元社畜限界うつニートは錆びついた夢にもたれながら...(vol.45 2026.04.10)
<日記>
今日はいつもよりも早めに風呂に入り、グダグダ飯を食って、いつも通りnoteを眺めていた。YouTubeのプレイリストからはZIGGYのGLORIAが流れている。
するととある投稿が目に止まった。
YeKuさん。
私の初期の投稿をマガジンに追加してくださった方だ。
つい最近3年目にしてnoteに記事を投稿すること1200本となった大先輩である。そんな方の凹みつつ前をむこうとする投稿を目にした。3年という努力に対する現実との間で揺れ動くYeKuさんの複雑な心情が綴られていた。
3年間の努力。私も個人的なものであるが、覚えがある。第3種電気主任技術者の取得のために賭けた3年間である。
当時電気系のコースを選択していた大学1年生、冬のことだったと記憶している。ぶっとい4分野分の参考書と問題集と試験対策用の辞書のような参考問題集。押し込められたアコーディオンのようなそれらが資格試験関連書籍のコーナーの一角を占拠していた。
「なんぞ?これ?」
それが始まりだった。何となく手に取り、気持ち悪い数式や機械図形の羅列はそびえ立つ山岳のごときものであった。バカの工業高校で成績1位を維持し、第2種類電気工事士の資格も取得して有頂天になっていた私は愚かにも資格取得に挑戦した。
しかし、そんな浅知恵が通用するものではない。付け焼き刃の知識で挑戦し、4分野のうち一番簡単な「理論」の問題集にこてんぱんにされ、すぐに資格取得を保留にした。それからときは過ぎ、大学2年生になった。バカ高出身でしかも推薦で入学した私は物の見事に置いてかれた。立て板に水のごとく成績も順位も下がる。
このままでは本当に何にもなくなってしまう。そう焦った私は再度資格取得に向けて勉強を続けた。学校の勉強、学費支払いのためのバイト、容赦ない膨大な量のレポート。睡眠時間などあってないようなものだった。寝てるんんだか起きているんだかわからない様な日々が続いた。
大学3年生の頃。初の試験を受けた。若干の不安がある分野もあったが、それを言い訳にズルズルと何もできないまま終わりそうな気がしたので試験を受けた。おまけに私の代で企業の紳士協定がなくなり、採用活動が前倒しになったことも拍車をかけた。振るわない成績。もうどうしようもなく残っていない大学生活。もはやこの資格に賭けるしかない。そう思っていた。
結果は理論、電力、機械、法規のうち、スレスレで理論と法規の合格を取り、ギリギリで電力と機械を落とした。若干でも不安があるようでは1発合格とはならない。当時、資格の合格率は一部科目取得済みで受験2回目の人も合わせて8~9%であった。今でこそ需要が逼迫し、年に2回の試験があるが、当時は年1だった。あと5点。1問そのためにまた1年やり直しである。
「まだか。まだ終わらないのか!何がいけなかった?」
自問自答が止まらなかった。まだあからさまに駄目だったほうがましだった。しょうもないあと1歩のためにまたあの地獄が始まる。しかし、立ち止まっている時間はない。2分野とは言え範囲は広い。勉強をやめればすぐに忘れ始める。文字通り魂を削るような2年が歩みを止めることを許さなかった。
それからは正気の沙汰ではない日々が始まった。今にしても自分のことながら恐ろしくて仕方ない。「就職出来ない。無職なんて死んだほうがまし。申し訳なさを抱えて家に居座り、やりたくもないバイトする生活なんてまっぴら。」生か死か。死神に追い立てられたような人間の狂気がそこには詰まっていた。
幸いにして難関資格であったおかげで2分野合格とは言え企業の目に止まり、就職活動はすこぶるうまく行った。そのお陰で3年の後期はずいぶんと気が楽になった。氷山の一角分くらいではあるが軽くなったことが幸いし、4年生で受けた試験で合格し、見事第3種電気主任技術者を取得した。
「終わった。一生分の苦労がきっと詰まっていたことだろう。悠々自適な社会人生活が待っている。」
そんなことを思っていた。希望とやらが人生にはあるのだと。そんな甘っちょろい小生意気な大学生であった。無論、そんなことはなかった。日記の題名がその末路を示している。今の私は元社畜限界うつニートである。地獄の3年間は私に生き地獄を与えた。後ろ足で砂。そんなものではない。振り返って槍を突くといった具合だ。
「努力が報われるとは限らない。しかし、報われたものは皆すべからく努力をしている。」
未来という丁半博打のために努力という掛け金がいる。人生そんなもんだ。そうなのだ。しかし、何もしないわけにはいかない。ふざけんな。
何度そう思ったことであろうか。しかし、奇しくもこの資格が私のニート生活の不安を軽減している。この資格は需要があるのだ。お陰で転職先に困ったことがない。そしてその余裕が呑気にnote何ぞやるきっかけにもなっている。無職。なんの肩書もない。そんなものが恐ろしい死神のように見えて、死に物狂い逃げて掴んだものがニート生活の足しになっている。
「努力は無駄にはならない。しかし、望んだ物が手に入る保証はない。時には裏切りもする。」
これが救済措置とでも言うのだろうか。ハズレくじにティッシュが付く程度の現実が。しかし、丁半博打の様な人生だ。下手すりゃ望んだものは何にも手に入らない可能性だってある。そんなときに役立たずと言って捨て続ける人生を送ってしまったら本当に何も残らないかもしれないじゃないか。
GLORIAの歌詞が脳裏に浮かぶ。
「錆びついた夢にもたれながら。苛立ちを隠せずにいたけど。」
進む役にはたたないかもしれないけど、疲れて立ち止まったときに座る椅子ならたくさんある。埃被ってるけど。
「ひでぇ人生だったな。」
元社畜限界うつニートは錆びついた夢にもたれながら...そうつぶやく。
YeKuさんへ
今日の私の日記がなんの役に立つかもわかりませんし、私に比べればどうたらと言うつもりもありません。ただ、一緒にされるのも癪に障るかもしれませんが、3年やって望む結果がえられなかったやつがいます。
そんなんでもニートやって無駄飯食ってます。
働いて、投稿して、スキを付けて、コメント書いて、返信して、マガジン作って。十分すぎますって。
あなたの3年間が果たしてどんな何だかは知りませんが、きっとそれは素晴らしいもので、振り返って槍と突くような不届き者ではないと思います。
あたら祝福してくれる人も、あなたの記事を読み続けてくれる人もいます。結果はどうあれ、これもまた結果です。
どうか、あまりお気になさらず。
