画廊をやってて苦しかったこと
画廊をやっていて苦しかったこと
画廊をやっていて苦しかったことは何ですか、と聞かれることがある。
売上が立たない月。家賃の支払い。作家との関係。お客様との距離感。もちろん、苦しかったことを挙げればいくらでもある。けれど、いちばん根の深い苦しさは、もっと別のところにあった。
それは、アートというものが、あまりにも商業の言葉に回収されていく瞬間を、何度も見てきたことだ。
画廊は商売である。作品が売れなければ、作家に支払いもできない。スタッフの給料も、場所代も、広告費も払えない。だから売ること自体を否定するつもりはない。作家が制作を続けるためにも、コレクターが作品と暮らすためにも、売買の場は必要である。
ただ、現場にいると、ときどき耐えがたい瞬間がある。
作品の前で交わされる言葉が、「この作家は上がりますか」「何年持てばいいですか」「次に売るとき損しませんか」だけになるとき。画面の強さや、筆の迷い、作家が抱えている痛みや執念よりも、先に値段と肩書きと将来性が問われるとき。
買う側に資産性を求める気持ちがあるのは分かる。高額な作品を買うなら、失敗したくないのは当然だ。私自身も商売人だから、価格や市場を無視して語るほど幼くはない。けれど、アートの前で最初に立ち上がるものが、感動でも違和感でもなく、利回りや換金性だけになってしまうとしたら、それはどこか歪んでいる。
さらに苦しかったのは、自分が本当に良いと思う作家ほど、簡単には理解されないことだった。断っておくが、もちろん感性は人それぞれ。自分の主観を押し付けるつもりは一切ない。
派手ではない。分かりやすいモチーフもない。SNSで一瞬で映えるタイプでもない。けれど、何年も絵を見てきた人間なら分かる、画面の奥に沈んだ強さがある。色の置き方、余白の呼吸、描かないことで残る緊張感。私はその作品の前に立つたびに、これは簡単に消費される絵ではないと思っていた。
しかし、そういう作品ほど、現場では厳しい言葉を浴びる。
「暗いですね」
「これ、何がいいんですか」
「うちには飾れない」
「もっと明るい絵はないですか」
もちろん、お客様に怒るわけにはいかない。作品の感じ方は自由だ。合う、合わないがあるのも当然だ。けれど、自分が大切にしているものを、まだ見られる前に切り捨てられるような感覚は、何度経験しても慣れなかった。
もっと苦しかったのは、逆の場面である。
正直に言えば、内容が薄いと感じる作家の作品を売らなければならないこともあった。見た目は綺麗。分かりやすい。部屋にも合わせやすい。価格も提案しやすい。お客様の反応もいい。売れる理由は分かる。商売としては優秀である。
けれど、作品の前に立ったとき、こちらの心が動かない。言葉を尽くそうとしても、どこかで自分の中の芯が乗ってこない。作家の必然性より、売れるための型が先に見えてしまう。絵の中に傷がない。迷いがない。都合の悪い部分がない。だから綺麗なのに、残らない。
それでも、画廊は売らなければならない。
この矛盾は、想像以上にきつい。良いと思う作家は理解されず、売りやすい作家は売れていく。深いものほど時間がかかり、軽いものほど早く動く。もちろん、売れる作品がすべて浅いわけではない。だが現場では、必ずしも良いものから順番に売れていくわけではない。
それを毎日見ていると、自分の目が間違っているのか、市場が間違っているのか、そもそも正しさなど存在しないのか、分からなくなる。
画廊の仕事は、作品を売る仕事であると同時に、作品を信じる仕事でもある。だからこそ苦しい。最初から金儲けだけの場所なら、ここまで悩まない。最初から趣味だけの場所なら、ここまで現実に削られない。アートと商売の間に立つからこそ、どちらにも裏切られる瞬間がある。
好きな作家を守りたい。けれど売上も必要だ。
お客様に良い作品を届けたい。けれど売れる作品を用意しなければならない。
市場に迎合したくない。けれど市場を無視すれば、画廊は続かない。
この板挟みの中で、何度も自分が嫌になった。
それでも、画廊をやめなかったのは、ごく稀に、すべてが噛み合う瞬間があるからだ。
長く売れなかった作品の前で、あるお客様が急に黙り込む。作家の不器用さも、画面の暗さも、その人にとっては欠点ではなく、必要なものになる。そして「これ、家に掛けたいです」と言われる。
その瞬間だけは、商売でも、投資でも、流行でもない。作品と人が、ちゃんと出会ったと思える。
私はたぶん、その一瞬のために画廊をやっている。
飲み込まれそうなものを、完全には飲み込ませないこと。
売る場所でありながら、売れやすさだけでは測れないものを残すこと。
その矛盾を抱え続ける覚悟がなければ、画廊という仕事は、たぶん続かない。
*画廊の現場から、アート*市場の一次情報を書いています。
無料記事では書ききれない、画廊の現場で実際に見た作家・購入者・販売・業界構造の動きを、有料記事で具体的にまとめています。
