パワー・オブ・ライクス
「ワーク<ライク>バランス」という言葉の意味を知ったとき、私はずっとバランスが取れていると思っていた自分が、実はそうではなかったと気づかされた。
世の中の多くの人が漠然と理解している「ワークライフバランス」とは、「ワーク(仕事)対ライフ(生活)」という対立構造のなかで折り合いをつけること——そんなイメージではないだろうか。
私もずっとそう思っていた。仕事人間ではなく、定時になれば気持ちをきちんと切り替えられていた。「オンとオフを使い分けている」、そんな自分に、それなりの自信があった。
けれど、このコンテストが定義する「ワーク」の意味を知って、はっとした。「ワーク」とは、給料の発生する仕事だけではない。家事や育児など、好むと好まざるとにかかわらず、人生においてやらなければならないこと全般——それもまた「ワーク」なのだ、と。
その定義に照らし合わせたとき、初めて自分のアンバランスさに気がついた。外の仕事だけでなく、家事や育児まですべてが「ワーク」なのだとしたら、私の天秤の片側は、あまりにも「やるべきこと」の重みで満ち満ちていた。それに比べて、もう片側の「ライク(やりたいこと)」に載せられるものといえば、私には「家でダラダラと過ごす時間」くらいしかなかったのだ、と。
若い頃、夢を追いかけて単身で渡米し、結婚して、子どもが生まれて、仕事をして。気づけばそんな日々を送っていた。外の仕事をこなし、家に帰れば内の仕事をこなし、夜は家でただドラマを観て眠る。特段の不満があったわけではない。けれど心のどこかに、「何かちがうんじゃないか」という、不安とも焦燥とも言いきれないしこりが、ふとした瞬間に顔を出した。
やるべき家事があるのに、どうしてもやる気が出ず、家でただダラダラと過ごしてしまう。「なんて私はダメ人間なんだろう」。そうやって、唯一のライクであるはずの時間を過ごすたびに、自分を責めていた。
アメリカ在住中、私はある日系企業で14年ほど勤務していた。「ここで働きたい」という強い意志があったわけではない。生活のために応募し、自分の経験と募集ポジションが合致していた——それだけのことだ。それでも、プロとしての自覚とプライドはあった。だから、自分のモチベーションが低いか高いかにかかわらず、与えられた「やるべき仕事」だけは常にきっちりとこなしていた。
それでも同僚や友人と集まれば、会社や仕事への愚痴がこぼれるのは自然なことだった。改善案を前向きに提案しても採用されない。むしろ上から、状況を悪化させるような指示が降りてくることもある。そんなとき私は、「好きでやってる仕事じゃないしね」と口にしながら、自分をなんとなく納得させていた。
その会社には、大事にしているフィロソフィーがあった。「夢を持つこと」「やりたい気持ちを大切にすること」。けれど最初は、それすらも「好きな仕事ができている恵まれた人の話」として、冷めた目で眺めていた。
そんなある日、何気なくテレビを眺めていたら、あるコメディアンがこんなことを言っていた。
——好きじゃない仕事だからと文句を言いながらやっていたら、その先には繋がらない。やる気のない人に、もっと大きな仕事を任せたいとは思わない。だけど、今の仕事にちゃんと向き合った先に、いつか自分のやりたいことが見つかるかもしれない。
正確な言葉は覚えていない。けれどその言葉は、不思議なほど深く、私の中に刺さった。私は「好きじゃない仕事だから」を言い訳にして、目の前のことへの向き合い方を雑にしていたのではないか——。きちんとやるべき仕事をこなしていると思い上がっていただけなのかもしれない、と。
「せっかくやるなら、ちゃんと向き合おう」と決めた日から、日々の景色は少しずつ変わりはじめた。それからの私は、ただ淡々と義務を消化するだけでなく、やるべきこと以上の仕事を主体的に見つけ、自ら進んで向き合うようになっていった。
どんな仕事も、一人では完結しない。川の流れと同じように、やるべきことは上流から流れてきて、いくつかの橋の下をくぐり、下流へと続く。そして最後は、世界につながる海へ。私の仕事はその流れの一部分に過ぎないけれど、上流もあれば下流もあり、時に支流が生まれ、淀んで水たまりになることもある。魚が泳ぎ、鳥が羽を休め、動物が水を飲みにやってくる。そんな川のほとりの豊かさに似た、周囲の人たちとのかかわりに、私は丁寧に向き合うようになった。共に流されたり、時に逆らったりするうちに、仕事仲間との間に強い絆が生まれ、いつしかかけがえのない友人たちができていた。
その過程で、あのフィロソフィーをみんなと共有することができた。フィロソフィーとは言葉ではなく、行動なのだ——そう実感したとき、最初は冷めた目で見ていたその言葉が、いつの間にか私自身の言葉になっていた。そして気づけば、この会社そのものを、心から好きだと思い、誇りに感じるようになっていた。
家事への向き合い方も、同じように変わった。汚れた部屋や水回りをそのままにしたくないから掃除する、ではなく——「きれいになった家でくつろぐ自分の姿」「家族も気持ちよく過ごしてくれる姿」を思い浮かべながらこなすようになった。それは「小さな夢」かもしれない。けれど日々を生きる生活(ライフ)においては、確かな意味を持つ。「やりたい気持ち」を行動に移すことで、私は「ワーク(外も中も)」と「ライフ」を、知らず知らずのうちに整えていたのだ。
そして、かつて「やるべき家事があるのにダラダラしてしまった」と罪悪感を抱えていたあの時間。それすらも、膨大なワークに追われていた当時の私にとっては、自分を回復させるための、なくてはならない大切な「ライク」だったのだと、ようやく気づくことができた。
子どもが成長して巣立ち、少しずつ自分の時間が生まれると、それまで手をつけなかった純粋な「ライク」——サイクリングやゴルフといった趣味にも挑戦するようになった。週末に心から楽しめる時間があるから、日々のワークもより一層頑張れる。新しい天秤が、力強く動きはじめた。
時には、その大好きな趣味を優先してしまい、家のワーク(家事)がおろそかになってしまう日もある。けれど不思議なことに、この頃の私は昔のような罪悪感(ギルティ)を覚えることはなくなっていた。「そんな日があってもいいじゃない」と、不格好に傾く自分を、そのまま許せるようになっていたのだ。
その後、日本に戻った私は、在宅で母の介護をしながら日々を過ごしている。
給料の発生する仕事はしていない。世間から見れば、介護は24時間縛られる、究極の「ワーク」に映るかもしれない。けれど、私にとっては少し違う。母を最後まで自分の手で看取りたい——その「やりたい気持ち」を優先して、私は帰国を決めた。誰かに強いられたわけではない。天秤が、自然とそちらへ傾いたのだ。そしてそのバランスは、「私が自分でこの生き方を選んだ」ことから生まれている。
だから今の介護生活は、単なる「やるべきこと(ワーク)」ではない。そこには間違いなく、私の選択という「ライク(やりたいこと)」が宿っている。介護の合間に大好きなnoteを書く時間も含めて、今の私は——ただダラダラする自分を責め、義務の重さにアンバランスだった頃よりも、はるかに幸せで、満ち足りている。
振り返れば、人生のフェーズが変わるたびに、「ワーク」も「ライク」もその姿を変えてきた。
私は決して、いつでもすべてを完璧にこなせる人間ではない。外の仕事はプロとして一線を越えて向き合えても、内の家事から目を背けてダラダラしてしまうこともあれば、新しく見つけた「好き」に夢中になって家事を後回しにすることもある。いつでもどちらかが溢れ、どちらかが足りなくなるような毎日の繰り返しだった。けれど、そのどちらか一方だけでは、私の人生は回らなかった。完璧に釣り合わないからこそ、その凸凹(でこぼこ)を味わう中で、私は自分にとっての心地いい生き方に気づくことができたのだ。
かつて北米で働いた会社の創業者は、純粋なエンジニアでありながら、人が夢中になれること(ライク)の力を誰よりも信じていた。「夢を持つこと」「やりたい気持ちを大切にすること」を、世のため人のための原動力としていた。
そう考えると、あの創業者はこのコンテストが提唱するずっと前から、「ワーク<ライク>バランス」の本質を、誰よりも深く体現し、私たちに語りかけてくれていたのかもしれない。
そういえば、そのフィロソフィーのなかに、もう一つの言葉があったことを思い出した。
——「自分のために働け」
バランスが取れていると信じていた私が、実はずっとアンバランスだったと気づいたあの瞬間。それは同時に、「自分のために」生きることの意味が、あらためて腑に落ちた瞬間でもあった。
私の人生の天秤は、これからも不器用に傾き、揺れ続けるだろう。けれど私はもう、そこに罪悪感を覚えることはない。ワークの中にライクを見つけ、ライクの力でワークを駆動させる。この天秤のハンドルを握っているのは、他の誰でもない、自分自身なのだから。

