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子どもとは、成長・発達し、成熟へ向かい続ける存在である〜未熟さの中にある、いのちの神秘と愛〜

子どもは、受精卵から出産まで、そして出生後から大人へ向かう過程まで、絶えず変化し続ける存在です。
私たちは時に、子どもの成長・発達の段階ではまだ育っていない力を、子どもに求めてしまうことがあります。
今日は、「子どもとは成長・発達し、成熟へ向かい続ける存在である」という視点から、未熟さの中にある、いのちの神秘と愛について考えてみます。

こんにちは。
マザーシップ・ライフマスタリースクールの中川空(ソラ)です。

本日のテーマは、
「子どもとは、成長・発達し、成熟へ向かい続ける存在である」です。

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成長・発達・成熟とは何か

まず、言葉を少し整理しておきたいと思います。

成長とは、身体が大きくなること。
身長が伸び、体重が増え、身体の機能が育っていくことです。

発達とは、心、言葉、認知、人間関係、社会性が育っていくこと。
泣くことしかできなかった子どもが、言葉で伝えるようになり、他者と関わり、自分の世界を広げていく過程です。

そして、
成熟とは、それらが統合され、その人らしく生きる力へと深まっていくこと。

子どもは、まだ成熟しきった存在ではありません。

子どもとは、成長・発達し、成熟へ向かい続ける存在です。

身体が大きくなるだけでなく、
心、言葉、人間関係、判断力、自立する力を少しずつ育てながら、
その子らしい成熟へと向かっていきます。

その歩みは、子ども自身の力だけで進むものではありません。

家族、養育者、学校、地域、社会との相互作用の中で、
その子の能力は少しずつ広がっていくのです。

子どもは、成長・発達し、成熟へ向かう過程の中にいる存在である

子どもは、成長・発達の過程の中にいる存在です。
身体が大きくなり、心が育ち、言葉を獲得し、人との関係を学びながら、少しずつ成熟へ向かっていきます。

けれども私たちは日常の中で、子どもに大人と同じような理解力や判断力を求めてしまうことがあります。

「どうして分からないの」
「何度言ったらできるの」
「もう大きいんだから」
「それくらい自分でしなさい」

そんな言葉の奥には、
子どもの成長・発達の段階では、まだ十分に育っていない力を、
大人が求めてしまっていることがあるのかもしれません。

子どもは、成人への成長と発達の途上にあり、
絶えず成長・発達を続けている存在です。

また、著しい成長・発達の時期にあるため、
その生活を維持するには、
家族、あるいはそれに代わる保護者を必要とします。

成熟に向けて刻々と変化し、拡大していく子どもの能力と、
子どもを取り巻く環境との相互作用の中で、
子どもは各時期の発達課題を達成していきます。

子どもを理解するときに大切なのは、
「なぜできないのか」と責めることではなく、
「今、この子はどの力を育てている途中なのか」と見ることです。

子どもを「今できていない存在」として見るのではなく、
「今まさに育っている存在」として見ること。

そこから、子どもへのまなざしは変わっていきます。

受精卵から出産まで、成長はすでに始まっている

子どもの成長は、生まれた瞬間から始まるのではありません。

受精卵という、肉眼では見ることのできないほど小さな一つの細胞から、
子どもの成長はすでに始まっています。

受精した卵は細胞分裂を繰り返しながら子宮へ向かい、
子宮内膜に着床し、
やがて胚となり、胎児となり、
出産の日に向かって成長を続けていきます。

米国産科婦人科学会は、受精後8週までを「胚」、受精後9週から出生までを「胎児」と説明しています。

この時期の成長は、驚くほど劇的です。

脳や脊髄のもとになる神経管が形成され、
心臓や臓器が形づくられ、
手足が現れ、
目や耳の構造が育ち始めます。

子どもは、生まれてから突然「育つ存在」になるのではありません。

受精卵から出産までの間にも、
すでに精密で、途切れることのない成長の流れの中にいます。

けれども、胎内で大きく成長しても、
人間の子どもは、出生の時点で完成しているわけではありません。

胎内で育ち、
この世界に生まれ、
そこからさらに大人の手を借りながら、
長い時間をかけて成長していきます。

子どもは、時期ごとに必要な支えを変えながら育っていく

子どもの成長には、それぞれの時期があります。

出生前期は、受精から出産までの時期です。
胎芽前期、胎芽期、胎児期へと進みながら、身体の土台が形づくられていきます。

新生児期は、生後28日未満の時期です。
お母さんのお腹の中から外の世界へ出て、呼吸、哺乳、体温調節など、子宮の外の生活に適応していく大切な時期です。

乳児期は、出生から満1歳頃まで、または歩き始めたり、意味のある言葉を発するようになる1歳半頃までの時期を指すこともあります。
この時期は成長・発達がとても著しく、食べること、排せつすること、眠ること、清潔を保つことなど、生活の多くに大人の手を必要とします。

幼児期は、満1歳頃から小学校に入る前までの時期です。
言葉が発達し、歩く、食べる、着替える、排せつするなど、日常生活の習慣が少しずつ自立していきます。

学童期は、おおむね6歳から12歳頃までの小学生の時期です。
学校生活を通して、学ぶ力、考える力、友達と関わる力、感情を調整する力、社会の中での自分の役割が少しずつ育まれていきます。

思春期は、おおむね12歳頃から18歳頃までの時期です。
また、青年期を12〜14歳頃から20〜24歳頃までと広く捉え、その前期を思春期と呼ぶこともあります。

思春期から青年期は、子どもから大人へ向かう移行期です。
同時に、親や家族に守られてきた子どもを、少しずつ社会へ送り出し、自分の足で立てるように支えていく時期でもあります。

この時期の子どもは、
「自分は何者なのか」
「何を大切にして生きていきたいのか」
「親とは違う自分の考えを持ってよいのか」
「どのように社会の中で生きていくのか」
という問いに向き合い始めます。

だから思春期には、
反抗することがあります。
距離を取りたがることがあります。
一人になりたがることがあります。
友人関係を強く求めることがあります。

それは、単なるわがままや扱いにくさではありません。

子どもが、親に依存するだけの存在から、
自分自身の考えや感情を持ち、
社会の中で生きる一人の人間へと移行していく過程なのです。

自立とは、誰にも頼らないことではありません。

必要なときに助けを求める力を持ちながら、
自分の感情や選択に少しずつ責任を持ち、
社会の中で自分の居場所と役割を見つけていくことです。

そのために大人は、
子どもをいつまでも手元に留めるのではなく、
急に突き放すのでもなく、
必要な支えを残しながら、少しずつ社会へ送り出していく必要があります。

守ること。
教えること。
任せること。
見守ること。
失敗したときに戻れる場所でいること。
そして、もう一度立ち上がる力を信じること。

子どもを育むとは、
子どもが自分を信じ、自分を愛し、自分を大切にし、
その子がやがて社会の中で自分の足で立ち、
愛を基盤に人とつながり、
自分の人生を生きていけるように、
長い時間をかけて支えていくことなのだと思います。

愛は、日々の具体的な行為として届く

乳児期の子どもは、
食べることも、
排せつすることも、
身体を清潔に保つことも、
眠ることも、
自分の不調を言葉で説明することも、
一人ではできません。

そこには、子どもの命と暮らしを支える大人が必要です。

けれども、それは単なる「世話」ではありません。

見つめる眼差し。
声をかけること。
気にかけること。
食べさせること。
おむつを替えること。
身体を拭くこと。
眠れるように整えること。
泣いた理由を探ろうとすること。
熱がないか、苦しそうではないかと気づくこと。

その一つひとつの根底には、
この子が健やかに生きられるようにという愛があります。

子どものセルフケアを支えることは、
単なる生活管理ではありません。

それは、愛を日々の具体的な行為として届けることです。

WHO、UNICEF、世界銀行などが示した「Nurturing Care Framework」では、子どもが十分に発達するために必要な条件として、健康、栄養、安全と安心、応答的な養育、早期の学びの機会が挙げられています。

愛は、抽象的な理想だけではなく、
暮らしの中で具体化される必要があります。

食べること。
眠ること。
清潔であること。
安全であること。
応答されること。
遊ぶこと。
学ぶこと。

そのすべてが、子どもにとっての愛のかたちです。

人間の赤ちゃんは、なぜ未熟なまま生まれてくるのか

受精卵から出産までの間に、子どもは驚くほど大きく成長します。

けれども、それでもなお、人間の赤ちゃんは、とても無防備な姿でこの世界に生まれてきます。

首もすぐにはすわりません。
自分で移動することもできません。
食べ物を自分で探すこともできません。
危険から自分を守ることもできません。
泣くことによってしか、不快や不安を伝えることができません。

なぜ、人間はこれほど手を必要とする姿で生まれてくるのでしょうか。

その理由は、一つではありません。

人間は、大きな脳をもつ存在です。
けれども、その脳を胎内で完成に近い状態まで育ててから生まれるわけではありません。

2024年に発表された比較研究では、人間は出生時点で成人脳サイズの25%弱にあたり、霊長類の中でも低い割合だとされています。ただし、この研究が重要なのは、「人間の新生児の脳が他の霊長類より極端に未発達」というよりも、出生後に人間の脳が大きく成長するため、相対的に小さく見えると説明している点です。

つまり、人間の赤ちゃんは、完成してから生まれてくるのではありません。

生まれたあと、抱かれ、守られ、応答され、養われ、人との関係の中で脳も心も育っていきます。

また、人間が二足歩行をする存在であることも、出産のあり方と関係していると考えられてきました。古典的には、二足歩行に適した骨盤と、大きな脳をもつ赤ちゃんを出産することの間に制約があるという「産科的ジレンマ」が論じられてきました。さらにDunsworthらは、妊娠を維持し、胎児の成長を支え続ける母体のエネルギーにも限界があるという「代謝仮説」を提案しています。

ただし、現在では「骨盤が狭いから早く生まれる」といった一つの理由だけで説明するよりも、
大きな脳、二足歩行、出産、母体のエネルギー、出生後の脳発達、長い学習期間などが重なり合って、人間の赤ちゃんの無防備さが生まれていると考える方が自然です。

そして、私はここに、人間という存在の深い神秘を見るのです。

愛を学びにきた存在。

人間の赤ちゃんは、一人では生きられない姿で生まれてきます。

けれども、それは「欠けている」ということではありません。

むしろその未熟さは、
人間が一人で完成する存在ではなく、
誰かに抱かれ、
誰かに応答され、
誰かに守られ、
誰かに待ってもらいながら、
関係性の中で育っていく存在であることを示しています。

人間の子どもは、長い時間をかけて、言葉を覚え、人との関わり方を学び、文化を受け取り、自分という存在を形づくっていきます。
その長い未熟さは、学ぶ余白であり、愛を受け取る余白であり、愛を与えていく余白であり、人間として育っていくための時間でもあります。

だから、人間の赤ちゃんの無防備さは、ただの弱さではありません。

それは、
「私は一人では生きられない」
「あなたの手を必要としている」
「あなたの応答の中で、私は育っていく」
という、いのちからの静かな呼びかけなのだと思います。

泣くことは、赤ちゃんにできる最初の表現です。

「ここにいるよ」
「気づいてほしい」
「助けてほしい」

その声に大人が応答すること。
抱き上げること。
授乳すること。
おむつを替えること。
身体をあたためること。
眠れるように整えること。

その一つひとつが、子どもにとっては、
この世界から受け取る愛なのです。

子どもだけでなく、人間は生涯を通して成長していく

子どもは、成長・発達し、成熟へ向かい続ける存在です。

けれども、それは子どもだけの話ではありません。

人間は、いくつになっても、
成長し、発達し、成熟していく存在です。

身体の成長には限りがあります。
けれども、心の成熟、人との関係の結び方、自分自身への理解、世界の受け止め方は、生涯を通して変化していきます。

幼いころには、誰かに守られながら生きることを学びます。

子ども時代には、遊びや学びを通して、
自分と他者の違いを知っていきます。

思春期には、
「自分とは何者なのか」
「自分はどのように生きていきたいのか」
という問いが始まります。

大人になると、誰かを支える側になることがあります。

社会のなかで働く人もいます。
親になる人もいます。
誰かを看取る人もいます。
誰かを守ろうとして、自分の未熟さに出会う人もいます。
愛したいのに、うまく愛せない自分に戸惑うこともあります。

そして人生のさまざまな局面で、
傷つき、迷い、立ち止まり、
それでもまた、自分自身を知り直していきます。

人間は、完成された状態で生きているのではありません。

私たちは誰もが、
未完成のまま生まれ、
関係性の中で育ち、
経験を通して変化し、
愛を受け取り、愛し、愛を学びながら、
少しずつ成熟していく存在です。

けれども、それは、人間が「不完全な存在である」という意味ではありません。

成熟の途中にあることと、
存在そのものが欠けていることは違います。

子どもは未熟です。
大人もまた、完全ではありません。

迷うことがあります。
間違えることがあります。
愛し方がわからなくなることがあります。
過去の痛みから、うまく関われなくなることもあります。

それでも、いのちそのものの尊さは失われません。

人間は、成熟の過程にあるという意味では未完成です。
迷い、傷つき、揺れながら、成熟へ向かっていく存在です。

けれども、大いなる神秘のまなざしから見れば、
私たちは、成熟の途中にありながら、
その未完成ささえも含めて完全であり、
すでに尊い存在なのです。

未熟であることは、欠けていることではありません。

それは、まだ育っている途中であり、
学びの過程の中にいるということです。

これから開かれていく余白があるということ。
関係性の中で育つ可能性があるということ。
愛を受け取り、愛を学び、愛を表していく途上にあるということです。

そう考えると、子どもの未熟さは、
私たち大人にもつながるものです。

子どもだけが未熟なのではありません。

大人もまた、成熟の途中にいます。

だからこそ、子どもを育むことは、
子どもだけを育てる営みではありません。

泣き声に応えること。
待つこと。
見守ること。
手を貸すこと。
手を離すこと。
失敗しても戻れる場所でいること。
社会へ送り出すこと。

その一つひとつを通して、
大人もまた、愛を学び直していきます。

子どもを育てているようで、
実は、子どもを通して愛を成熟させられているのは、
私たち大人なのです。

人は関わりの中で、
自分を知り、
愛を学び、
人として成熟していくのです。

おわりに

子どもとは、成長・発達し、成熟へ向かい続ける存在です。

受精卵から出産まで、
そして出生後から大人へ向かう過程まで、
子どもは絶えず変化し続けています。

その未熟さは、欠けているということではありません。

それは、
人間が関係性の中で育つ存在であること。
愛を受け取りながら成長していく存在であること。
誰かの手を借りながら、少しずつ自分の力を獲得していく存在であることを教えてくれます。

子どもを育むとは、
子どもを管理することではありません。

大人の期待通りに育てることでもありません。

子どもの中にある生きる力が開いていくように、
愛をもって環境を整え、育んでいくことです。

そして、その関わりの中で、
大人もまた、愛することを学び直していきます。

子どもを通して、
私たち大人もまた、成熟していく。

子どもを育む営みは、
人間が愛を学び続ける営みでもあるのだと思います。

すべての子どもが、
愛の中で、安心して育つことができますように。

そして、
子どもを支える大人たちもまた、
支えられながら、
子どもとともに成熟していけますように。

愛おしい存在に感謝です。

全てに感謝です。

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参考文献・出典

  • 『小児看護学Ⅰ 小児看護学概論』改訂版第5版、2025年12月30日、pp.2-3。

  • American College of Obstetricians and Gynecologists. “How Your Fetus Grows During Pregnancy.”

  • Gómez-Robles, A. “The evolution of human altriciality and brain development in comparative context.” Nature Ecology & Evolution, 2024.

  • National Institute of Mental Health. “The Teen Brain: 7 Things to Know.”

  • Power, J. D. ほか “Neural plasticity across the lifespan.”

  • Dunsworth, H. M. ほか “Metabolic hypothesis for human altriciality.”

  • WHO / UNICEF / World Bank. “Nurturing Care Framework for Early Childhood Development.”

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