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音楽は生きていく支えになり続ける

『祝祭と予感』
この本を読みながら、私は自分の耳が普段どれほど鈍いのかを思い知らされました。そこに描かれているのは、ただの音楽の断片ではなく、音に宿る「予感」そのもの。私たち凡人には手を伸ばしても届かない、天才だけが見ている世界のかけらでした。


祝祭と予感
恩田陸 (著)

コンクール入賞者ツアーのはざま、亜夜とマサルとなぜか塵が二人の恩師・綿貫先生の墓参りをする「祝祭と掃苔」。菱沼が課題曲「春と修羅」を作曲するきっかけとなった忘れ得ぬ教え子への追憶「袈裟と鞦韆」。幼い塵と巨匠ホフマンの永遠のような出会い「伝説と予感」ほか全6編。最終ページから読む特別オマケ音楽エッセイ集「響きと灯り」付き。

祝祭と予感
恩田陸 (著)
Amazonより

✻あらすじ✻

「祝祭と掃苔」
私は亜夜とマサルと共に、なぜか塵を連れて、恩師・綿貫先生のお墓へ向かうことになった。コンクールの喧騒から少し離れたその時間は、音楽にすべてを賭けた先生の存在を改めて思い出させる。墓前で手を合わせるうちに、私たちの中にある音楽への情熱や不安までも、少しずつ言葉になっていった。

「袈裟と鞦韆(けさとぶらんこ)」
私は菱沼先生の語る、かつての教え子の記憶を聞いた。課題曲「春と修羅」を生み出すきっかけになったその生徒との時間。消えない喪失感と、胸の奥に残る音。先生にとっては忘れられない痛みであり、同時に創造の源でもあった。音楽は、悲しみさえも形を変えて響き続けるのだと知った。

「伝説と予感」
幼い塵と巨匠ホフマンの出会いを、私はまるでその場にいるように見届けた。小さな少年が放つ音を、ホフマンは真剣に聴き取る。年齢も立場も超えて、音楽だけが二人を結びつけていた。その瞬間、未来の伝説が予感された。音楽の奇跡とは、こんな形で訪れるものなのだ。

「獅子と燕」
私は音楽の世界で出会う人々の、華やかさの裏にある孤独や重圧を垣間見た。強くあらねばならない者と、軽やかに飛びたいと願う者。獅子と燕のように違う存在が、それでも同じ空を目指す姿に胸が熱くなった。音楽とは、ただの競争ではなく、互いを映し出す鏡なのだと感じた。

「水に潜る」
私は、音楽を探し求める心を“水に潜る”感覚として体験した。音の深みへと潜っていくとき、息苦しさと同時に、澄んだ光が差し込む瞬間がある。自分の内側と向き合い、音を掴み取る。それは孤独で苦しいけれど、浮かび上がったときの音は確かに自分のものになる。

「響きと灯り」
これは物語のあとに訪れる、作家自身の音楽エッセイ。私は最終ページをめくりながら、書き手の耳と心に宿る“音楽の灯り”を分けてもらったように感じた。演奏でも文章でも、音楽は生きていく支えになり続ける。読後に胸の奥で小さな光がともるような一編だった。

📖感想

「祝祭と掃苔」で墓前に立つ亜夜やマサル、そして塵。その静謐な空気の中にさえ、音楽が鳴っているのを感じました。音は存在しないのに、心の奥で確かに響いている――その不思議に胸が震えました。

「袈裟と鞦韆」では、菱沼先生が語る教え子の記憶に触れ、音楽がいかにして生まれるのか、その源泉が「喪失」であり「痛み」であることに衝撃を受けました。音はただ美しいだけではなく、傷から滲み出すものなのだと。

そして「伝説と予感」。幼い塵と巨匠ホフマンの出会いは、永遠に残る瞬間の奇跡。あの場に居合わせた誰もが、音楽の神が降りてきたのを感じたのではないでしょうか。私はただ文字を追っているだけなのに、その震えが伝わってきて涙が出そうになりました。

この短編集は、音楽という目に見えないものの「揺らぎ」や「きらめき」を、細い糸で掬い上げたような作品です。凡人の私には到底理解できない“天才の視界”を、ほんの少しだけ覗かせてもらえた気がします。

ページを閉じたとき、心に残ったのは音ではなく「余韻」でした。
それは静かな灯りのように、今も私の中で消えずに響き続けています。

Kindle版

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