なぜ41歳で服飾専門学校へ入学したのか
1. 41歳で服飾専門学校に入学した
41歳で服飾専門学校に入学した。
一般的には、遅いと思われるかもしれない。
服を学ぶなら、もっと若い頃から始めるものだと思われやすい。
高校を出て進学する。二十代でブランドを始める。若いうちに現場に入り、身体で覚える。長く下積みをして、少しずつ技術を身につける。
そういう道の方が自然に見える。
その意味では、私はかなり遅い。
しかし、自分の感覚では、遅いというより、ようやくここに来たという感じがある。
遠回りして、いくつかの領域を通過して、結果的に服へ戻ってきた。
最初から服だけを見ていたら、おそらく今のようには考えられなかった。
情報学を学び、事業を行い、海外を見て、FIREし、AIを使い、A’ Design Awardを受賞した。
そのすべてを通過したあとで、服という媒体が急に強く見えるようになった。
服は、単なる布ではない。
服は、思想が身体に触れる場所である。
そのことを、今なら以前よりはっきり感じる。
だから、41歳で服飾専門学校に入学した。
これは若い頃にできなかったことのやり直しではない。
これまでの人生が、ようやく服という形に集まってきた結果である。
2. ミシンの話は入口にすぎない
最近、服作りと技術について少し考えることがあった。
ミシンが必要かどうか。
縫製をどう捉えるか。
服を作るとは、どこから始まるのか。
そういう話である。
ただ、ここで書きたいのはミシン論争ではない。
ミシンを否定したいわけではない。
縫製を軽視しているわけでもない。
パターンや素材理解が不要だと言いたいわけでもない。
むしろ、服を学び始めるほど、技術の重要性は強く感じる。
布は思った通りには動かない。
身体は平面ではない。
縫えば服になるわけではない。
素材には重さがあり、落ち感があり、摩擦があり、伸びがあり、戻りがある。
縫製やパターンを知らずに服を語ることには限界がある。
だから、技術は必要である。
ただし、技術だけが入口だとは思わない。
服作りは、ミシンから始まる人もいる。
素材から始まる人もいる。
身体から始まる人もいる。
写真から始まる人もいる。
古着の再構成から始まる人もいる。
ブランド設計から始まる人もいる。
AIから始まる人もいる。
所有や二次流通から始まる人もいる。
私の場合は、かなり遠い場所から服へ入ってきた。
情報、事業、AI、所有、時間、身体。
そうした問いの先に、服があった。
だから、41歳で服を学ぶことは、技術だけを取りに行くことではない。
問いを、身体に触れる形へ変えるために学ぶのである。
3. これまで何をしてきたのか
私は情報学を学んだ。
情報とは何か。
構造とは何か。
システムとは何か。
人間の行動はどうモデル化されるのか。
そういうことを考える時間があった。
その後、事業を行った。
シーシャ業界で事業をし、店舗や顧客、体験、空間、ブランド、収益の現実を見た。
事業は、思想だけでは続かない。
売上が必要である。
利益が必要である。
人が必要である。
仕組みが必要である。
現場が必要である。
どれだけ良いと思っていても、続かなければ終わる。
そこで、理念と数字の距離を知った。
海外も見た。
日本の中だけで考えていると、当たり前だと思っていたものが、実は当たり前ではないことに気づく。
文化、身体感覚、距離感、商売、服、街、時間の使い方。
場所が変わると、人の振る舞いも変わる。
その後、FIREした。
自由になれば、すべてが楽になるわけではない。
むしろ、強制力が消えたあとに、自分で時間の形を作らなければならなくなる。
会社や仕事に引っ張られていた時間がなくなると、何をするかは自分で決めるしかない。
自由は、余白であると同時に、構造の喪失でもある。
その経験も大きかった。
さらに、AIを使うようになった。
AIは、言語化、構造整理、リサーチ、画像生成、壁打ち、比較に強い。
これまで時間がかかっていたことが、かなり速く進む。
自分の中にある違和感を言葉にする時、AIは反射板としてかなり役に立った。
Byakuyaも、その中で形になっていった。
A’ Design Awardも受賞した。
それは自分にとって、ひとつの結果ではある。
しかし、その結果だけが重要だったわけではない。
そこへ至る過程で、所有、時間、身体、痕跡、二次流通、ブランドと顧客の関係について考え続けたことの方が重要だった。
この受賞については、以前の記事で詳しく書いた。
▶ A' Design Award 受賞について
そして、そこまで来てもなお、服に戻ってきた。
むしろ、そこまで来たからこそ、服に戻ってきた。
4. なぜ服なのか
なぜ服なのか。
この問いには、かなりはっきりした答えがある。
服は、人の身体に最も近い思想だからである。
文章は読まれる。
画像は見られる。
音楽は聴かれる。
建築は入られる。
しかし服は、着られる。
身体に触れる。
肩に乗る。
腕を通す。
汗を吸う。
皺になる。
重さになる。
温度になる。
生活の中で使われる。
思想が身体に接触する媒体として、服ほど強いものは少ない。
どれだけ美しい言葉を書いても、それは身体に直接触れない。
どれだけ美しい画像を作っても、それは現実の皮膚には触れない。
しかし服は触れる。
この違いは大きい。
服は、単なる表現ではない。
毎日使われる。
汚れる。
破れる。
洗われる。
修理される。
手放される。
誰かに受け継がれる。
時間の中で変化する。
つまり、服は思想を物理化するだけでなく、時間の中で変化させる。
最初に作られた時点で完成するのではない。
着られることで変わる。
使われることで変わる。
所有されることで変わる。
修理されることで変わる。
ここに惹かれている。
私は、服を単なるファッションとしてだけ見ていない。
時間を持った媒体として見ている。
身体に触れる構造として見ている。
所有の記録として見ている。
記憶の器として見ている。
だから、服を学びたいと思った。
この感覚は、以前書いた「だから私は服を作る」という記事ともつながっている。
服を単なる商品ではなく、思想と産業の矛盾に応答するための構造として考え始めたのは、このあたりからだった。
▶ だから私は服を作る
5. 技術を学ぶ理由
縫製やパターンを学ぶのは、職人になるためだけではない。
もちろん、技術は身につけたい。
縫えるようになりたい。
パターンを理解したい。
素材を扱えるようになりたい。
仕様を知りたい。
身体と布の関係を学びたい。
しかし、それだけではない。
技術を学ぶ理由は、自分の思想を、他人に依存せず構造として理解するためである。
外注するにしても、協業するにしても、構造を知らなければ指示できない。
何が難しいのか分からない。
何が可能なのか分からない。
どこに時間がかかるのか分からない。
なぜその価格になるのか分からない。
なぜその仕様にする必要があるのか分からない。
それでは、自分の思想を服へ変える時に、他人の技術に丸投げすることになる。
もちろん、すべてを自分でやる必要はない。
むしろ、服作りは多くの場合、協業である。
パタンナーがいる。
縫製者がいる。
生地屋がいる。
加工する人がいる。
撮影する人がいる。
販売する人がいる。
すべてを一人で抱える必要はない。
しかし、自分が何を依頼しているのか分からない状態では、協業は弱くなる。
技術は目的ではない。
技術は、思想を正確に実装するための言語である。
言語を知らなければ、細かい意味を伝えられない。
どれくらいの余白が必要なのか。
どこを崩したいのか。
どこは崩してはいけないのか。
なぜその縫い方なのか。
なぜその生地なのか。
なぜその厚みなのか。
なぜその可動域なのか。
そこを伝えるために、技術を学ぶ必要がある。
技術者になりたいだけではない。
技術を通して、問いを正確に形にしたい。
そのために学ぶ。
6. AI時代だからこそ、手を学ぶ
AIによって、制作の速度は上がった。
文章は速く書ける。
構造整理もできる。
リサーチもできる。
画像生成もできる。
シミュレーションもできる。
コンセプトの比較もできる。
以前なら何日もかかったことが、数時間で進むことがある。
これは大きな変化である。
私はAIをかなり使っている。
使わない方がいいとは思っていない。
むしろ、使えるものは使うべきだと思っている。
AIは、問いを整理する相手になる。
矛盾を見つける相手になる。
言葉を磨く相手になる。
構造を外から見る反射板になる。
しかし、AIができることが増えるほど、人間の手に残るものも見えてくる。
画像は作れる。
しかし、布の重さは画像では分からない。
スタイルは作れる。
しかし、着た時の暑さや動きにくさは分からない。
構造案は出せる。
しかし、その縫製が現実に可能かどうかは、身体と素材の側で判断しなければならない。
AIは、服のイメージを作ることができる。
しかし、服が身体に触れる責任までは引き受けられない。
誰が着るのか。
どこが擦れるのか。
洗ったらどうなるのか。
破れたら直せるのか。
長く着られるのか。
所有された後にどう変化するのか。
その最終責任は、まだ人間の手に残る。
AI時代に必要なのは、すべてを機械に任せることではない。
何を任せ、何を自分の手に残すかを決める力である。
言語化はAIに任せられる部分がある。
構造整理も任せられる部分がある。
ビジュアルの探索も任せられる部分がある。
しかし、身体に触れる判断は簡単には任せられない。
そこには、手で触ること、着ること、縫うこと、失敗すること、直すことが必要になる。
だから、AI時代だからこそ手を学ぶ。
これはアナログ回帰ではない。
AIへの反発でもない。
むしろ、AIを使うからこそ、手に残すべきものがはっきりする。
AIによって画像やスタイルが生成できる時代に、ファッションは何を作るのか。
この問いについては、別の記事で詳しく書いた。
▶ AI時代に、ファッションは何を作るのか
7. 41歳という年齢について
41歳は遅いかもしれない。
服飾専門学校に入る年齢としては、若くはない。
周囲には、もっと若い人が多い。
体力も違う。
時間の感覚も違う。
吸収の速さも違うかもしれない。
しかし、若い頃には見えなかった構造が今は見える。
事業をやった。
失敗もした。
海外を見た。
孤独もあった。
FIREもした。
賞も取った。
AIも使った。
資本や制度の現実も見た。
人間関係の難しさも見た。
自由が簡単ではないことも知った。
そのすべてを通過した今だからこそ、服を単なる服として見られない。
服は商品である。
同時に、身体の構造でもある。
服は表現である。
同時に、社会の制度でもある。
服は個人の好みである。
同時に、階級、性別、労働、流通、所有の問題でもある。
若い頃に服を学んでいたら、ここまで広くは見られなかったかもしれない。
もっと単純に、かっこいい服を作りたいと思っていたかもしれない。
それが悪いわけではない。
でも今の自分は、服を通してもっと別のことを考えている。
時間。
身体。
所有。
記憶。
責任。
流通。
修理。
二次流通。
ブランドと顧客の関係。
服が買われた後にどう存在するのか。
そこまで含めて考えたい。
41歳であることは、遅さでもある。
しかし同時に、通過してきた時間でもある。
その時間があるから、見えるものがある。
8. 服を作りたいだけではない
私は服を作りたいだけではない。
もちろん、服は作りたい。
自分の手で形にしたい。
素材を選び、パターンを引き、縫い、着て、直し、変化を見る。
その経験は必要である。
しかし、それだけではない。
服を通して、時間を設計したい。
身体を考えたい。
所有を問い直したい。
記憶を残したい。
責任を引き受けたい。
服は、買われた瞬間で終わらない。
着られる。
使われる。
傷む。
直される。
手放される。
誰かに受け継がれる。
その過程まで含めて服である。
Byakuyaで考えていることも、そこに近い。
所有を、購入の瞬間だけで捉えない。
誰が買ったかだけではなく、どう使われ、どう修理され、どう受け継がれたのかを考える。
所有とは、権利だけではない。
時間の積み重ねである。
服は、そのことを考えるのに最も適した媒体だと思う。
なぜなら、服は身体と時間の両方に触れるからである。
毎日着られる。
生活に入る。
劣化する。
修理される。
人の癖を吸収する。
そこには、思想を現実にする力がある。
だから、服を学ぶ。
服そのものを作りたいだけではない。
服を通して、思想が現実に触れる瞬間を作りたい。
所有や時間については、買い物の感覚からも考えている。
重要なのは、今欲しいかだけではなく、この先の時間まで含めて欲しいかである。服を学ぶ理由も、結局そこにつながっている。
9. 再出発ではなく、集約である
41歳で服飾専門学校に入学したことを、再出発と呼ぶこともできる。
しかし、自分の感覚では少し違う。
これは再出発ではない。
集約である。
情報学で学んだ構造。
事業で見た現実。
海外で感じた文化差。
FIRE後に向き合った時間。
AIで考えた生成と編集。
A’ Design Awardで形にした所有と時間の問い。
それらが、服という場所に集まってきた。
だから、唐突に服を始めたわけではない。
ずっと別々に見えていたものが、服を通して接続され始めた。
服は、情報である。
服は、身体である。
服は、商品である。
服は、記号である。
服は、時間である。
服は、所有である。
服は、関係である。
服は、思想である。
それらを同時に扱える媒体は少ない。
だから、服に来た。
今さらではなく、ようやくである。
若い頃には、服をここまで重く見られなかった。
今だから見える。
今だから学ぶ意味がある。
10. 結論
私は技術者になりたいだけではない。
職人への敬意はある。
技術への敬意もある。
縫製も、パターンも、素材理解も、きちんと学びたい。
しかし、それだけではない。
思想を、身体に触れるものとして実装したい。
そのために服を学ぶ。
AI時代には、画像も文章も構造案も大量に作れる。
だからこそ、現実の身体に触れるものの価値が増す。
服は、見るものではなく着るものである。
触れられ、汚れ、破れ、直され、時間とともに変化する。
その媒体に、思想を乗せたい。
41歳で服飾専門学校へ入学したのは、遅れを取り戻すためではない。
若い人と同じスタートラインに立つためでもない。
これまでの人生で考えてきたことを、服という形に集めるためである。
情報学。
事業。
海外。
FIRE。
AI。
A’ Design Award。
所有。
時間。
身体。
記憶。
責任。
それらが、ようやく服へ向かっている。
だから、41歳で服を学び直す。
これは再出発ではない。
これまでの人生が、ようやく服という形に集まってきた結果である。
関連して、これまで書いてきた記事はこちら。
▶ A' Design Award 受賞について
▶ だから私は服を作る
▶ AI時代に、ファッションは何を作るのか
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