【哲学的捕手論考】ファイターズ捕手と哲学の旅路を始めます
こんにちは、ニカです。
このnoteは、北海道日本ハムファイターズの捕手と哲学者の思想を重ね合わせて楽しむ試みの記録です。長くなりますが一人でも多くの人に読んでもらえればと思います。
前提をここに示しておくと、私が専門的な哲学の徒ではないことは留意してほしいです。
ただ哲学に興味がある一般人が、ある捕手に対してひとつのテーマを掲げそれを留めながら関連しそうな哲学の本を読むというひとつのチャレンジであり、一般人の認識と思考の範疇を超えるものにはならないことでしょう。それでも哲学の面白さの発見や、捕手ひいては野球を観戦する際に思考する一助となれば、それを一緒に見つけていければ恐悦至極であります。
なぜ捕手×哲学?
これは私が両方好きだからという動機が一番大きいのですが。
捕手というポジションには、「判断」「関係性」「身体性」「経験」といった多面的な要素が折り重なっています。これは哲学が扱う主題とも深く響き合っています。
このnoteは、捕手のプレーを手がかりに哲学の概念をわかりやすく説明しつつ、逆に哲学的な視点から捕手という存在の面白さを掘り下げる試みです。
その解釈を自分なりに深め、野球を見る面白さをもっと豊かにしたい──そんな思いでこのnoteを執筆しました。
要するに、捕手を例に出して哲学の用語を説明しつつ、捕手のあり方も考えてみようということです。
テーマ設定について
今回は5人の捕手に対しての論考を行おうと思います。各捕手に関する野球の上での印象は先のnoteに記述してあるので、興味がある人は読んでもらえると嬉しいです。
テーマの設定にあたっては、WEB検索とチャットGPTを使用しました。まずは各捕手のテーマとその意図、そこから導き出された哲学思想を見ていただきましょう。
・田宮裕涼と実存主義(サルトル)
・郡司裕也と方法序説(デカルト)
・進藤勇也と純粋経験(西田幾太郎)
・吉田賢吾と可能態(アリストテレス)
・梅林優貴と身体性(メルロ=ポンティ)
テーマ
【第一章】 田宮裕涼〜存在証明のゆあビーム(打)〜
田宮の捕手としての構成要素といえば、なんと言っても「ゆあビーム」、つまり強肩を利用したスローイングですよね。そしてストレートで裏をかいたり決め球にするリードも特徴の一つです。
つまり「真っ直ぐ」、これが彼の美学。
投手の力と自分の判断を信じるその真っ直ぐさは、実存主義の「今ここに生きる自己の存在=実存に重きを置く」という考えとも通じます。
この章では田宮の印象的なプレーを思い返し、平易にサルトルの『実存主義とは何か』を読み解きながら、彼の「自由」と「責任」を考察します。
【第二章】 郡司裕也〜我思う、ゆえにユーティリティ〜
郡司のユーティリティ性はチームに大きな影響をもたらしています。そして勿論彼自身にも。その上で捕手という役割にこだわりがある郡司から、まずは「捕手」という仕事そのものに迫りたいと思います。
配球理論という明瞭な一般規則から、投手や打者の状況という要素を鑑みて演繹的に判断する捕手の仕草は、まさに「我思う、ゆえに我あり」ではないか。
この章では捕手の仕事と共に、デカルトの『方法序説』を咀嚼しつつ、そこから翻って彼のユーティリティ性にも迫ります。
【第三章】 進藤勇也〜経験は動く、投手と捕手との間で〜
進藤は若手ながら卓越した守備力を持ちますね。それは彼の直感に裏打ちされているのか、経験なのか。そもそも、直感とは?経験とは?
西田哲学には「知的直観」や「純粋経験」というキーワードが出てくる。
この章では進藤の守備力の本質を探りながら、西田幾太郎の『善の研究』の第一編「純粋経験」を照らし合わせ、彼の発展に思いを馳せます。
【第四章】 吉田賢吾〜まだ成りつつある者へ〜
吉田は捕手とは言いつつもその可能性を我々はまだ測りきれていない。今後どういう起用になっていくかは吉田自身にもわからないものがあるでしょう。ユーティリティといえば聞こえは良いが、彼はまだ「未規定」な存在に近い。この可能性を秘めた状態は「可能態(デュナミス)」と共に解き明かすのがぴったりだと思います。
この章では吉田の未規定な部分を分析しつつ、アリストテレスの『形而上学(下)』と関連付けながら、その存在のポテンシャルが最大限花開く道を探ります。
(追記:タイトルを変更しました。2025/11/29)
【第五章】 梅林優貴〜小さい身体の可逆性〜
梅林はドラフト順位は低く出場機会は少ないながらも、トレーニングによって自らの道を切り開いてきました。そこに宿る集中力や身体性は唯一無二です。身体の大きさや派手なプレーよりもその感受性や知覚力で堅実に立場を維持している梅林の心と身体の関係を探りたい。そうなればメルロ=ポンティより他に最適な哲学者はいないでしょう。
この章では身体性と捕手に焦点を当てつつ、鷲田清一の『メルロ=ポンティ 可逆性』の本質を探り、これからの梅林の在り方を引き出します。
以上、五章に分けてお送りします。
タイトルは仮なので変更があるかもしれません。
興味がある方は本を手に入れて読んでもらえると嬉しいですが、手元に本がなくてもその内容や主張が伝わるようなnoteにしていきたいと思っています。捕手というポジションが秘めている複雑さ・奥深さを、哲学というレンズを通して一緒に味わえたら嬉しいです。
よろしくお願いします。
それでは。
