世界一美しい本を作る男①
東京の出版社に勤めていたころ、月に一度「刷り出し見本を確認する」という日がありました。
印刷会社に赴き、テストプリントの原稿と色の最終確認をします。色味がずれているページは、基本4色(CMYK)の度合いを職人さんに相談して調整してもらうのです。
その都度、印刷とはなんと繊細で、熟練した技術を要求する職人仕事なのだろうと思っていました。
帰り道にふと思い出すのが、「世界一美しい本を作る男」と呼ばれるゲルハルト・シュタイデルさんのことでした。
アートブック最高峰の領域へ
人口10万のドイツの小都市、ゲッティンゲン。
その旧市街に佇む、従業員およそ50人の出版社をシュタイデルさんは営んでいます。
小説も刊行していますが、世界的な評価を得ているのは何よりアートブックです。
アメリカを代表する写真家ロバート・フランク、ノーベル賞作家ギュンター・グラス、そしてシャネルのアートディレクターを務めたカール・ラガーフェルド──
名ただるアーティストたちが、彼とのコラボレーションを熱望し、作品の制作を依頼する声が絶ちません。
世界のあちこちに、彼の本を愛してやまない読者や、“シュタイデル本”を宝物のように収集する人々がいます。
ゲッティンゲンの小さな出版社を訪れた時、苦虫を噛みつぶしたような顔のシュタイデルさんが、ドアを開けてくれました。

聞くと、シャネルのカタログのために、理想の色を追い求めて8時間以上もインクの配合と格闘している最中でした。
彼の厳しい表情は、まだ納得に至っていなことは明らかで、印刷の工程を説明しながら「今日のテストプリントだけで3万ユーロほどかかったよ」とさらりと言うのです。約360万円──その額の重みが、彼の妥協なき姿勢を静かに証しているのでした。
カール・ラガーフェルドが撮影した写真集『The Little Black Jacket』は、発売後わずか7ヶ月で11万部というアートブックとしては異例のセールスを記録しました。その背後には、妥協を許さず「最高のものだけを作る」という信念と信頼関係で結ばれた、2人の20年にわたるコラボがありました。
