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一人称と神視点のあいだで迷っている #68

小説を書いていると、視点の選び方で立ち止まることがある。
「自分の目線で書くか」「全体を見渡す目線で書くか」。
どちらも魅力があるのに、どちらを選んでも何かがこぼれ落ちる気がする。

一人称で書くと、感情が近い。
息づかいまで伝わるような距離で、読者が主人公の心に入り込める。
けれどその分、見えないものが増える。
主人公が知らないことは書けない。
世界の全体像がぼやけて、視野が狭くなる。
その不自由さが、時に心地よくもある。

神視点で書くと、自由になる。
登場人物の心も、空の色も、同時に描ける。
けれどその自由さが、少し冷たく感じることもある。
誰の心にも完全には寄り添えない。
観察者のように、少し離れた場所から見ている感覚になる。

最近、その距離の違いを「温度」として考えるようになった。
一人称は体温がある。
神視点は空気の温度がある。
どちらも物語に必要な温度だけれど、混ぜ方を間違えると、読者の呼吸が乱れる。

初心者の自分は、まだその温度調整がうまくできない。
一人称で書いている途中に、ふと神視点の言葉を入れたくなる。
「この人は知らないけれど、実はこう思っている」
そう書きたくなる瞬間がある。
でもそれを入れると、物語が少しだけ壊れる。
読者が「誰の目で見ているのか」を見失う。

だから最近は、視点を変える前に、なぜ変えたいのかを考えるようにしている。
感情を近づけたいのか。
世界を広げたいのか。
その理由がはっきりすれば、視点の切り替えも自然になる。

一人称と神視点は、どちらが正しいという話ではない。
どちらも「書く人の立ち位置」を映す鏡だと思う。
自分がどこに立って物語を見たいのか。
その選択が、文章の温度を決める。

今日のところは、どちらにも決めない。
一人称で書いてみて、途中で神視点に触れてみる。
その違和感を記録する。
迷いながら書くことで、少しずつ自分の距離感が見えてくる気がする。


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