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可愛さと、哲学的問いを振りまいてくる姪っ子

こんにちは。のむらです。

このゴールデンウィークは
実家に帰省していました。

自己紹介でも書きましたが、
ど田舎です。

こちら、家の周りです。

田んぼと山に囲まれ、
トンビが鳴いて、

キラキラ光る田んぼの水面には、
よく青サギが足をつけています。

田舎ってほんとにいいですね

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実家には、
1歳半の姪っ子がいました。

可愛すぎるのですが、
同時に、

哲学的難問も、突きつけてくるんです。

今回突きつけられた難問
それは、

プラトンの「イデア」です

        ****

プラトンは、
紀元前427-347に活躍した
哲学者です。

プラトンは、「イデア(理念)」という
哲学史に残る考えを提唱しました。

イデアとは何か?

姪っ子はだんだん
言葉を覚えはじめていて、

色んなものを指して
名前を言うんですが、

姪っ子の絵本より

なんと、

これら全てを猫だと言うんです

………いや、正解だし
当たり前なんだけど、
これってすごくないですか?

だってこの3つ、
1つとして同じ猫はいないですよね?

なのに全て猫とわかる。

ここで、プラトンの
イデア(理念)がよぎります。

プラトンはこう言いました(※超訳)

これまで見てきた
数多くのネコの平均値のような、
想像上の「イデア(理念)のネコ」、

ネコの本質が
イデアの世界に存在する

なるほど、
ネコにはネコの本質・イデア
が存在するなら  

それに基づいて、
あらゆるネコを
私たちは認識できているのかな

さらに例を出すと、
イスとか、
特におかしくないですか?

王様の椅子も
図書館の椅子も
ぼくの座椅子も

全部イスだと認識する
なんで?

♦︎ここで思考実験をしてみましょう。

何でもいいので
イスを一つ思い浮かべてみて
ください。

まずそのイスから
脚を一本とります。

まだ、イスですよね
ではもう一本。

…まだ、壊れたイスですかね?

じゃあ
残りの脚も全部とって、
背もたれもとったら??

この時点で、
ただの木の板?

一体どこの時点で
イスはイスでなくなるのか

イスを、
イスたらしめるものは何なのか。

それがイデアなのかなぁ

この辺りで、
次は仏教哲学が、
のむらの頭をよぎります。

イスがイスなのは、
私が木の板の組み合わせを

イスだと認識しているからに
すぎないとしたら?

もっと言えば、

単なる原子の集まりのパターンを
イスだと認識しているに
すぎないとしたら?


犬からしたら、
イスはイスではなくて、
単なる遊び道具だとしたら?

その塊は、
それを見る主体によって、
座るためのものになったり、
遊ぶためのものになったりする

つまり、

イスは"空"だ

という話になる

あくまで私が、
木の板の集まり、
原子の集まりに

イスと名付けているだけ

これが仏教のいう空の概念です。

するとまた、
姪っ子がわたしに
ヒントをくれます。

なんと、
梅昆布茶のスティックをみて、
マラカスだと認識
し、

フリフリ演奏し始めたのです

すごいですね…

イスだろうが
梅昆布茶だろうが
マラカスだろうが

分解していくと、

分子、原子になり
素粒子…となり

最後には、

同じものから
できていることになる


その同じはずのものを
別物として解釈しているのは

あくまで人間なんでしょうか 

その塊は、
私にとっては梅昆布茶
姪っ子にとってはマラカス…

                                ****

今回の帰省では、
色々と考えさせられました。

子どもってまだ
常識に染まり切っていない分、

おもしろいですね

もうすぐボリビア行くから、
なかなか実家に帰ってこれないの悲しいな

最後に、

姪っ子の描いた、
うさぎさんを
見ていってください

うさぎさん…?

姪っ子作:うさぎさん


自己紹介記事↓

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