【創作ミステリー】スノードームの祈り⑥南雲靖久:スノードームの夢 前編 〜現場検証〜
創作ミステリーの続きです。捜査は現場検証に進みます。遺体発見現場である中庭と転落現場である石黒の部屋の調査となります。様々な情報が新たに出てきます。刑事ものミステリーらしい展開になってきましたので、よろしければお楽しみください!
前回→⑥南雲靖久:スノードームの夢 〜検死〜
次回→⑦白峯あかり:失恋
南雲靖久:スノードームの夢 〜現場検証〜
「次は現場だな。まずは一階の中庭から行くか」
「はい。ではフロントに声をかけてきます」
「あ、どうせなら第一発見者に同行してもらってくれ。その方が聴取の手間も省ける」
「了解しました」
救護室を出た俺たちは、そうして遺体発見現場である中庭の調査へと向かうことにする。
夏目がフロントに声をかけ、程なくしてやってきたのは第一発見者の菊田信一だった。菊田は俺たちの前で一礼すると、「菊田信一です」と短く名乗りを上げた。
「北海道警察・捜査一課の南雲です」
「同じく、夏目です」
名乗り返せば、菊田は消沈した様子で「こちらへどうぞ」と先導する。死体を見つけた動揺が抜けきっていないんだろうか。顔色は良くないし、そわそわとした様子だ。
まぁ無理もないか。人生で死体を見る機会なんて、そうあるわけじゃないし。
不憫に思っていると、菊田はあるひとつの分厚い扉の前で足を止めた。レバーハンドル式で、ハンドルの上にはパスコードを入れるデジタルキーロックが取り付けられている。
「……ここから、中庭に通じています。中庭への道はもうひとつありまして、もうひとつはこのロビー側の反対、北側にあるイベントホールの中にあります」
「出入口はふたつね。菊田さんは今日、どちらから中庭に?」
「このロビー側です。除雪作業する時はバックヤードで防寒着を着てから行きますので、利用するのはいつもこちら側になります」
「このロックは数字を入れるタイプですよね?」
「はい。4桁の数字が決まっていて……少々お待ちください」
菊田が慣れた様子でキーパッドを押す。ピッと軽い電子音がして、続けてガチャリ、とロックが外れる音が響く。
「開けると風が吹き込みますので、お気をつけください」
事前に声掛けされ、扉が開かれる。瞬間、言葉通りびゅう、と凍える風が室内に飛び込んだ。
「さっむ!」
思わず声を上げれば、菊田が驚いた。俺の締まりがない様子に緊張が解れたのか、菊田は緩い笑顔で中庭へと足を踏み入れる。
歩道はロードヒーティングが入っているようで積雪はないが、溶けた雪で湿っている。足元に気をつけるよう促されながらぐるりと北東側へ歩けば、石黒が発見された雪山はすぐに見えてきた。
保全されたままの現場は、そこだけ異様だ。なるべく人目に触れないようにブルーシートで覆ってあるが、それがかえって目立っている。
夏目と一緒になってシートを外す。菊田は数歩下がりながら、俺たちの様子を見守っている。発見時のことを思い出してしまったのか、視線はどこか沈みがちだ。
「菊田さんが遺体を発見したのは、午前5時過ぎってことでしたね?」
「……はい。笠島主任と中庭の手入れに入ったのがちょうど5時でした。主任は中央のツリー周辺を担当して、私は外周の雪を除雪しようと思ったんですが……」
言い淀んで、もう一度口を開く。
「……どこかから、音楽が聞こえてきて。耳を澄ませてみたら、ピアノの曲のようなものが鳴ってることに気がついたんです」
鮮明に思い出しているんだろう。菊田は語りながら、行儀よく重ねた自分の手をギュッと握りしめる。
「……音が聞こえる場所を探してみたら、この雪山から鳴ってるのがわかって。それで、その……雪を掘ってみたら……」
言葉が途切れる。どけたブルーシートの下、いくつかの簡易フラッグが象る跡を見つめながら、菊田はそのまま沈黙する。
「なるほど、ありがとうございます。では、その『音』について詳しく聞いてもいいですか?」
質問を変えれば、菊田の強張りが少しだけ解けた。「はい」という返事を確かめてから、俺は再度質問する。
「音はどの程度聞こえたんですか?」
「最初は、本当に微かに鳴ってるくらいでした。でも近づいてみたら、雪の下からだとわかるくらいには鳴っていました」
「結構な音量だったってことですね」
「はい。雪をよけて……見つけた時の音量は、かなり大きかったです。ただ、その後自然と音は止んだんですけど」
音はスマホのアラームって話だったが、勝手に止まる設定だったみたいだな。石黒のスマホはロックがかかっていてまだ詳しく調べられていないが、おそらく5時頃に鳴るようにセットされていたんだろう。
「聞こえたのはピアノの曲ってことでしたけど、どんな曲でした?」
「私はあまり音楽に詳しくないので曲名までは……あぁ、でももしかしたら、今来てるピアニストの方が弾いてた曲かもしれないです。今思えば、少しだけ聴いたことがある気がしたので」
「それは、白峯あかりが弾いていたということですか?」
夏目が食い気味に質問を重ねる。菊田は考え込み、慎重に思い出すように言葉を選ぶ。
「……たぶん、ですけど。一昨日、ホールにコンサート用の機材が搬入されて、軽くリハーサルをしていたようなんです。私はたまたまその時間にホールの近くを通ったんですが、扉が開いてたんでちょうど聴こえてきて。聴いたことのない曲だったんですけど、なんとなく切ない曲だなぁって思って……なので記憶が確かなら、その時の曲だった気がします」
自信はなさげだが、それでもどこか確信めいたものも感じる。受けた印象ってのはバカに出来ないし、思ったより心に残るものだ。事件への関わりは薄いかもしれないが、あとで一応調べてみるか。
「遺体に手は触れてないんですよね」
「はい。ただ、雪を払った時に少し表面に触れてしまったかもしれませんが」
「……ちなみに、その時手袋は?」
「していました。スキー用の厚いものをいつもつけているので」
「色は何色ですか?」
「紺色です」
繊維片の色と一致しない。てことは、あれは菊田のものではないということか。
「その手袋、後で見せてもらってもいいですか?」
「はい。更衣室にありますので、この後お持ちします」
了承を得ると、俺はマーキングされた辺りへと注目する。
雪山は、1.5メートルほどの高さがあった。朝方の吹雪によって積もった雪は吹き溜まりに寄せられ、表面は新雪状態になっている。
「この雪山は、元々どのくらいの高さなんですか?」
「1.2メートル程度です。それ以上積もった場合は手入れをして整えています」
「では昨夜も?」
「そうですね。雪が降り出したのがたしか0時頃で……その時はまだ雪も風も弱かったはずです。その後は一旦止んで、朝方にかけて荒れ出しました」
つまり、転落時は約1.2からせいぜい1.3メートルってことか。
思い浮かべていると、夏目が横でメモアプリに素早く記載をしていた。自分なりに考えながら書き留めてるんだろう。深く考え込んだような顔で端末とにらめっこしている。
俺は気を取り直し、遺体があったマーキングのすぐ横、別のマーキング箇所へと目を向けた。
どうやらここが転落した場所のようだ。たしかに他の雪面に比べて表面にやや凹凸があるし、雪の密度にも違いがある。誰かの手によって埋められたってのは間違いなさそうだ。
夏目は、横で菊田に質問を続けている。
何を使って掘ったのか、どれくらい掘ったのか、死体はどんな状態だったか——再確認を含めて、情報を引き出している。
「中庭は一般客の立ち入りが禁止されていて、従業員だけが入れると伺いましたが、出入口ふたつの施錠状況はどうなっていますか?」
「先ほど見てもらったように、出入口はふたつとも常にキーパッド式のロックがかかっています」
「パスコードは、どれくらいの人が知ってるんですか?」
「私たち施設管理担当は全員知ってます。あとはイベント担当と支配人ですね。フロントや清掃は基本知らないはずです」
——思ったより少ないな。そう思ったのは、夏目も同じだったようだ。
「……では、一般客が知るのは無理ってことですか?」
「はい。……あぁ、でも、石黒さんは知ってたかもしれないです。コンサートの準備で会場設営するために、中庭に出入りしてた様子だったので」
「石黒が知っていた……?」
夏目が重く呟く。おそらく、頭の中で白峯あかりに繋げているんだろう。石黒からパスコードを聞いていたら、彼女は中庭に入れることになる——そう思ってるはずだ。
他にもアリバイ確認や発見時に身につけていた服装、石黒との接点などを聞き、一通りの聴取は終わった。
菊田からの石黒情報はほぼなく、ホールや中庭で見た、といったくらいの話しか出てこなかった。石黒に関しては、支配人の蓮見やコンサート設営に関わったイベント係の方が詳しそうだな。
「お時間いただきありがとうございました。ボス、そろそろ戻りましょうか」
「そうするか。いい加減寒すぎてトイレ行きたくなってきたし」
大げさに身を縮めれば、菊田がわずかに笑った。
現場の空気は緩み、非日常は日常へと帰ってくる。そして俺たちもまた、ホテルの中へと戻っていく。
——次に目指すのは、石黒が宿泊していたという7階スイートルーム。たくさんの『名残』があるだろうその現場に、俺たちは無言で向かっていった。
***
「ここが石黒の部屋ですか」
ホテル7階。スイートルームとバーラウンジのみのフロアに降り立った俺たちは、ホテルの客室係に開けてもらい、石黒の部屋に足を踏み入れた。
最上階のスイートルームは流石に豪華だ。広々としたリビングに、ミニバーや専用コーヒーメーカーのあるダイニングスペース、キングサイズのベッドルームに景色が見えるバスルーム。付いてるジェットバスなんか、大人何人入れるんだよってデカさだ。
内装は言わずもがな。部屋のデザインだけでなく、置かれている調度品までシャレていて高級感がハンパない。
「すげぇなぁ……一泊いくらするんだ、こんな部屋」
リビングをぐるりと見回せば、客室係が事もなげに答える。
「こちらは今のシーズンだと、一泊14万円となります」
「14万!?カツ丼何杯分だ、それ!?」
あまりの高さに思わず叫んでしまった。普段金を使わない生活をしてるせいか、貧乏性が根深くて仕方ない。
「……ボス」
そんな俺を、夏目は即座に睨んでくる。「恥ずかしいからやめろ」とでも言いたいんだろう。……まぁ、たしかに少し大人げなかったか。
客室係はくすりと笑いをこぼしながら、「仕事がありますので、これで」と退散していった。あとには、俺と夏目だけが残る。
「……ああいう恥ずかしい態度はやめてください。いい大人なんですから」
やっぱり言われたか。想像通りの小言に、俺はそっぽを向く。
夏目はわざと深いため息をつくと、すぐに手袋をはめ、捜査モードに切り替える。俺も併せて手袋をはめると、まずはリビングの端に積まれているダンボールの山に注目した。
豪華な室内に不似合いで、正直部屋に入った時から気になっていた。
ダンボールは全部で15箱。印刷会社のロゴが入ったもの2箱と、『雪城クラフト』と書かれた箱が13箱。いずれも開けた形跡がある。
「雪城クラフトって会社、聞いたことあるか?」
「いえ。あとで調べてみます」
「ん。頼むわ。とりあえず中身を確認するか」
夏目がまず、印刷会社のロゴの箱をひとつ開ける。
——中身は、コンサートのパンフレットだ。
もうひと箱も続けて開けてみると、そっちはピアノや雪景色が映ったポストカードセットと楽譜が入っていた。
「コンサートの物販品のようですね」
パンフレットを手に取り、夏目がパラパラとめくる。内容は白峯あかりのプロフィールやインタビュー、グラビアページだ。15ページ程度の小冊子だが、紙質といい構成といい、やたらと気合いが入った作りになっている。
「パンフレットは300部ありますね。……白峯あかりの人気を考えると、少し強気な数ですね」
「今後も見越して発注したんじゃないか?こういうのってストックも必要だろ」
言いながら、俺は『雪城クラフト』と印字されたダンボールを開く。
——そこから出てきたのは、さっきロビーで話題に上がったばかりのスノードームだった。
オーダーメイドなんだろうか。全体を包んでいるエアパッキンを開いてひとつ取り出してみれば、四角い箱には『Akari Shiramine』と金箔で銘打たれたロゴがあり、グランドピアノと雪の結晶がモチーフになったスノードームの写真がプリントされていた。
そして箱の隅には、『オルゴール内蔵』の一文がある。書かれた曲名は——
「……雪の音色」
聞いたことのない曲名だなと思っていると、パンフレットを読んでいた夏目の目がこちらを向いた。
「白峯あかりのオリジナル曲のようですよ。パンフレットにも載っています」
差し出してきたページはインタビューのページだった。そこには『オリジナル曲・雪の音色について』という章題があり、どのような経緯で作ったか、どのような想いを込めたかなどが語られていた。
「へぇ……作曲もするんだな」
「そのようですね。わざわざオルゴールを内蔵したスノードームの音源にするくらいですから、石黒としては売り出すつもりだったんでしょうね」
「金かけてんなぁ。安くないだろ、こういうグッズって」
「オルゴール内蔵、それもオリジナル曲となったら、結構な単価じゃないでしょうか。パンフレットにしてもポストカードセットや楽譜にしても、質の低い物じゃなさそうですし、製作費はかなり注ぎ込んでいる気がしますね」
試しにひとつ、スノードームの箱を開けてみる。
——西洋のアンティークのような飾り土台に、直径10センチ程度のガラスの球体。透き通ったガラスの中には、精巧なピアノの模型と、クリスタル製の雪の結晶が収められている。
土台の底に付いてるのは、ゼンマイ式のパーツだ。オルゴールを鳴らすために巻くやつだろう。
試しに鳴らしてみようかと思ったが、未開封品ゆえにゼンマイには小さなタグがついていて、固定されている。剥がせはするが、まぁそこまでしなくてもいいか。多少興味はあるが、今はやめておこう。
同じロゴの他の箱も見てみたが、全てスノードームのようだ。発注数はざっと100個ってとこか。
「結構な数だな。他にポストカードとパンフと楽譜しかグッズがないのを見ると、これが目玉なんかな」
「普通なら缶バッジやクリアファイルといった、もう少し低コストで安価なグッズをメインにするのがセオリーな気がしますけど……これだと、採算は度外視しているとしか思えませんね」
手のひらに乗せたスノードームをじっと見つめる。試しに逆さにして戻してみれば、雪を模した白い粉末が舞い、水の中でヒラヒラと、キラキラと輝いた。その幻想的な様子はまるで、雪の中でピアノがぽつりと佇んでいるような——そんな光景に見える。
俺は、夏目の言葉に考え込んでいた。
高級な部屋。コンサートの興行。採算度外視のグッズと発注数——そこに関わってくるのは、当然『金』だ。
その金の出所は——例のアレに、繋がっているのかもしれない。
「……雛形に、石黒が金を使用した形跡を追うよう頼んでおいてくれるか。私的利用と、白峯あかりのプロデュースにかけたものと、出来れば比較も欲しい」
「了解しました。……ボス、もしかして」
「ああ。俺の勘が正しければ、これが『動機』な気がしてな」
石黒の犯罪——NPO詐欺事件。ここに来て、石黒の『金』についてが見えた気がする。
おそらく石黒は、白峯あかりに傾倒している。
利益関係じゃない。金が目的ならもっと売り方を考えるはずだ。しかしこの物販商品を見る限り、白峯あかりに対する深い敬意のような——強いこだわりを感じる。
「……石黒は、既婚者でしたよね」
夏目はそれを痴情と読んだのか、確かめるように呟いては眉を顰めた。倫理観の強い夏目からすると、想像した関係性に嫌悪感があるんだろう。わかりやすいヤツだ。
「不倫だって決めつけんのは早いだろ。そこら辺はちゃんと調べてからな」
走りがちな夏目を諫めると、微妙に納得いかなさそうな顔で「はい」と頷いた。
俺はスノードームをダンボールに戻すと、今度はダイニングテーブルに目をやった。
ナチュラルウッドのテーブルには、書類が何枚も広げられている。そして書類の他にはもうひとつ。
——さっき見たばかりのスノードームが、開封された状態で置かれていた。
「書類はコンサート関連のものですね。進行表にコンサートスタッフ派遣契約に関するもの、あとはホテルとのイベント契約に関する書面です」
「で、またスノードームか」
「届いた商品のサンプル確認ですかね」
「んー……」
何か、違和感がある。
直感的にそう思った最初のキッカケは、スノードームの近くに置いてある梱包箱だ。スノードームが入っていただろうその箱は白い紙箱で、先ほどの商品箱よりも大きく、形状が違う。表面にプリントがされていないのはサンプル品だからかと思ったが、パッと見『サンプル品』の印字はない。
俺は紙箱を手に取り、念入りに調べてみる。すると箱の側面には、『組立前』という印字があった。箱の中には小さな空のビニール袋がいくつか入っていて、各パーツが入れられていたのだろうと予想がついた。
つまりこのスノードームだけは未完成品のまま仕入れて——石黒が、手作りしたということか。
一体、何のために?
俺は紙箱をテーブルに戻すと、今度は石黒の手作りらしきスノードームを手に取った。
すると、すぐに気がついた。
さっきの商品よりも、わずかにずっしりとした”重み”があると。
強まる違和感を覚え、ざわつく予感を確かめるように、俺はつぶさに目を光らせた。
球体の中にはピアノと雪の結晶の飾りがあるが、やはり手作りのせいか、正規品に比べて歪みがある。球体と土台の接着面もやや雑だ。そして中の水の量も、先ほどと違う気がする。こちらの方が、少し”多い”気がする。
そしてさらに目を凝らせば——球体の中の水には、うっすらと不自然な”層”があることにも気がついた。
逆さにしてみれば、ヒラヒラと舞うはずの雪の動きが水の中を鈍く漂った。まるで沈むのをためらうような、抗うような——そんな動きだ。
「……夏目。これ、すぐに鑑識に回せ。至急だ」
低くなった俺の声に、夏目が背筋を正す。
「陸くん」でも「陸」でもなく、「夏目」と呼ぶ俺の剣呑な様子に空気がひりつき、夏目の視線が鋭さを増す。
「何か気になるんですか?」
「重さがさっきのと違う。あと、中の液体もただの水じゃない。……なにか、混ぜられてる」
違和感を伝えれば、夏目が中の液体に注目し、顔を強張らせた。
逆さにして戻した液体は一瞬混ざり合っていたが、数秒もせずに、境界がじわりと分かれていく。わずかに色味が異なって見える下層と、その上で舞う雪。——何かが沈んでいるのだ。
これはただの水じゃない。
それは、一目瞭然だった。
「……ボス。これは、どういうことでしょう」
「さぁな。ただ、手作り品を贈りたいって目的なら中の水を変える必要はない。……そこが引っかかる」
目の色を変え、「すぐ鑑識に回します」と夏目が逸る。支給端末を手に取り熊井に連絡を取ると、受話口の向こうからは「すぐに手配をする」との応答が返った。
通話を切り、俺と夏目は目配せをする。
「この感じだとまだ何かあるかもしれん。手分けして、しらみ潰しにいくぞ」
「はい、ボス」
頷き合い、俺たちは二手に分かれることにする。
ベッドルームやバスルーム、そして転落現場とみられるバルコニー。まだまだ調べる余地はある。
——事故か、事件か。
暗雲の気配に窓の向こうを見渡せば、バルコニーの先の広大な空は、鈍色の雲を広げ始めていた。
