美術品は、なぜ売れるのか。画廊の現場から書いていきます。
はじめまして。
このnoteでは、美術市場の現場で日々見えていることを、公開できる範囲で言葉にしていこうと思っています。
最初なので、まずは自己紹介から。
大阪府豊中市出身、45歳。
大学では油画を専攻しました。
銀座のギャラリーに勤めたのち、独立して画廊を立ち上げ、今9年目です。
身長は161センチ。
こういうことはわざわざ書かなくてもいいのかもしれませんが、私は昔から、自分の輪郭を隠して大きく見せるのがあまり好きではありません。
負けず嫌いで、数値を見るのが好きで、筋道を立てて考える癖がある。
その一方で、熱が入るとつい言葉が厳しくなる。
人をよく見ていると言われますが、たぶんそれは職業柄というより、もともとの性分です。
家では黒のブルドッグを飼っています。
煙草も吸います。
結婚はしていますが、子どもはつくらないと決めてきました。
お金の話も、最初にしておいた方がいい気がしています。
私は大学時代からアメリカ株に投資を続けてきました。
今の年収は、おおよそ3000万円程度です。
美術の世界では、お金の話を前に出すと、どこか品がないように受け取られることがあります。
けれど私は、そこにずっと違和感がありました。
絵を扱う仕事をしていながら、お金の話を曖昧にする。
市場に身を置きながら、市場を見ていないふりをする。
その態度は、かえって不誠実ではないかと思うのです。
作品は、神聖なものとしてだけ存在しているわけではありません。
誰かが時間をかけてつくり、誰かが価値を見出し、誰かが対価を払って受け取る。
その流れのなかで、美術は現実の世界に置かれています。
審美眼だけでも動かないし、投資目線だけでも続かない。
理想と現実、感動と価格、物語と信用、そのあいだで人は判断しています。
私は、そこを見てきました。
もともと、私は画家になりたかった人間です。
大学で油画を学んでいた頃は、自分も描く側で生きていくつもりでした。
ただ、学生時代に周囲の才能を見て、自分の進む道はそこではないと痛感しました。
努力の差では説明できないものがある。
感性の強度、絵に出る必然性、画面の前に立った瞬間に生まれる説得力。
そういうものを持っている人を、何人も見ました。
あのとき、自分には才能がないと絶望した、というほど単純でもありません。
けれど、自分が本当に勝負すべき場所はどこかを考えたとき、描くことそのものより、作品を社会のなかでどう成立させるかを考える側に、自分の資質がある気がしたのです。
それで、支える側に回ることを決めました。
銀座のギャラリーに勤めていた10年は、いわば修業でした。
作品をどう見せるか、作家をどう伝えるか、どの客層に何が届くのか、価格がどう受け止められるのか。
現場で接客をしながら、数字を見て、動きを追って、考え続けてきました。
売れた理由を感覚で済ませない。
売れなかった理由を気分で流さない。
人の言葉だけでなく、間や迷い、視線の止まり方まで含めて見る。
自分ではそれを接客というより、観察に近いものだと思っています。
画廊の仕事は、外から見ると華やかに映るかもしれません。
けれど実際は、かなり地味で、かなり繊細で、そして驚くほど人間的な仕事です。
人は何を買っているのか。
作品そのものなのか。
作家の将来なのか。
その作品を持つ自分の物語なのか。
あるいは、説明しきれないが確かに感じた何かなのか。
そして逆に、なぜ買わないのか。
価格なのか。
タイミングなのか。
家に飾る想像が持てないのか。
自分にその作品を持つ資格があるのか不安なのか。
その場では語られない理由の方が、実はずっと多い。
私は長く、その境目を見てきました。
このnoteで書いていきたいのは、そういう現場の話です。
ただし、誤解のないように言えば、暴露をしたいわけではありません。
個人が特定されるような話、取引先や顧客に迷惑がかかる話、未公開の数字や情報を書くつもりはありません。
ここでやりたいのは、業界の裏側を面白おかしく見せることではなく、現場で積み重なってきた観察を、分析として残すことです。
たとえば、
大学ではほとんど教えてくれない、お金との付き合い方。
作品が「良い」だけでは市場に乗らない理由。
文脈にどう作品を載せるのかという話。
富裕層は何を見て買うのか。
どこで買うのか。
何に安心し、何に違和感を持つのか。
伸びる作家と伸び悩む作家の違い。
買われる作品と、評価はされても動かない作品の違い。
そして、現場にいると見えてしまうNGな事例。
こういうことを、できるだけ感情論ではなく、観察と構造で書いていこうと思っています。
私はもともと、数字が好きです。
美術は感覚の世界だと思われやすいですが、現場に立っていると、感覚だけでは見えない反復があります。
どの価格帯で立ち止まる人が増えるのか。
どういう説明が入ると空気が変わるのか。
どのタイミングで購買が現実味を帯びるのか。
どんな人が長く迷い、どんな人が静かに決めるのか。
もちろん、すべてが数字で割り切れるわけではありません。
むしろ最後は、割り切れないから美術は面白い。
ただ、その割り切れなさの手前には、かなりはっきりした傾向があります。
私はそこに興味があります。
このnoteは、作家のためだけのものでも、買い手のためだけのものでも、同業者のためだけのものでもありません。
作る人、売る人、買う人、それぞれが別の立場から読めるような場所にしたいと思っています。
夢だけでは続かない。
けれど、打算だけでも人は動かない。
美術市場とは、その両方がせめぎ合っている場所です。
だからこそ、現場の言葉にはまだ意味があると思っています。
最初の記事なので、今日はここまでにします。
次からはもう少し具体的に、
「作品を見る人と、買う人はどこで分かれるのか」
そんな話から始めていくつもりです。
画廊の現場から、作品が売れる理由と売れない理由を少しずつ書いています。
美術を仕事にしたい人、作品を売りたい人、買う側の心理を知りたい人は、よければフォローして読んでください。
