なぜ現代日本は「ちゃんとしている人」ほど壊れやすいのか?
昨日、自己責任についての記事を書いたら、noteのアルゴリズムからこんな記事がリコメンドされた。
その中で、このような記述があった。
だが私は、さまざまな現場を見てきて、次第に違和感を覚えるようになった。
真面目で責任感が強く、周囲に気を配り、改善しようとする人ほど先に壊れ、燃え尽き、離脱していく場面を、あまりにも多く見てきたからだ。
社会は、その現象を「構造問題」として扱おうとしない。
「あの人が弱かった」「努力不足だった」「メンタルの問題だ」と個人に帰結させてしまう。
私は時々、この「自己責任」という言葉は、単なる思想ではなく「麻酔」なのではないかと思う。
なぜなら、本当に構造問題を直視すると、かなり怖いからだ。
もし問題が個人ではなく、社会設計そのものにあるとしたら。
もし真面目な人ほど壊れる構造が存在するのだとしたら。
もし「頑張る人」が燃料として使われているのだとしたら。
それは、自分たちが信じてきた社会そのものへの疑問に繋がってしまう。
だから人は、無意識のうちに「個人の問題」に変換したくなる。
そのほうが安心できるからだ。
しかし本当に怖いのは、今の日本社会では「ちゃんとしている人」ほど壊れやすいことである。
この記述に思うところがあったので、今日はそれについて書きたい。
そもそも、人類に限らず生命は誕生と淘汰をくり返すシステムである。その中で、人類は20世紀、かなり誕生過多になった。その結果バランスが崩れ、強力な揺り戻しが来ている。それが今の全世界的な「人口減少社会」だ。
今は淘汰の時代である。これは生命の在り方として極めて真っ当である。物理的に見ても合理的に見ても——つまり科学的に見れば見るほど淘汰のない世界はあり得ないし、また誕生過多の生命が長続きしたためしもない。
今は淘汰の時代なのである。だから基本的に、人が死んでいく、あるいは壊れていくのは——
ここから先は
¥ 550
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?
