海外学生生活① 人と接する事にやっと慣れた頃
前回のお話「ダメ中学生、海外移住を果たす」
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結局長くなって、公開が遅れました。
沢山書いてしまうなあ。
高校卒業してもちょっと陰キャ
本当に暗い中学時代から、家庭の事情で夏のうちにいきなり海外の高校1年生となるものの、悲しいことにキラキラのハイスクールでも私には青春は一切無かった。
ただ、前回書いた方法で、整形無し&アイプチ未使用で両まぶたを二重にする事に成功したので、高校を上がる頃から少しずつ化粧をしたり、自分が本当に好きなファッションを身に着けるようになった。
自信がついてきたのか、激ブス時代は避けていたミニスカートやフリルのついた衣類、ガーリーなテイストや流行っていた洋服も着られるようになっていった。
ニーハイも好んで履いたし、"今の私なら多少調子乗ってもいいんだ"、"ちょっとだけ美少女に近付いたんだから、好きなカッコしてもいいんだ"、なんて考えていた。
特に夢や目標はなかった。
勉強も出来る方ではなかった。
相変わらず日本の漫画とアニメが好きで、妄想と趣味の世界に没頭していた。
そのまま同じ国で実家暮らしをしながら短大に入り、先は見えなかったが、それでもようやく自分自身を出せるようになってきた。
何事も成長が人よりワンテンポ遅いなあと思うが、まあ、少しずつは前進していた。
新しい学校でも、一番最初は当然友達が居なかったので生活スタイルも陰キャのままだったが…。
(最初の一週間は、あまりの敷地の広さと授業内容について行くので必死だった)
どうにか語学面はまあまあ慣れてきた頃だが、結局現地人の友達ができるまで結構時間はかかった。
ぼちぼちファッションに力を入れるようになった日本人の女子という事で、世間話以外でもちょくちょく友好的に話しかけられはするんだけど、大体日本人好きなきめぇ男から話しかけられる事が多かったので、スラングやら喋り方やらが個性的で結局コミュニケーションが大変だった。
今はそんな事ないと思うけど、当時は日本人好きな現地の男ってかなりキモい奴が多かった。
「日本人が好き」じゃなくて「アジア人が好き」ならまあまあ普通の人やイケてる人もいたけど、本当に現地人のアジア人女子に対する好みって我々の価値観とちょいズレてるよなあと感じたのを覚えている。
それぞれの国じゃあまりモテないであろうアジア女子も国外では何故かモテるから、まぁウィンウィンでいいんじゃねーの、とまだまだひねくれていた時代の私は静かに思うのだった。
(いやなんか知らんけど、その頃の道行く国際カップルの片割れは、大体すごい狐目で性格キツい女子だったんだよね…)
短大に入り、最初の生活は今までと何ら変わらなかったものの、柄の悪い公共バス通いを卒業すべく、ようやく両親が私にドライビングスクールへ行くよう指示するようになった。
私は、車社会といえど海外での運転に一切前向きではなかったし、出来ることなら運転なんて一生したくなかったくらいだが、親がうるさいので渋々運転を学ぶことにした。
(かなりの中古車ながら)日本車を贈ってくれるとの事だったし、そもそもパブリックバスで不法滞在者の外国人や精神病の人や薬中、痴漢なりと毎日往復2時間ほど同じ空間で過ごし続けるのも苦痛だったので、ちょっと頑張ってみた。
ていうか私のような人種も異なる移住者に対しても真正面から全力胸揉みするクソ痴漢がヤバすぎたな…。
世界が少しずつ広がっていく
当時の私は結構ビビりで、そもそも出来が悪いので簡単な運転も覚えるのに時間が掛かった。
しかし親が日本人の先生を探してくれて(カテキョ的なノリで個人で運転試験コーチをやっていた人かもしれないが)、日本語で運転方法を教えて貰いながら、少しずつ車に慣れていった。
日本では通常、運転免許を取るため合宿へ行って時間とお金をかなり取られると聞いてたまげたのだが、当時私が住んでいた国では運転免許取得のために必要なお金も高くなく、大体みな親兄弟から軽く運転を教わって試験を受けるとのことだった。
私がガチガチに緊張したせいで1回凡ミスで試験を落とされた際も、親からは特に怒られなかった。
車がないと生きづらい社会だったので、お金がかかり過ぎたり難し過ぎても大変なんだろうな。
2回目の試験でサクッと運転免許を手にし、不思議な感覚だったのを覚えている。
縦列駐車とかも全然できないのに、こんな私でも取れちゃう免許なんだ…と。
実際、高速は周りもバカみたいにビュンビュン飛ばすし、日本と違って駐車は頭から突っ込む駐車方法ばかりだ。
みな運転は荒い。
わりと簡単に免許が取れる為だろうか。
あちらでの生活は、最初から最後まで事故が怖くて仕方が無かったが、結局大事故はなく生活が出来てよかったと心から思う。
掠ったり、前の車小突いたりは何回かしちゃったけどね…。
私の初めての愛車は、中古車のトヨタセダン1997年だったと思う。
古いけど乗りやすくて安かったから親が買ってくれたのだと思うが、結果的にこの時から6~7年後、私が完全帰国を果たす数日前までこの子は壊れなかった。
トヨタすごい!
なんか、思い出すと切ないというか、不思議な感情になるから普段敢えてちゃんとは思い出さずにいる。
この子に乗り始めてから色々な所へ一人で行けるようになったし、のちに友達ができてからは仲間を乗せて沢山移動したし、世界は明らかに広がったと思う。
日本に帰国してから運転をする気は無いので、私の人生最初で最後の愛車だ。
一緒に本当にいろんな所へ行ったね。
深く感謝をしている。
家族以外の日本人と絡むように
そして、最初はおぼつかなかったものの、自分の車で毎朝30分ほどの通学も易々とできるようになった頃、学校で日本人とぼちぼち絡むようになった。
それまでは、家の中でだけ日本語を喋りまくったり、手に入るだけの日本食を食べたりと、家庭内でのみ日本を感じていたのだが。
校内の広いカフェテリアで昼食を食べたり授業の間の休憩をしていたりしていると、色んな人と絡むようになる。
非常に自然と。
私がこの時通っていた学校は日本人留学生も多く、現地人以外にも日本人の学生達とコミュニケーションを取る事が多かった。
生徒らが幼稚で意地悪だった高校と大違いで、人種関係なく皆いきなり優しく、大人になったことに当初ひどく驚いたのを覚えている。
通いやすくなって良かった、と率直に思った。
なによりも、移住してから4年後やっと自分と同い歳の日本人と触れ合う機会を得て、なんだか嬉しかった。
日本から来たばかりで海外かぶれな子が意外と少なかったのも、個人的には良かった。
私はこんなに海外暮らしをしておいて、日本にしか興味が無かったから。
彼女ら・彼らと話す事によって、日本で流行っているものを知ったり、同じ感覚で話したり笑ったりできた。
中には社会人になってから、もしくは中年や老人になってから留学を果たした歳上の日本人生徒らもいたが、最初に知り合ったのが大体18~19歳くらいで同い歳だったので、すぐさま友達になれた子も多かった。
六本木通ってますみたいな日本人や、ノリが全く合わねぇなと思う奴もまぁ普通にいたが…。
少なくとも私が知っている頃の留学生は、男も女も妙にイキってる奴ら(誰とでもヤります/パーティー好きです/薬物も億さず試します、のいずれかに該当する面々)と、それとは真逆にめちゃくちゃ真面目に海外で勉強しに来ている奴らとでかなり両極端だったような気もする。
大体は自分の力というよりかは家族が積んだ金で海外留学を果たしているので、いずれにせよ揃いも揃って実家が太い奴ばかりである。
日本では誰もが知ってる企業だったり老舗料理屋だったりの関係者のご子息ご息女も普通に同じ学校に通っていて、偶然この土地に住んでいなければまず道が交わる事もないような連中がゴロゴロといた。
それにしても、クラブやレイヴに通っていて女遊びがとても派手だった先輩&同級生の男達は、日本帰国後も外国人が多いエリアのクラブDJとして数年間活動していたようだったし、学業に励まなくても海外在住の経歴と人脈を築ければそれでOK!みたいな人達は気楽そうだったな……。
私が仲良くなったのはそういう連中ではなかったんだけど。
留学生はみな様々な都道府県から来ていたため、結果的に数年後日本中に友達ができる事となった。
友達ツアーと称して帰国時に国内旅行しまくった時は楽しかった…!
10年以上経つ今でも交流が続く子達もいる。
根はオタクのままだったが、運転もできるようになり、友達も徐々に作り始め、私は少しずつ変わり始めた。
最初こそコミュ障ではあったが、日本語での同世代とのやり取りも上達(?)していった。
家ではニコニコ動画ばかり観つつ、次第に外では勉強と友達とのハングアウトに勤しむようになった。
ここからハードな話になるので、一旦分けます。
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次のお話
「海外学生生活②初交際の成れの果て」
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この前ふいにアイスカフェラテを奢っていただく事があり、これぞささやかだけど大きい幸せだぁ!と思いました。
なんだかいつもより美味しく感じました☕️
誰かからカフェラテを飲ませて貰える分、明るく生きられる気がします。