
今回は《超適当雑記121》2025年7月4日(金)【感謝とご報告/人生で最初に言われて感動した言葉】の加筆修正を含む箇所があり、重複部分もございますが、宜しければ、どうぞお付き合い下さい。
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どんな人生であれ、今ここに生かされているということは、そこに僅かばかりの愛情があった証拠。ひと欠片の愛さえなければ、そこにはもう、自分という人間が跡形もなく存在していなかったことでしょう。
人生に関わる各種サービスには全て愛が宿っています。
例外はあるにしろ、原則として、もし医療や福祉が無かったら、僕は早々と死んでいたでしょうし、そこに携わる医師や看護師、薬剤師、医療事務、清掃や給食調理の方々の尊いサポートが無ければ、現在の状態を保って生きては来られなかった。
病気で無かったら、自分と向き合う機会もなかったし、周囲を注意深く観察することもなかったと思います。
厳しい生育環境も、子供時代の苦しい思い出も、それがあったからこそ、生き抜くための力を持つことが出来た。そう考えたら何でも感謝だと思える時があるのです。
もしも愛を拾い上げる感性が無かったら、僕はきっと人生のどこかで道を踏み外していた、と、思います。
もちろん臆病なので大それたことはできませんが、性格が多少歪むくらいのことはあったかもしれません。
しかし人生が裏道に逸れなかったのは、
の中で、
中学時代の部活動の顧問から掛けられた「君を信用している」という何気ない言葉が『自信を種銭』になったと書きましたが、
その種銭は、愛の種銭でもあり、愛を拾い上げる感性を育んでくれたからだったとも言えます。
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そもそも顧問の何気ない言葉が心に刺さった理由は、抑圧された環境で欠乏感と諦めの中で生きていたからに他なりません。
僕の子供時代は客観的に見て幸福とは程遠いものでした。
小さい頃から病弱で、そのうえ小学校ではイジメを受けていました。
そんな我が子を強い人間に育てようと必死になるあまり、母親は徹底した厳しい教育を課してきました。
僕が母親の決めたルールを守れないと、子供は嫌いだ、だからアンタを産むみたくなかった、と、毎度のことのように言うので、非常に心が萎えたものです。思い通りに行かないとヒステリックを起こし、ビンタが飛んで来ることもありました。
父親は以前から書いている通りギャンブルに狂っており、仕事以外はパチンコの人。
子供に強権的な母親と子供に無関心な父親。家庭は当然荒れていました。
今後別の記事で詳しく書くかもしれませんが、母親は長男を優遇する前時代の被害者であり、跡取りの弟(叔父)と差別されて育ち、それでも親の愛を獲得しようと良い子を演じていたけれど、結局父親(祖父)から気持ちを向けられることがないまま、欠乏感をずっと抱えて生きてきた人間です。
相当なインナーチャイルドの傷を負っているに違いありません。
とすれば、
学校にはもちろん、家族にも自分の居場所はありませんでしたし、
当時の僕からすれば、この両親が愛情深い人間であるとは到底思えませんでした。
だから、顧問の何気ない言葉が、乾いた心に水と肥料を与えてくれたように感じたのです。
心の畑の、自信の種の横に埋まっていたであろう、愛を拾い上げる感性が同時に発芽すると、過去を思い返して観察するということができるようになりました。
ほんの些細な出来事の中から愛を見出し、拾い上げて心に吸収することが自分の扶けになると知った瞬間でもありました。
気付かなかったことに気付く。
その大切な技を身に着けたように思いました。
それで過去を振り返ってみると、意外に不幸でもなかったんですね。
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先程、小学校の頃にイジメに遭っていたと書きましたが、
正確には上級生に目を付けられ、毎日待ち伏せされ、帰り道で強制的かつ壮絶な追い掛けっこが繰り広げられていました。
イジメは僕だけでなく、幼馴染で同じクラスのOも別の上級生グループからイジメを受けていたので、二人で協力しながら上級生らを避け、互いに校内の別の出口に靴を用意し、一緒に逃げるということもありました。共に知恵を出し合い、仕返しの為の仕掛けを作ったこともしましたね。
イジメに遭いながらも戦友のような友達がいたことは救いでした。
しかし二人とも足が遅いので、だいたい捕まると殴る蹴る吹っ飛ばされるのフルコース。非常に有難みのないフルコースですね。
上級生らは休み時間にも教室にも現れ、校内で、帰りの追い掛けっこの前哨戦が行われます。
ある時Oが休みで、いつもの学校帰りに上級生から追い掛けられ、捕まって蹲っていたところ、近所の人から助けられたことがありました。
それは子供たちの間で『ロックおばさん』と呼ばれる、メタル風の奇抜な格好をした近所でも有名な中年女性でした。
ロックおばさんは奇声に近い怒声を上げながらホウキを振り回し、僕らのいる塊の中に突進し、割って入って来たのです。
逃げる上級生を追い掛け回し、僕も怖くなって逃げてしまったものの、物陰に隠れて見ていると、しばらくして彼女は自分の家に入っていきました。
助けてくれたというより、子供の声が単にうるさいから出てきて追い払おうとしただけなのかもしれません。
でもあの日あの時助けられたことは事実なのです。
泣き寝入りが常の僕と違って、幼馴染Oは時に果敢に応戦して上級生をボコボコにしたり、されたりしていましたが、彼には腸の病気があり、いつもおなかの調子が悪く、学校を休みがちでした。一緒に逃げられる時は良いのですが、一人でいる時には自分で戦わなければなりません。
職員室に逃げ込むのですが、担任は見て見ぬ振り。他の教員も遊ぶなら他に行きなさい、と、取り合ってもくれません。
事勿れ主義、面倒なイジメに対応したくないと思っていたのでしょう。あるいは上級生らの狡猾な態度が、イジメには見えなくさせていたのかもしれません。
そこで一人の音楽教師が救いの手を差し伸べてくれたのです。
昼休みに校内を逃げ回っていると、T先生(動画配信者のてぃ先生ではありません)がこちらへ来るよう手招きし、音楽準備室に匿ってくれました。T先生も積極的にイジメを改善しようとはしてくれませんでしたが、その代わりに音楽はめちゃくちゃ楽しいという話をしてくれました。
T先生は所属する団体の縛りの中で、最大限自分が出来ることをしてくれたのです。
それから昼休みは度々音楽準備室に行くようになり、先生は普段生徒触らせない貴重な金管楽器の使い方をOと僕に教えてくれました。
いろんなジャンルの音楽が好きになったのも、このT先生のお陰かもしれませんね。
当時、親はイジメについてどうしていたのかというと、こちらも見て見ぬ振りだったように思います。
父親は自分で戦えとは言いましたが、母親には強く出れない事情がありました。当時母親は近所の病院で働いており、そこの患者にはいじめっ子もその親も、学校関係者も来るので、イジメを糾弾して行動したら、仕事に支障が出るとを恐れていたようです。これは後年母親がそう話しておりました。
けれど責めるつもりは最初からありません。
小学校も高学年になると、今度は家庭に大きな問題が降り掛かり、父親の病気で母親が一家の担い手となり、昼は仕事、夜は父親の入院する病院へ付き切きりというハードな生活に明け暮れていたからです。
そんな時、事情を知ったOのお母さんが「息子さんを預かりたい」と申し出てくれたのです。
Oの家から一緒に学校へ通って、夜は一緒に夕飯を食べましょう、と。
母親は遠慮して結局僕は近所の祖父宅に預けれることになりましたが、その後もO家族は何かと僕のことを気に掛けてくれたのです。
優しく、思い遣りのある人ですよね。
同時にOのお母さんは強い人で、自分の子供がイジメに遭っていると知るや否や、学校の校長室へ乗り込み、窮状を訴えたり、上級生の親と話を付けて被害について謝罪させるような一面もありました。
何度もそうしていましたから、学校にとって少し面倒な親だったかもしれませんが、そのお陰か、学校でいじめについて学級会議、全校集会の様なものも開かれ、自分たちの被害について話し合う機会が持たれたました。間接的に僕も救われたのです。
完全にイジメがなくなったわけではありませんが、そこは問題じゃない。
ロックおばさんにしても、T先生にしても、Oのお母さんにしたって、それって愛じゃありませんか。
そこには小さくても宝石のような愛があったと思うのです。
その光のような愛の数々を心で受け取ることができたから、人生で道を踏み外すこともなかった(と思う)のです。
自信は愛になり、愛は自尊心になり、自尊心は、与えられた愛を守ろうと働くのです。もし僕が、病気が辛い、不倫した妻が悪い、境遇が不幸だなんだと喚いて、自棄になって、社会に迷惑をかけるようなことをすれば、思いを掛けてくれた人たちを裏切る結果になる。そう思ったら、申し訳なくて、思い留まって内観する他に選択肢はないわけです。
普通に通り過ぎてしまう人間関係、それ以上広がらないような人間関係、本来社交辞令であるような人間関係、そこに目を向けて観察することで、俯瞰しながら隠れていたものを探し当てること、それが感性をより高めてくれるのです。
本来見落としてしまうような間接的で小さな愛にすら気付けなかったとしたら、どんなに直接的で大きな愛を与えられようとも、自分が不幸である側面ばかり見ている仄暗い人間になってたいたかもしれません。
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ほんの些細な出来事の中から愛を拾い上げる感性は持つことは、被害者意識という人生で最も害になる価値観を取り去ってくれます。
被害者意識は依存心と他責の心を生み、最も人生で活用すべき思考や発想を曇らせてしまいます。
そんな愛を拾い上げる感性の枯渇が、昨今の信じられない事件を招いていると感じます。
政治家や芸能人のスキャンダル、人間関係の問題から生じる殺傷事件、イジメによる自殺、子供を狙った卑劣な性犯罪、そしてある日突然人々に敵意を持った人間が起こす無差別テロ・・。
某インフルエンサーが無敵の人という言葉を流行らせましたが、犯罪に至るには事情があるにせよ、無敵の人の起こす事件に限って言えば、その時点では、少なくとも愛など持ち合わせていないことが容易にうかがえます。
愛も自信もないすれば、自己受容も難しいですから、心の安定もない。
認めたくない自分に憎悪を向けながら、人生を刹那的に捉えて、自分を傷付けるか、他人を傷つけるか、あるいは大なり小なり社会に迷惑を掛けて生きていくことになる以外に術がなくなってしまうのかもしれません。
愛を拾い上げる感性がどのようにその人に宿り、何をしたら高めていくことができるのか分かりません。
僕の場合はたまたま臆病な性格で心配性なところがあり、他人に興味を持ち易い性格だったから、結果としてこんな風に物を考えるようになっただけだったのかもしれません。
しかしながら、常に理性的で、思考や感情に対する徹底的な自己観察が鍵になっていることは間違いないと思います。人生、過去、未来、現在、全ての出来事、物事の中から多角的視点で価値観を掬い上げ、汲み上げるという訓練こそ、ツルハシを持って暗闇の坑道を掘り進める亡霊が、永遠に岩盤と思われた諦めの廃鉱山から探し当てた金鉱脈のように、麗しく輝く愛を発見するのだと思います。
今後も愛を拾い上げる感性をテーマに記事を書いていきたいと思います。
出会った人は沢山いますし、それが如何なる人間関係であっても気付きと学びはあるので、自身が忘れないためにも、記していきたいのです。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして、明日が皆様にとって素晴らしい1日になりますように。
