【歴史学の歴史4】キリスト教的歴史観
こんにちは、ニコライです。今回は【歴史学の歴史】第4回目です。
前回の記事はこちらから。
前回は中国のお話でしたが、今回は再び話を西洋へと戻します。ヘレニズム=古代ギリシャ文化とともに、ヨーロッパ文明のもうひとつの源流となったのが、ヘブライズム=キリスト教です。その影響は、当然歴史学にも及ぶこととなります。今回は、キリスト教的歴史観と、それに基づく普遍史について見ていきたいと思います。
1.聖書が語る人類の歴史
キリスト教的歴史観の第一の特徴は、聖書の中に登場する物語は全て現実に起きた出来事だとされることです。すなわち、聖書は宗教書であるとともに、史実を伝える歴史書でもあると認識されていたのです。
では、その聖書の中ではどのような歴史が伝えられているのでしょうか。
旧約聖書の最初の位置する「創世記」は、神による天地創造から始まります。神は混沌とした原初の世界を昼と夜、天と地、陸と海に分け、動植物を造り、そして、最初の人間であるアダムとイヴを創造しました。最初、アダムとイヴはエデンの園で暮らしていましたが、善悪の知恵の木の実を食べたために楽園を追放されてしまいます。

アダムは神によって塵(アダマー)から造りだされた。一方、イヴは、アダムのつがいとして、彼の肋骨から造られた。
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アダムとイヴの子孫たちは数を増やして繁栄しますが、地上に悪がはびこったため、神は彼らを一掃することを決断します。神はただ一人悪に染まらなかったノアに、巨大な箱舟に彼とその家族、獣・家畜・鳥たちのつがいを乗せるように命じ、彼がそのとおりにすると、大洪水を起こし、箱舟に乗らなかった人類と動物を全て滅ぼしました。人類はノアとその家族から再出発することになったのです。

大洪水が世界を襲ったという伝説は古代メソポタミアにも伝わっており、ノアの大洪水もそこから影響を受けたと考えられている。
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ノアの三人の子供であるセム、ハム、ヤペテは、それぞれアジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人の始祖となります。そして、セムの子孫であるアブラハムが登場し、彼の系譜がヘブライ人へとつながっていきます。そして、物語はヘブライ王国の誕生、ダヴィデとソロモンの時代、王国の分裂、そして新バビロニアによる王国滅亡へと移っていくのです。
2.終末への意識
聖書に記されているのは、人類の過去だけではありません。聖書では、やがて世界には終末が訪れ、神による最後の審判が行われ、神を信じない者や罪人は地獄へ、神を信じる者は天国へと分けられるという、人類の将来についても語られているのです。

再臨したキリストが死者たちを裁き、ある者は天国へと昇天し、またある者は地獄へと堕ちる様子が描かれている。
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旧約聖書の「ダニエル書」では、カルデア王ネブカドネザルが見た4つの部位が異なる素材から成る巨像の夢や、ダニエルが見た4体の獣が登場する夢、2本の角を持つ雄羊を一角の雄山羊が倒す幻が登場します。これらの幻視は、カルデア王国を第1として4つの帝国が興るが、第4の帝国が最後となり、世界の終末が訪れると解釈されています。こうした考えを「四世界帝国論」と言い、キリスト教徒たちは、歴史上登場したどの国が4つの帝国に当てはまるのかを様々に解釈していくことになります。

ダニエル書では、4つの世界帝国とは、カルデア(新バビロニア)、メディア、アケネメス朝ペルシャ、そしてギリシャ=ヘレニズム諸国とされる。
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新約聖書の「ヨハネの黙示録」では、終末の様子がより具体的に、おどろおどろしく描かれています。それによれば、子羊によって7つの封印が解かれ、7人の天使たちによってラッパを吹かれると、そのたびに天変地異が起こり、世界は1歩1歩終末へと近づいていきます。そして、第7のラッパが鳴らされるとキリストが再臨して千年間地上を統治し、その後、最後の審判が行われ、「神の国」実現するとされています。

ヨハネの黙示録にも、ダニエル書で登場したような3体の獣が登場する。これらはアンチ・キリストや、キリスト教を迫害していた時代のローマ帝国を示していると言われる。
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このように、天地創造と世界の終末という明確な始点・終点を持ち、世界は終末に向かっているとする直線的な時間感覚が、キリスト教的歴史観の第二の特徴です。
3.キリスト教的年代学
ローマ帝国の時代、こうした聖書の記述に基づき、歴史を記述しようとする試みがなされるようになります。その代表的人物が、カイサリアのエウセビオスです。

最初のキリスト教史と言われる『教会史』の著者。「教会史の父」とも呼ばれる。
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彼の著した『年代記』には、天地創造から自分が生きた時代までの年表が掲載しています。聖書の中には、「アダムは130歳になったとき…男の子(セト)をもうけた」とか「ノアが600歳のとき、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった」というふうに、アダムの子孫たちが生まれた時の親の年齢や、誰が何歳の時に何の出来事が起きたかが明記されています。これを計算していけば、天地創造からの年表が作成できるというわけです。
エウセビオスによれば、天地創造を元年とすると、ノアの大洪水が2242年、モーセの出エジプトは3689年、ダヴィデの誕生は4124年、そして、イエスの誕生は5199年となっています。つまり、天地創造はエウセビオスの時代から約5500年前、現代からだと約7500年前ということになります。

現代科学では、地球の誕生は46億年前、ホモ・サピエンスの登場は4万年前とされていますから、聖書の記述はこれよりも相当に短いことになります。このように、科学的自然史よりもはるかに短い地球史・人類史を想定しているのが、キリスト教的歴史観の第三の特徴です。
エウセビオスの『年代記』は、ラテン語聖書の製作者として知られるヒエロニムスによって翻訳され、西欧世界へと広まっていきます。
4.アウグスティヌスの『神の国』
キリスト教的歴史観を完成させたのが、古代最大の教父として知られるアウグスティヌスです。彼の歴史観は、その主著であり、後のヨーロッパの思想・神学に多大な影響を与えた『神の国について』に示されています。

ヒッポの司教。410年のローマ陥落の際、キリスト教を国教化し、古来からの神々をないがしろにしたことがその原因だという批判が起きたため、その反論して『神の国』を著す。
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アウグスティヌスは、歴史とは人類が救済に向かって進む、神による教育の過程であると捉えました。これを救済史観といい、その基本構造は、神を愛し、神による人類教育を担う「神の国」と、神を軽んじ、支配欲や傲慢などに基づく「地上の国」の対立にあるとしています。

アダムとイヴの間に生まれた兄弟。アウグスティヌスによれば、「地上の国」はアベルを殺害したカインから発し、「神の国」はアベルと、彼の死後に生まれたセトに発するという。
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アウグスティヌスは、聖書の記述に基づき、人類の発展を6つの時代に区分します。まず、第1期から第5期までは、神が預言者を通じて「律法」を授けて人類を教育した旧約聖書の時代です。この時代の「神の国」の担い手はヘブライ人=ユダヤ人であり、ユダヤ人とそれ以外の民族が属す「地上の国」との対立・抗争として描かれています。そして、人類史の画期となるのが、第6期です。イエス誕生から始まる第6期では、律法に代って「福音」が与えられ、「神の国」もキリスト教会が担うようになります。

一方、「地上の国」については、「ダニエル書」の「四世界帝国論」に基づき、特別な地位を与えられた国が4つあります。それは、アッシリア、ペルシャ、マケドニア、そしてローマです。先ほど述べたように、第4の帝国が滅びるとき、終末が訪れるとされていたため、ローマ帝国は、最後の「地上の国」ということになります。つまり、人類史は、イエスの誕生とローマ帝国の誕生によって最終段階に入った、とされたのです。
5.中世への継承
エウセビオスが作成した天地創造から始まる人類史の年表や、アウグスティヌスが記述した救済史観は、中世西欧へと受け継がれていきます。例えば、イングランドの修道士ベーダは、『時間論』という著作の中で天地創造から終末までの時間について考察していますが、その時代区分の方法はアウグスティヌスのそれを取り入れ、各時代の内容はエウセビオスの要約となっています。

7歳の時に両親を失って修道院に入り、以後生涯修道士として過ごす。膨大な量の著作を残しており、代表作は『イングランド教会史』。
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しかし、中世のキリスト教徒たちは、新たな問題に直面していました。先ほど述べたように、第4の帝国であるローマ帝国の滅亡とともに、世界は終末を迎えることとされています。しかし、476年に西ローマが滅亡しても、世界は終末を迎えず、存続し続けました。このため、西ローマ滅亡以降の歴史をどう位置づけるのかという問題に対し、論理的説明をする必要があったのです。

476年、最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスが、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって退位させられた。一般的に、この出来事を持って西ローマ帝国は滅亡したと言われる。
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この役割を担ったのが、フライジング司教オットーです。オットーは、西ローマ滅亡後の歴史を、「帝権」という概念によって説明します。つまり、西ローマは滅びたけれども、その帝権までは消滅せず、ビザンツ帝国へと移行し、そして、768年のカールの戴冠によってフランク王国へ、そして962年のオットーの戴冠によって神聖ローマ帝国へと移動した、というのです。オットーは、「帝権移動論」を使うことで、第4の帝国であるローマは未だ存続し続けていため、終末が「延期」されたことを説明したのです。

フライジング司教。神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の甥で、フリードリヒ1世の叔父。「帝権移動論」を用いることで、神聖ローマ帝国がローマ帝国の後継者であることを正当化した。
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オットーの著作は、カトリック的歴史叙述のスタンダードとして、近世にまで読みつがれていきます。
6.まとめ
聖書に基づく世界史は、後の時代に「普遍史」と呼ばれるようになります。普遍史は、事実よりも聖書の記述が優先されたり、「神の国」や「救済」など客観的に評価することができない概念が登場するなど、「科学性」という面では、古代ギリシャの歴史学に劣っているといえます。しかし、人類史を神による救済の過程とし、現在がはじまりから終末に向かう時間のどこに位置づけられるかを解釈したことは、歴史に対して積極的な意味づけを行うことになるとともに、当時を生きる人々の原動力にもなってきました。普遍史は、近代至るまで、非常に長い間ヨーロッパ人の歴史認識や世界観を規定し続けることになります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
参考
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