家族のチカラは、薬より強いことがある。
「薬をやめてください。」
その一言を聞いたとき、正直、僕は戸惑いました。
でも、あの日いちばん患者さんを知っていたのは、僕ではなく奥さんだったのかもしれません。
⸻
術後せん妄で昼夜逆転してしまった患者さんがいた。
夜になると興奮し、点滴や胃管を触ろうとする。
ナースコールでは対応しきれず、ナースステーションに隣接した観察室へ転室。
僕たちも何とか改善させようと必死だった。
抑肝散。
リスペリドン。
トラゾドン。
レスリン。
デエビゴ。
その都度、
「これで眠れるかな。」
「これなら昼夜逆転が治るかもしれない。」
そう期待していた。
でも現実は違った。
眠るどころか、昼夜逆転は続く。
さらに嚥下機能まで低下し、経管栄養になってしまった。
患者さんらしい表情も少しずつ消えていく。
看護師として、何とも言えない無力感があった。
⸻
ある日の面会。
奥さんは、ご主人の姿を見た瞬間、涙ながらに訴えた。
「この人には眠剤や安定剤は逆効果なんです。」
「お願いです。全部やめてください。」
さらに、
「個室にしてください。お金は払います。」
と頭を下げられた。
⸻
でも、僕たちにも葛藤があった。
個室になると目が届きにくくなる。
ライン自己抜去。
転倒。
転落。
場合によってはミトンや抑制帯、体幹抑制まで必要になるかもしれない。
安全を守るか。
その人らしさを守るか。
簡単な答えなんてなかった。
奥さんへ電話でリスクを説明すると、渋々納得された。
でも、その声は納得ではなく、「諦め」に感じた。
その声が、ずっと頭から離れなかった。
⸻
家族は何十年も一緒に生きてきた。
僕たちは、まだ数日。
患者さんを一番知っているのは誰なんだろう。
そんなことを考え、主治医へ相談した。
「試験的に、眠剤や安定剤を中止してみませんか。」
主治医は了承してくれた。
さらに個室への転室も実現した。
そのことを奥さんへ伝えると、
本当にうれしそうな声で喜んでいた。
その声を聞いた瞬間、
「これで良かったのかな。」
そう思えた。
⸻
そして、2日後。
少し試してみようということになり、まずは経管栄養で使っていた栄養剤を口から飲んでもらった。
スタッフみんなで見守る中、ゆっくり口へ運ぶ。
……むせない。
咳き込むこともなく、最後まで飲み切る事ができた。
「食事もいけるかもしれない。」
そう考え、昼食を提供。
すると、むせることなく、落ち着いて食べ始めた。
気付けば8割ほど完食。
スタッフ同士で顔を見合わせた。
「食べられてる……。」
すぐに主治医へ報告すると、
「胃管を抜きましょう。」
という指示が出た。
胃管が抜けた。
抑制帯も外れた。
ミトンも必要なくなった。
残るのは転倒・転落への見守りだけ。
患者さんの表情も、少しずつ穏やかさを取り戻していった。
⸻
もちろん、この患者さんにたまたま合った経過だったのかもしれない。
眠剤や安定剤が必要な患者さんも、たくさんいる。
だから、「薬は使わないほうがいい」と言いたいわけではない。
ただ、今回の出来事で僕が学んだことがある。
それは、
家族の言葉には、カルテには書かれていない情報がある。
ということだ。
僕たちは病院で患者さんを看ている。
でも、家族は何十年という時間を一緒に過ごしている。
その積み重ねは、どんな検査結果にも負けない情報になることがある。
⸻
家族と話す時間も、看護なんだと思っている。
その一言が、患者さんの人生を変えることがあるからだ。
⸻
あの日、患者さんを少し元気にしたのは、
僕でも、
薬でもなく、
長年連れ添った奥さんの、
「この人は、こういう人なんです。」
その言葉だったのだと思う。
家族のチカラは、ときに薬よりも大きい。
僕はあの日、そのことを患者さんと奥さんから教えてもらった。
