全身ボロいのに、靴だけCCP、メガネだけJMMみたいな人、結構好きである
1. 全身ボロいのに、そこだけ異常に高い
全身ボロいのに、靴だけCarol Christian Poell。
あるいは、メガネだけJacques Marie Mage。
そういう人、結構好きである。
コンビニ飯を食べているのに、足元だけ異常に高い。
服は最低限なのに、顔まわりだけJMM。
部屋は狭い。
家具も少ない。
でもロードバイクだけ100万。
そういう人がいる。
昔は、単純に変わった人だなと思っていた。
でも最近、それってかなり人間らしい執着なのではないかと思うようになった。
全身を完璧に整えるわけではない。
生活全体がラグジュアリーなわけでもない。
むしろ、日常はかなり普通である。
なんなら少しボロい。
食事も適当。
部屋も狭い。
服もそんなに多くない。
でも、ある一点だけ異常に濃い。
靴だけ異様に強い。
メガネだけ異様に濃い。
自転車だけ異様に高い。
カメラだけ異様に本気。
オーディオだけ人生を賭けている。
こういう人には、少し妙な説得力がある。
全部を整えた人の美しさとは違う。
全部は無理。
でも、ここだけは絶対に譲らない。
その感じが出ている。
それは単なる見栄ではない。
むしろ、見栄にしては効率が悪すぎる。
見栄を張るなら、もっと分かりやすく全体を整えた方がいい。
でも、そうではない。
一点だけ異常に濃い。
そこに、その人の核が出ている。
2. ghetto fabulousとの近さ
これは少し、ghetto fabulousに近い。
ghetto fabulousというのは、かなりざっくり言えば、貧困やストリート出身性を、過剰なラグジュアリーで可視化する美学である。
金チェーン。
大きなロゴ。
高級車。
毛皮。
シャンパン。
派手なジュエリー。
過剰な装飾。
そこには、俺はここまで来た、という強いメッセージがある。
貧しさを隠すのではない。
むしろ、出自のハードさを背景にしながら、ラグジュアリーを過剰に身につける。
それは成功の可視化である。
自分はもう奪われる側ではない。
自分はここまで上がってきた。
そのことを、身体と装飾で見せる。
だからghetto fabulousには、かなり強い祝祭性がある。
少し過剰で、少し攻撃的で、少し眩しい。
ラグジュアリーを静かに隠すのではなく、あえて見せる。
ロゴを消すのではなく、ロゴを掲げる。
金を隠すのではなく、金を光らせる。
そこには、社会の中で見えなくされてきた人間が、自分の存在を見せるための力がある。
一方で、日本の一点豪華主義は少し違う。
もちろん、近い部分はある。
余裕がない中で、ある一点だけに過剰な投資をする。
そこには、生活の全体性とは別のラグジュアリーがある。
ただ、日本版はもっと静かで、もっとオタク的で、もっと執着的である。
成功を見せたいというより、ここだけは絶対に譲れないという感じが強い。
金チェーンで俺は成り上がったと見せるのではない。
全身ユニクロなのに、靴だけGuidi。
生活は節約しているのに、カメラだけLeica。
部屋は狭いのに、オーディオだけ狂っている。
そこにあるのは、成功の誇示というより、偏愛の圧縮である。
3. 日本版一点豪華主義
日本版の一点豪華主義は、かなり不思議である。
全身を高級品で固めるわけではない。
むしろ、全体はかなり質素である。
服はユニクロ。
バッグは適当。
食事はコンビニ。
住んでいる部屋も普通。
でも、靴だけ異常に良い。
あるいは、メガネだけ異常に良い。
あるいは、腕時計だけ異常に良い。
あるいは、ロードバイクだけ異常に良い。
あるいは、万年筆だけ異常に良い。
あるいは、椅子だけ異常に良い。
こういう人がいる。
この時、重要なのは、全体のバランスが必ずしも整っていないことである。
むしろ、整っていないから面白い。
ラグジュアリーな人というより、そこだけ穴が開いたように濃い人である。
生活全体の中で、その一点だけ重力が違う。
普通の暮らしの中に、急に異常な解像度の物がある。
この違和感がいい。
全部が高い人は、分かりやすい。
そういう階層の人なのだと思う。
全部が整っている人も、分かりやすい。
美意識が生活全体に行き届いているのだと思う。
でも、一点だけ異常に高い人は、分かりにくい。
なぜそこなのか。
なぜ靴なのか。
なぜメガネなのか。
なぜカメラなのか。
なぜ自転車なのか。
なぜその一点にだけ、生活の他の部分を削ってまで金を入れるのか。
ここに、その人の物語が出る。
その一点だけは、その人にとってただの物ではない。
自分の美意識の避難場所であり、尊厳の置き場所であり、世界との接点である。
だから、全身ボロくても、靴だけCCPになる。
メガネだけJMMになる。
そこだけは、安く済ませられない。
4. Quiet Luxuryとは違う
これはQuiet Luxuryとも違う。
Quiet Luxuryは、余裕の美学である。
全部が整っている。
素材が良い。
シルエットが良い。
ロゴは目立たない。
色は静かである。
分かる人だけ分かる。
大声で見せびらかす必要がない。
なぜなら、すでに余裕があるからである。
Quiet Luxuryは、持っている人が、持っていることを静かに扱う美学である。
そこには、経済的余裕、文化資本、身体の余裕、生活の整いが前提としてある。
一方、一点豪華主義は、そもそも全部を整えられない前提で成立している。
全部は無理。
服も家も食事も家具も旅も、全部を豊かにすることはできない。
だから、人生の核だけに全振りする。
この違いはかなり大きい。
Quiet Luxuryは、余白がある人の静けさである。
一点豪華主義は、余白がない人の執着である。
Quiet Luxuryは、全体が静かに整っている。
一点豪華主義は、全体は整っていないが、一点だけ異様に濃い。
Quiet Luxuryは、私は分かっている、という静けさである。
一点豪華主義は、ここだけは死んでも譲らない、という偏りである。
どちらが上という話ではない。
ただ、別の美学である。
私は、後者にかなり人間味を感じる。
なぜなら、そこには整いきらない生活の中で、それでも何かを守ろうとする感じがあるからである。
ラグジュアリーが単なる派手さではなく、余白や静けさとして見える理由については、以前こちらで書いた。
▶ なぜ今、引き算が高級に見えるのか
5. 全部を豊かにできない時代
でも最近思う。
これは単なる見栄ではない。
むしろ逆で、全部を豊かにできない時代だからこそ、人は人生の核だけを極端に濃くし始めている。
家賃は高い。
物価も上がる。
将来は不安定である。
給料が増え続ける保証もない。
全身をハイブランドで揃える余裕はない。
広い部屋に住み、良い家具を置き、良い服を着て、良い食事をして、良い旅をする。
そんな全部盛りの豊かさは、多くの人にとってかなり遠い。
だから、全体を諦める。
でも、全部を諦めるわけではない。
一点だけ残す。
靴だけは残す。
メガネだけは残す。
自転車だけは残す。
カメラだけは残す。
音だけは残す。
椅子だけは残す。
ここに現代的なリアリティがある。
全部を豊かにできないから、全部を均等に薄くするのではない。
人生の核だけを濃くする。
これは、ある意味でかなり合理的である。
全体をうっすら良くするより、自分にとって本当に重要な一点を強くする。
それは消費というより、生存戦略に近い。
全身を整える余裕はない。
だから靴だけCCPになる。
メガネだけJMMになる。
ロードだけ100万になる。
そこには、消費というより、生き残るための執着に近いものがある。
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