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道が見えない時代に、自分の一歩を信じるということ

「自由でいいよ」と言われるたびに、息が詰まる夜がある

「好きに生きていいんだよ」

「正解なんてないから、自分らしく選べばいい」

そう言われて、ほっとした顔をする若者を、私はあまり見たことがない。

むしろ、その言葉を聞いた瞬間に、表情が少し曇る人のほうが多い気がする。

自由でいい、と言われるほど、何も言われないほうが楽だったのに、と思う。

自由には、地図がついてこない。

正解がないということは、間違えたときに誰のせいにもできないということだ。

もしかしたらあなたも、夜中にふと「これでいいのか」と考えて、眠れなくなったことがあるかもしれない。

それは、あなたが弱いからではない。

前回の記事で書いたように、今の時代は、選択肢が多い代わりに、道が見えない時代だ。

今日は、その続きを書きたい。

道が見えないなら、どうすればいいのか。

その話をしようと思う。

前回の話を、少しだけ振り返る

前回(自由に選べる時代の、選べない苦しさ)、私はこう書いた。

昔は選択肢が少ない代わりに、道がはっきりしていた。

今は選択肢が多い代わりに、道は自分で見つけなければならない。

そして、その道を探す過程は、常に他人と比較され、失敗は記録され、正解を求める癖だけが染みついている。

これは、大人たちに向けて書いた診断だった。

今日は、あなた自身に向けて書きたい。

診断のままで終わらせたくないからだ。

苦しさの理由がわかっても、それだけでは前に進めない。

必要なのは、次の一歩だ。

だからここからは、具体的な話をする。

比較のスイッチを、自分で切る方法

まず、比較の話から始めたい。

SNSを開けば、誰かの結婚、誰かの昇進、誰かの旅行が流れてくる。

それを見て、自分の日常が急に色あせて見える瞬間があるはずだ。

ここで知っておいてほしいことがある。

あなたが見ているのは、その人の人生そのものではない。

その人が「見せたい」と選んだ、ほんの一部分だ。

一日のうち、良かった十秒だけを切り取ったハイライト映像を、二十四時間分の自分の日常と比べている。

これは、そもそも比べる対象として、フェアではない。

だから私は、比較をやめろとは言わない。

やめられないことを知っているからだ。

その代わりに、比較の「対象」を変えることを勧めたい。

他人の今日ではなく、去年の自分の今日と比べてみてほしい。

一年前の自分と比べて、何かひとつでも変わっていることがあれば、それでいい。

比較は、他人に向けるものから、過去の自分に向けるものに変えられる。

これだけで、比較という行為そのものが、あなたを削るものから、あなたを支えるものに変わる。

「正解を当てる癖」を、手放す練習

次に、正解の話をしたい。

あなたはずっと、正解を当てる訓練を受けてきた。

テストには正解があり、面接には模範解答があり、進路には偏差値という指標があった。

だから社会に出てからも、「これが正解ですか」と誰かに聞きたくなる。

でも、残念ながら、社会には正解を知っている人はいない。

上司も、先輩も、有名な起業家も、実は誰も正解を知らない。

みんな、仮説を立てて、動きながら修正しているだけだ。

これは、あなたを落胆させるための話ではない。

むしろ逆だ。

正解を知っている人が誰もいないなら、あなたが間違えることは、恥ずかしいことではない。

みんな同じように、手探りで進んでいる。

だから、大きな正解を一発で選ぼうとしなくていい。

小さな仮説を立てて、小さく試してみる。

違うと思ったら、方向を変える。

それだけでいい。

転職を考えているなら、いきなり退職届を出す前に、まず一件だけ話を聞きに行ってみる。

新しいことを始めたいなら、いきなり全部を変える前に、週に一時間だけ試してみる。

正解を当てにいくのではなく、仮説を積み重ねていく。

これが、正解のない時代の歩き方だ。

失敗が消えない時代に、逃げ道をつくる

前回、失敗が記録され続ける時代の怖さについて書いた。

一度の失敗が、消えずにずっと残る。

だから慎重になる。

これは、根性がないからではなく、当然の防衛反応だ。

ただ、ここで一つ、あなたに知っておいてほしいことがある。

すべての失敗を、公開の場でする必要はない、ということだ。

新しいことに挑戦するとき、いきなり大勢の前で発表しなくていい。

まず、信頼できる一人か二人に話してみる。

うまくいかなかったアイデアも、そこでなら安心して口に出せる。

日記やメモに、誰にも見せない前提で、思ったことを書き出してみる。

そこでなら、下手な文章も、まとまらない考えも、そのままでいい。

大事なのは、非公開で転べる場所を、自分の手で用意することだ。

大きな舞台に立つ前に、誰にも見られない場所で、何度も練習していい。

それは逃げではない。

準備だ。

意味が見えないことは、続けなくていい

もう一つ、伝えておきたいことがある。

あなたが「タイパを求めている」と言われるとき、そこには理由がある。

情報が多すぎる時代に、すべてを丁寧に受け止めていたら、時間も心も足りなくなる。

だから、意味が見えないものを、早めに手放す判断力がついた。

これは、悪いことではない。

ただし、一つだけ気をつけてほしいことがある。

意味は、最初から見えるとは限らない、ということだ。

続けているうちに、後から意味がわかることもある。

だから、何かを始めて三日で「意味がない」と判断するのではなく、まず小さく続けてみてほしい。

続けてもなお、心が動かないなら、そのときはやめていい。

それは失敗ではなく、正しい判断だ。

意味のあるものを見つけるためには、意味のないものを何度か試す必要がある。

それは遠回りではなく、道を描くための、ただの過程だ。

道は、待っていても現れない

最後に、前回書いたことに戻りたい。

前回、私はこう締めくくった。

「道がなくなったのではない。道を、これから一緒に作っていく必要がある」

その「一緒に」の中には、大人だけでなく、あなた自身も含まれている。

大人が完璧な道を用意してくれるのを待つ必要はない。

道は、歩きながらでしか描けない。

最初から地図があるわけではない。

一歩踏み出して、振り返ったときに、初めて自分の足あとが道になっている。

それでいい。

比較から少しだけ距離を置き、正解ではなく仮説で動き、非公開の場所で練習を重ね、意味が見えるまで小さく続けてみる。

その一つひとつが、あなただけの道になっていく。

誰かの引いた道を歩く時代は、もう終わっている。

これからあなたが歩く場所が、道になる。

そう思って、今日の一歩を、踏み出してみてほしい。


★★★ 前回のエピソードはこちら ★★★


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