《超適当雑記131》2025年8月13日(水)【魂の潮流に出会う場所】
〚3426文字〛
おはようございます。入谷です。
まずは感謝とご報告からお伝えします。前回までの記事についてマガジンにてご紹介していただいた方々へお礼申し上げたいと思います。
■感謝とご報告〚529文字〛
momoさま
メルト&クリエイトさま
ペリンさま
天命を授かりし者【チャメ(聖明)】〜明鏡止水と共に〜 さま
の、4名の皆様からは以下の記事、
について、マガジンへ追加していただきました。長文で分かりにくい箇所も多々あったかと思いますが、取り上げてくださり、大変感謝しております。
いつも励みに感じておりますし、本当に毎回有難く思っております。紹介していただけたことで、こちらも書きたいという意欲が高まります。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
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cIutch0105さま
Cafe Momentさま
より、こちらの記事、
について、
マガジンへ追加していただきました。
今回、取り上げてくださり、大変嬉しく思っております。励みにもなります!。
ありがとうございます!。
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明日見健作 青春の旅さま
より、以下の7本の記事、
について、
マガジンへ追加していただきました。
いつも取り上げてくださり、大変感謝しております。いつも励みに感じております。
4年前にはあんな記事もこんな記事も書いてたのだなあ、と読み返していて懐かしく思います。今考えたら計画しない人生ってだいぶ大きく出たなと感じます💦。
ありがとうございます!。
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■魂の潮流に出会う場所〚2782文字〛
6月28日に1年半ぶりに出した、こちらの記事、
で、父方親族の伯父の人生を題材にしたということもあり、今年は実家へ帰省できたこともあって、昼過ぎに盆の墓参り・迎え火へ行って来ました。
墓のある地域では、迎え火と送り火の風習が今も残っております。
毎年8月13日の夕方までに墓場へ行き、米、キュウリとナスの精霊馬を供え、灯篭から家紋入り提灯へ火を移し、それを家へ持ち帰って、仏壇の蝋燭へ移すというのが迎え火。15日の夜に送り団子を供え、今度は仏壇から墓の灯篭へ蠟燭の火を戻すというのが送り火となっております。
しかし実際それが正確に行えているわけではありません。
実家のある地域から墓のある場所までは車で距離があります。
迎え火送り火どちらにしても、蝋燭が途中で消えてしまうので、車内で蝋燭をつぎ足しながら火を守らなければなりません。
なので、安全に配慮し、最低2人の人間が必要となります。
実家を出るまでは毎年、僕が助手席にてその役割を、社会人以降は、母親に提灯と蠟燭を預け、僕が運転するという感じなっています。
もちろん盆の時期に丸々帰省できた年のみできる行事です。
そこまで家と墓が離れている檀家が、迎え火や送り火をするというのは多分うちくらいのもので、ほとんどの檀家は車であっても数分か、歩いて通える距離に家があるようです。
父親と父方親族の墓は山の上の寺にあって、眼下には大きな川と田園風景の広がる、田舎らしい田舎の真ん中あります。
川の向こうの森には、もっと先代の、曾祖父など父方先祖の墓があり、さらに向こうには、僕が生まれ育った祖父母の家がかつてありました。
寺は江戸時代中期からある古い寺で、山の下へ行けば行くほど古い墓石があり、開墾が進む前の寺に収まらない墓は、先程の森や町の一角にあって、こんな田んぼと川しかない場所にも、数百年の昔から人々の営みがあったことを気付かされます。
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子供の頃から墓参りに行くと、墓所内を歩き回って、地面の下で眠る方々の迷惑にならぬ程度に、通路から見える他所様の墓の墓誌を見ることを、密かなの学びの時間としていました。そこには誠にいろんな人の人生があり、生き様があって、歴史があることを教えられるからです。
多くの墓誌には70才代から90才代の享年が刻まれていますが、若年期や中年期に亡くなった方々のものも少なくありません。
父親の墓の隣には、父親と同時期に30代で若くして亡くなった方の墓があります。いつも墓石が綺麗に磨き上げられ、供え物の花は常に鮮度を保っていました。
ところがある時から手入れがされなくなり、枯れた花が花瓶にへばり付いているのを目にするようになりました。最近、老齢の父親が亡くなり、息子の隣に戒名が刻まれていました。
かなり前に一度だけ老夫婦と孫が迎え火に来ているのを見たのですが、挨拶を一言交わして淡々と作業するその姿の裏には、一体どんな悲しみや苦悩があったのでしょうか。
うちの父親と父方親族だけでも、身内ながら壮絶な家族の歴史と人生あったことが思い返され、彼らにも彼らにしか分からない思いや体験があったに違いありません。
また、父親が亡くなって間もない頃、墓参りに行った時、一度だけ、驚きの光景を目撃したことがありました。
斜向かいの墓の前に自転車が止まっており、ここまで登って来られたのでしょうか、ご婦人がカップ酒片手に墓石に縋りついて泣いていたのです。
非常にびっくりしたのですが、母親も気付かない振りをしていたのか、見てはいけないと思って見ないようにしていました。
それから、しばらく経って墓誌を見る機会があり、あの時のご婦人の悲しみの理由が分かりました。墓誌の日付から、おそらく、あの時はお子さんを亡くされてすぐ時期だったようです。
5才で亡くなった子供、19才で亡くなった青年や、38才で亡くなった女性、同じ日に亡くなった家族・・。
80代、90代で天寿を全うして亡くなった人の中には叙位叙勲と長い戒名と共に刻まれている墓誌もあり、何らかの功労者であったことが称えられておりますが、早くに亡くなった場合にも、長い戒名を付けることで、故人に対する遺族の深い哀悼の気持ちを窺い知ることが出来ます。
また、以前にはあった墓が無くなっていることがあります。最近はそうした墓じまいをよく見掛けます。
墓場には当然、事情がそれぞれあるのでしょう、もう誰も墓参りにも盆の行事にも来ない墓があります。でも墓はそこにずっと静かに佇んで、ぼうぼうに伸びた草、卒塔婆に絡まった蔦とともに人間の生きたの存在の証を遺しているのです。
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明後日8月15日は終戦から80年目の年ですが、今もロシアとウクライナの戦争、緊迫状態にある中東情勢のみならず、日本では報道されない数々の諸外国地域で紛争が繰り広げられており、世界平和はまだ長い道のりのように思います。日本も未だ諸外国の脅威から完全に脱却できたわけでもありません。それどころか脅威は増しているとさえ感じます。
親族にも戦死した者が多くおります。本家の家で遺影を見た限りでは、祖父の兄である大伯父三人も戦地で亡くなっています。
また祖父もシベリアに送られ、極寒の地で過酷な労働作業を強いられ、終戦後しばらく経って日本へ帰還しています。
近くには海軍将校の墓もあり、そこには家族の戒名も並んでいます。
昭和19年に20代で南方の島で亡くなり、戦後すぐに娘さんらしき子供が亡くなり、その後を追うように奥さんらしき女性も亡くなっています。
彼らはあの世で無事再会することができたのでしょうか。
そうあることを願うばかりですが、そこにはどんな物語があったかと思いを馳せるにつけ、今ここに自分が生かされている一つの奇跡に、繋がりのない魂などないと強く感じるのです。
人は死んでゆく時、如何なる事情があれ、愛しい者と別れ、肉体も財産も置いて、魂一つであの世へ行かなければなりません。
墓は決して死者を冒涜した肝試しなどに言われる心霊スポットではなく、怖い場所でもなく、故人が安らかに眠る場所であり、故人を弔う場所。そして同時に自分の振り返り、人生を再構築する場所であると思うのです。
お子さんを亡くされたあのご婦人も、墓に向かって自身の思いをさらけ出すことで感情の整理し、必死に生きようとしていたのでしょう。そうした心の回復に必要な場所であるのかもしれません。
迎え火の今日の夜、風のない夏の、蝉しぐれと線香の煙ただよう、墓場の高台から下を眺めると、檀家の人々の持つ提灯の灯りが、ほうぼうに散らばっていく光景が見れるのでしょう。
いろいろ人間のさまざまな人生が記されている、墓という不思議な場所。そこは魂の潮流に出会える場所でもあるのだと思うのです。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そして、明日が皆様にとって素晴らしい1日になりますように。
