「何もしたくない」ときは高原でひと休み。
noteをはじめて、ちょうど3ヶ月。
その間、類にも漏れず、
「何を書けばいいのか」わからない時期が、
何度かやってきた。
俗にいう、停滞期、スランプ、プラトーと
呼ばれるものだろう。
さぁ、今日はそんな時期の乗り越えについて、私なりに考えてみた。
導入|「何もしたくない」時期がやってきた
「何もしたくない」ときがある。
書けない。動けない。考えたくない。
なのに、どこかで焦っている。
noteをはじめて、ちょうど3ヶ月。
その間、類にも漏れず、
「何を書けばいいのかわからない」
「急に手が止まる」
「昨日までの熱が消える」
そんな時期が、何度かやってきた。
俗にいう、停滞期。スランプ。
そして最近よく聞く言葉で言うなら、プラトー。
最初は、正直ちょっと不安だった。
「もう書けなくなるのかな」
「このままフェードアウトするのかな」
この“何もしたくない感じ”の正体を、
少し言葉にしてみたくなった。
第1章|停滞期・プラトーって、そもそも何?
プラトー(plateau)とは、
本来は「高原」や「平らな状態」を意味する言葉。
成長や学習の文脈では、
努力しているのに、成果が見えなくなる期間
として使われることが多い。
でも、ここで大事なのはひとつ。
成長って、一直線じゃない。
多くの場合、
• 急に伸びる
• しばらく横ばいになる
• また少し形を変えて伸びる
そんな階段状で進んでいく。
横ばいに見える期間は、
何も起きていないようで、
実は内側でかなりの“整理”が起きていることが多い。
プラトー(plateau)という言葉が、
もともと「高原」を意味することを知ったとき、
不思議と、自分の感覚とぴったり重なった。
もしかしたら停滞期って、
山を登る途中で、
一度リュックを下ろして息を整える場所なのかもしれない。
次の章では、
この「プラトー=高原でひと休み」という捉え方で、
もう少しだけ、景色を見てみようと思う。
第2章|プラトー期は、高原でひと休み。
3号目まできた。
勢いで3合目まで。
でも今、足が止まったように感じる。
リュックの中から、水筒を取り出して、
家で準備してきたあたたかい紅茶で、ひと休み。
ついでに、クッキーもつまんでしまおう。
疲れた体を休ませながら、
ここまできた道のりに、思いをはせる。
3号目に立ったからこそ見える景色を眺めて、
まだ見ぬ山頂の景色を、少しだけ想像してみる。
休憩なしに登り続ける人たちを横目に、
「もう一度、自分のペースでやってみよう」
そう、静かに決める。
そういえば、
自分の年齢を3で割ると、
一日の時間帯に例えられる、という話がある。
30÷3=10 → 午前10時
40÷3=13 → 午後1時
まだまだ夜までは時間がある。
今日中に間に合わないなら、
どこかでひと休みしてもいい。
今日、登れるところまで登って、
また次の日に、再挑戦してもいい。
第3章|高原にいる間に、起きていること
高原でひと休みしているとき、
一見すると、何も進んでいないように見える。
歩いていないし、
登ってもいないし、
成果も増えていない。
でも実は、この時間にしか起きないことがある。
たとえば、
• これまで登ってきた道を、落ち着いて振り返れる
• 無意識に背負っていた荷物の重さに気づける
• 「本当は、どのペースがしんどかったのか」がわかる
• 次は、どこを目指したいのかを、ぼんやり考えられる
高原は、
止まる場所じゃなくて、整える場所なんだと思う。
「何もしたくない」=エネルギー切れ、ではない
「何もしたくない」と感じるとき、
私たちはつい、こんなふうに考えてしまう。
• やる気がなくなった
• 甘えている
• もう向いていないのかもしれない
でも、必ずしもそうじゃない。
それは、
• これまでのやり方を、一度たたみ直している
• 情報や感情を、静かに整理している
• 次の登り方を、内側で選び直している
そんなタイミングなだけかもしれない。
動いていないように見えて、
内側ではちゃんと“再編成”が起きている。
高原では、比べなくていい
高原にいると、
つい目に入ってしまう。
休まずに登り続ける人たち。
先に山頂が見えている人たち。
でも、山の登り方はひとつじゃない。
• 途中で休憩を多く取る人
• 景色を眺めながら進む人
• 何度も引き返しながら登る人
どれも、ちゃんと山を登っている。
高原で立ち止まることは、
遅れていることじゃない。
自分のルートを確認しているだけ。
また歩き出すタイミングは、自然に来る
高原にいる間、
無理に「次の目標」を決めなくていい。
• 書きたい気持ちが戻る
• 少しだけ体を動かしたくなる
• 「あ、これならできそう」と思える
その小さな感覚が、
次の一歩の合図。
山は、逃げない。
今日じゃなくてもいいし、
明日でも、来週でもいい。
休憩した分だけ、
次の一歩は、前よりも軽くなる。
最終章|高原にいる自分を、追い立てなくていい
停滞期やプラトーは、
「抜け出すもの」じゃなくて、
通過していくもの。
高原にいる自分に、
何かを証明しなくていい。
紅茶を飲んで、
クッキーを食べて、
風を感じて。
「ここまで来たな」って、
一度ちゃんと立ち止まれた人だけが、
次の景色に進める。
もし今、
「何もしたくない」
「進めない」
そんな気持ちの中にいるなら。
それは、止まってしまったわけじゃない。
今日はただ、高原にいる日なだけ。
ここまで登ってきた体を休ませて、
息を整えて、
今いる場所からの景色を眺めている時間。
何かを決めなくてもいい。
次に進む覚悟も、目標も、今は要らない。
高原にいるあいだ、人は自然と回復する。
風の温度に気づいたり、
これまでの道のりを振り返ったり、
「また歩けそうかも」と思う瞬間が、ふと訪れたりする。
それは気合じゃなくて、準備が整ったサイン。
山は、逃げない。
今日登れなかった分は、明日でもいいし、
もう少し先でもいい。
止まることは、諦めることじゃない。
立て直しているだけ。
だから今日は、高原でいい。
また歩きたくなったら、そのとき続きを始めればいい。
道は、ちゃんとそこにある。
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