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コーヒーが冷めないうちに気づきたいこと

サンマーク出版さんが運営するSUNMAR WEBアカウントで小説家の川口俊和氏のインタビュー記事を見つけました(本記事最後部に紹介)。

「コーヒーが冷めないうちに」の小説が映画化されたことで私は川口氏を知りました。彼の考え方には私も同感で、創作(=クリエイト)という立場から思い感じたこともあるのでそれを残します。

あ、幸い今、#なんのはなしです珈 のイベントも進行しているのでちゃんとしたコーヒーの話からのマジメ?話もいいかな。

以降、引用はすべて下記3記事およびコーヒーが冷めないうちに作品内からのものです。




過去への想いは創作になる


過去に戻ることができると言われたら?

一、過去に戻ってどんなことをしても、現実は変わらない
二、過去に戻っても、この喫茶店を出ることはできない
三、過去に戻れるのは、コーヒーカップに注いでからそのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ。コーヒーが冷めないうちに飲み干さなければならない
四、過去に戻れる席には先客がいる。席に座れるのは、その先客が席を立った時だけ
五、過去に戻っても、この喫茶店を訪れたことのない人には会うことができない

コーヒーが冷めないうちに 喫茶フニクリフニクラのルール


過去に戻ってみたいですか?

タイムスリップ(タイムリープ)がテーマの物語は昔からあります。「コーヒーが冷めないうちに」もそのひとつ。ただこの物語にはとてもめんどくさいルールがあって、こんなルールがあるならたいして面白くないのでは?と感じてしまう。

私もそのひとりでした。

でも予告編の有村架純さんのシーンを見て「これは見な!(見ないといけない)」となって映画館で観たのです(動機はミーハー)。

これが当たりだった。

感動したから当り?ではなくて、新たな創作への観点を得ることができたという意味の当たりです。


コーヒーの熱量にかける過去への想い


物語のあらすじは他の方のレビューを参照してもらうとして、ここでは川口氏のこの作品への、創作への向き合い方について見つめなおしてみます。

「物語を創作する」とは言い換えれば、自分が全知全能の神になって如何様にでも操作できる世界に、自分が考えたいろいろな人物を登場させてストーリーを作ること。

私は物語が作れる人はすごいなぁと尊敬します。しかし川口氏のインタビュー記事を読んでいると、どうやら一筋縄ではいかないらしい。書く側の闇の部分や負の体験、負い目などもそのまま投影されるみたい。

僕は、現実の人間関係において、思いを言葉にすることが苦手なんです。だから、小説の中に、言いたいことをうまく伝えられない人を登場させて、僕の代わりに言いたいことを言わせているのだと思います。

自分ができないことを創作に載せて代弁させる。文学作品に限らず音楽や他の芸術でも同じですので、川口氏もそんな自らの負の部分をどうやったら作品に載せれるのか?を考えていたのかな。

「過去に戻る時間をコーヒーの熱量にかける」という点は、時間の制限を誰にでもわかりやすい表現に置き換えた手法として素晴らしい。コーヒーという「冷める飲み物」の典型例に時間のはかなさを載せることができたのは、この作品が受け入られられる大きな土台になっています。


自己否定から解放されて得た創作の自由


川口氏は「自己否定の先が成功の結果につながる」という考えを途中で変えました。そのことで広がった世界観もあると言われている。

精神的にも物理的にも金銭的にも苦しい「作品が売れるまでの期間」を「何を考え何を感じて過ごしたのか」、この過程には創作の自由を得るためのヒントがいくつも転がっていたことでしょう。

僕は、プロットを立ててその通りに小説を書いていくというタイプではなく、どちらかというとひらめきタイプなんです。だからこそ、描けるかどうか、ひらめくかどうかが、心の状態というか精神状態にすごく影響を受けるんです。だから、好きなことをやって精神状態をいかにいいところにもっていくのかが大事だということに気づきました、そのほうが書けるようになりました。

ひらめきタイプの創作はとてもリスキーです。

しかしそのリスクとは裏腹にひらめいたときに得られるモノは、理詰めで考えて得たものよりもはるかに素晴らしく高揚感がある。創作でひらめきに賭けることはいわばギャンブルみたいなもんです。

創作での結果物へのアプローチ方法に多様性があって、必ずしもアプローチ方法に絶対があるわけではない。だからプロットを作って計画的に書こうが、ひらめきにまかせて書こうが、書く人がどのような意識でどう決定するか?にその後の創作スタイルの決定が委ねられる

僕の頭の中では動いているものを、もっと表現したかったんです。でも、それを突き詰めていると進まなくなってしまうから、まずはざっと言葉にして、後は振り向かない。また後で書こうと決めて、それで3行書けた。もう修正はしない。そういうやり方にしたら、やっと書きすすめられるようになったんです。

川口氏はどこかの段階で、こだわり続けるひらめきだけの世界から全体を見通してひらめきを大切にできる世界へ、自ら移動していったのだと思います。


気づきから得る生きる希望


創作は単に作りたいからという動機だけで続けられるものでもなく、作っているうちにあーでもないこーでもないとぐるぐるいろんな考えが巡るんです。

ですから、これをやりたい!という点からブレない心が大切。

自分がやってきたことに対する反応に気づき、生きててよかったと気づき、そこから生きる希望を持つ。そんな「自らを奮い立たせるきっかけをくれるもの」が自分の物語なのでしょう。

「今」読んでも響かない、という人は必ずいると思うんです。でも、その方が例えば10年経って大事な人を亡くした時に、「そういえば川口という作家が、『コーヒーがぬるくなる前』だったかな? なんかそういう作品で、なんとなくそういうこと書いていたな」って思い出してくれると嬉しい。

ずっと自分の中にある理想として、「30年前の人が読んでも、30年後の人が読んでも、または国や人種が違っても受け入れられるものを書きたい」と思っていました。そしてオファーをいただいていろいろな読者さんたちの反応を実際に見たことによって、自分が書いたものは間違いなかったんだという答え合わせになりました。つまり、海外からオファーがあるということは、国や言語は違っても、「人間」が求めることには普遍性がある。それを証明しているのだと思いました。

コーヒー→創作→生きる意味、と壮大な話の展開になりましたが、やっぱり最後は原点に戻ってコーヒー☕。

淹れたての熱と香り、置くことでかぐわしく香ってくる焙煎の匂い、口にすれば鼻に抜ける苦みとコク、飲み干したあとのどに感じる「何かが解き放たれていく感覚」。

そんな性質を持つコーヒーにだからこそ、コーヒーが冷めないうち載せることができるものがあるのではないでしょうか。


コーヒーが冷めないうちに気づく


コーヒーの苦みへ自分の・人生の苦みを投影し、飲み干すと同時に苦みから解放されることで、投影した自分のそれからも解放される。

苦いは永遠に続くことはないというコーヒーが持つ性質に頼って、生きる上での想いを変えていくことを選択する。


コーヒーが冷めないうちに、自分がまだ気づいていないことに気づけるようにしたい。そして最後はコーヒーを飲み干してすべて受け入れる。

熱量も苦みも時間と共に消えていく。だからそれを気づくことに使おう。



この作品、特に映画での各俳優さんの人生観が「変わっていく瞬間」が素晴らしく表現されている作品です。

まだの方は映画でも小説でも、ぜひ観て・読んでみてください。


👇川口俊和氏インタビュー記事(上から順番に3部)


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