見出し画像

「個別最適な学び」の影で、子どもを寂しくさせていないだろうか。『自由にしていいよ』という、優しい放置をしないために。(T先生の国語授業ドキュメントVOL0)

「自由進度学習」や「個別最適な学び」。

いま、学校現場はこの新しい言葉で溢れています。 一人ひとりに合わせた学び、そして、自分たちの力でのびのびと学びを拓いていく子どもたちの姿。それはとても魅力的で、私も「そんな授業ができたらいいな」と憧れを抱いた一人でした。

けれど、ここで少しだけ、胸に手を当てて立ち止まってみたいと思っています。

私たちは、いつの間にか「自由進度学習」という「学習形態」そのものを追いかけることに、必死になってはいないでしょうか。

タブレットを前に、一人で黙々と画面に向かい続けているあの子。 「自由にやっていいよ」と言われて、どうしていいか分からず、教室の片隅で静かに立ち尽くしているあの子。

その背中を見つめるとき、私の胸の奥は、少しだけチクリと痛みます。 物理的には一緒に同じ教室にいるはずなのに、子どもたちがどこか寂しそうに見えてしまうのです。 そして同時に、3年前の自分自身の姿が重なって、苦い後悔がよみがえってきます。

白状しますと、3年前の私は、まさにその「形」ばかりを追いかけていました。

どうすれば、自分たちで進んでいく姿がつくれるのだろう。 どうすれば、個別最適な学びの形になるのだろう。

手立てやワークシート、授業のシステムを整えることに一生懸命になっていました。 けれど、とても大切なことを見落としていたと思っています。

本当に、目の前の子どもの「やってみたい」「今、これが必要だ」という内側から湧き出る思いを、授業の中で大切にできていただろうか、と。 大人があらかじめ用意した「自由なレール」の上に、子どもをきれいに乗せようとしていただけではなかったか、と今は深く反省しています。

そんな私の独りよがりを正してくれたのは、他でもない、教室の子どもたちでした。

「先生、これって、あのときの『スイミー』と同じ読み方ができるんじゃない?」 「『モチモチの木』を読んだときみたいに、みんなで計画を立ててみようよ」

子どもたちがふとした瞬間にこぼした言葉。 それらはすべて、かつて授業の中で泥臭く格闘し、みんなで心を通わせながら積み重ねてきた「国語の経験」の記憶だったのです。

砂漠の上に、いくら「自由にしていいよ」と道を描いても、子どもは歩き出すことができません。 一歩を踏み出し、自ら楽しそうに歩き出すためには、まずはしっかりと地面を踏みしめるための「豊かな土壌」が必要なのではないでしょうか。

物語の「カギかっこ」から、登場人物のつながりを優しく読み解いたこと。 言葉を根拠にしながら、「すぐに解決できる問い」と「みんなでじっくり話し合いたい問い」を、みんなで仕分けたこと。 挿絵の小さな違和感に気づき、「作者はなんでここをこう描いたんだろう」と想像を膨らませたこと。

そうした、言葉と遊んだ愛おしい「小さな経験」の一つひとつが、子どもたちの内側に「学び方」という確かな足場を築いていってくれます。

「やってみたい」「知りたい」という思いは、何もないところからは生まれません。 これまでの豊かな経験の引き出しがあるからこそ、「やってみたい」という本物の願いが溢れ出し、子どもたちの瞳が輝き始めるのだと思っています。

形態という「形」ばかりを追うのを、もうやめよう。 そう気づいてから、私の授業は温かく、そして少し泥臭いものに変わっていきました。

もちろん、今でも失敗ばかりです。 「あちゃー、また先走りすぎちゃった。子どもの大切な思いをこぼしてしまいそうになった」と、手書きの黒板の前で頭を抱える日もしょっちゅうあります。

けれど、完璧な先生じゃなくてもいいのだと思っています。 子どもと一緒に揺れながら、あの子たちの「やってみたい」に、そっと耳を澄ませる。 そんな教師のぬくもりある「かかわり方」こそが、迷子になっている子どもたちを包み込む安心の基地になるのだと、今の私は信じています。

このnoteでは、 私が子どもたちと紡いできた、不器用な日々のドラマや、 授業の裏側にある「黒板」に込めた願い、 そして、3年前の私のように悩んでいる先生たちへ届けたい「経験の耕し方」について、等身大の言葉で綴っていきたいと思っています。

もう、きらびやかな流行の言葉に、一人で振り回される必要はありません。 教室の真ん中にある、子どもと教師の「心を通わせる言葉の学び」を、もう一度、一緒に温かく耕していきませんか。

私の試行錯誤の足跡が、今、教室で静かに悩んでいる先生の、小さな安心になりますように。

これから、どうぞよろしくお願いいたします。

【自己紹介・著者プロフィール】 T先生(静岡で小学校の先生やってます)子どもの「やってみたい」から始まる豊かな学びの根底にある、国語の「経験」を耕す授業づくりを日々、模索しています。迷いながらも子どもの思いを大切にしたいと願いながら実践している国語授業のドキュメンタリーを執筆中です。

いいなと思ったら応援しよう!