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「盛り上がった!」はただの感覚ではない。そこに隠された学びの核心とは?(VOL4)

今回は、これまで紹介してきた「アップとルーズで伝える」の単元の最終章です。
単元の最後に行ったのは、子どもたちの「振り返り」でした。
まず、ある子の振り返りを紹介します。

みんなと言っている意見と違うとこもあったけど、なぜか、納得できて自分の意見とつながると変だけど、それもそれでいい発見になったなって感じがして面白かったです。 みんなが意見を発表していて、なんでそんなに意見が出てくるの?って思って不思議だな~。みんなの頭の中どうなってんのかなって疑問になりました。 スムーズに進んじゃって、なんか個人的にもうちょっと疑問だそうよとか思ってました。 前よりも段落分けとか国語が得意になった。国語科好きになって「やった~」と思ってました。

この振り返りを読んだとき、私は胸の奥が少し熱くなりました。
みんなと自分の意見が違う。
でも、その違いが嫌なものではなく、むしろ「面白い発見」として受け止められている。
そこには、子どもが「学ぶ」ということの醍醐味に触れている姿がありました。
さらに、この子は単元に対して、少し物足りなさも感じています。
「スムーズに進んじゃって」
「もうちょっと疑問だそうよ」
その言葉からは、もっと意見をぶつけ合いたかった、もっと話し合いたかったという学習への意欲が伝わってきます。
単元全体を振り返ることで、子どもの中にあった「経験」は価値づけられます。
価値づけられた経験は、その子にとって、次も同じ見方で学習してみたいという動機になります。
今、子どもたちは「集団」で「調整」する経験を積んでいる段階です。
これは「共調整」と呼ばれます。
私は、子どもたちが「共調整」の価値を十分に実感したあとにこそ、「自己調整」へ向かっていけるのだと考えています。

「自走する子」は、「自走する集団」に所属しているからこそ、「自走する個」になり得る。

このことを、私は自分のnoteで伝えていきたいと考えています。

子どもは、この単元をどう評価したのか

さて、具体的な授業の話へ戻します。
当初、子どもたちは、このように単元計画を作成していました。

しかし、学習を進めるうちに、「問いの文」と「答えの文」は、「初め・中・終わり」を考えている途中で自然に解決してしまいました。
また、感想を伝え合う時間では、Mくんがこうつぶやきました。

感想って、もう一覧表で共有されてるから、やらなくてよかったんじゃない?

このように単元での経験を振り返ることで、子どもたちの中に、次の学習につながる経験知が残っていきます。
私の学級では、単元の振り返りを次の3つの軸で書いています。

  • 単元を終えてみた素直な感想

  • 授業が盛り上がったなと感じたところ

  • 難しかった。次は直したいなと思うところ

冒頭に紹介した感想は、「単元を終えてみた素直な感想」にあたります。

「盛り上がった」ところに、学びの核心がある

「授業が盛り上がったなと感じたところ」で最も多かったのは、「初め・中・終わり」に分ける時間でした。
ある子は、次のように振り返っています。

私が盛り上がったなと感じたところは段落を分けた時です。理由はみんなが「ここが初めだよ」「ここは終わりだよ」「でも、文章は○○だから違うと思う」とみんなの意見をぶつけ合っていました。みんなの意見をぶつけ合って盛り上がってよかったなと思いました。

また、別の子はこう書いていました。

Kくんが「このように」という言葉があるのが終わりって言ってて、分かりやすくてすぐ理解できてよかったです。

私は、子どもに「盛り上がったなと感じたところは?」と問いかけます。
そこには理由があります。
「次も活かしたいと思える時間は?」
「大切だと思った時間は?」
そう問うと、子どもにとっては少し難しくなります。
「次に活かせるってどういうことだろう」
「大切って、何を基準に考えればいいのだろう」
そう迷う子もいるはずです。
でも、「盛り上がった」は感覚です。
そして、盛り上がった時間は、子どもの記憶に色濃く残っています。
さらに、その時間は子どもにとって必要感の高い時間だったとも言えます。
「初め・中・終わりに分ける」時間は、説明文の学習において最も大切な時間です。
子どもは感覚的に、その大切さをしっかりと認知していたのだと思います。
情動を伴って記憶に残った経験は、自然と「また活かしたい」という思いにつながっていきます。
一方で、この「盛り上がった」という経験は、初期段階から自由進度学習を導入している場合、薄くなってしまう可能性があると思います。
だからこそ、私は「共調整」あっての「自己調整」だと考えています。

子どもが選び取った、価値ある問い

「盛り上がったなと感じたところ」の第2位は「疑問を解決した時間」、第3位は「段落ごとのまとめを考えた時間」でした。
特に「疑問を解決する時間」について書いている子の中には、考える価値のある疑問を選んでいる子がいました。

おれはアップとルーズで伝えるの疑問解決などで「問いはどこ?」「なんでこの題名にしたのか」「アップとルーズの違いは?」を解決できたので良かったです。

この子が挙げた3つの疑問は、説明文を読む上でとても重要な見方です。

  • 「問いはどこ?」は、文章を精緻に読む問いです。

  • 「アップとルーズの違いは?」は、文章の特徴をつかむ問いです。

  • 「なんでこの題名にしたのか?」は、作者の意図をつかむ問いです。

子どもがこうした価値ある問いを選び取っていることに、私は大きな手応えを感じました。

「難しかった」の中にある、次へ向かう気持ち

次に、「難しかった。次は直したいなと思うところ」の振り返りです。
第1位は「感想を交流した時間」。
第2位は「全体のまとめ、つまり要旨を考えた時間」でした。
この2つの振り返りには、決定的な違いがありました。
まず、感想を交流した時間についての振り返りです。

感想を伝えった時間は、やっぱりMくんが言ってた「もう共有されてるじゃん」と思いました。だから次はやらなくていいと思いました。

この子の言葉からは、その時間に必要感をもてなかったことが伝わってきます。
一方で、全体のまとめを考えた時間については、こんな振り返りがありました。

全体のまとめを考えようが難しかったです。で、私は、まとめとかするのがとても苦手なので、できるようになりたいと思いました。

この言葉には、難しさだけでなく、「できるようになりたい」という前向きな願いがあります。
同じ「難しかった」でも、そこに含まれている情緒はまったく違います。

価値ある苦しさと、そうでない苦しさ

前回の投稿で、私は次の問いを投げかけました。

価値ある苦しい時間と、そうでない苦しい時間の境界線はどこにあるのか?

子どもたちの振り返りを読むことで、その答えが少し見えてきました。
価値ある苦しい時間とは、子どもが「できるようになりたい」と思える時間です。
そうでない苦しい時間とは、子どもが「必要があまり感じられない」と思う時間です。
では、「必要があまり感じられない」と子どもが思う時間の価値は、ゼロなのでしょうか。
私は、そうとも言い切れないと考えています。
そこに自律性があれば、価値は生まれます。
子どもが選択した結果として「これは必要なかった」と感じるなら、その経験は次の選択につながります。
しかし、自律性が担保されていない環境では、価値は生まれにくい。
教師が提示した課題や指示に、子どもがただ従っているだけの場合です。
実は、境界線は「自律性が担保されているかどうか」にあるのではないかと考えています。
「次に活かせない」と感じる経験であっても、それが子どもの選択の結果であれば、連綿と続いていく後の経験につながっていきます。

次の物語へ

これで、説明文「アップとルーズで伝える」のドキュメンタリーは終了です。
この単元で培った経験を、子どもたちは次の学習へどのように活かしていくのでしょうか。
次章は、物語文「一つの花」のドキュメンタリーへ進みます。

【参考文献】
白杉亮「自己調整につながる学習理論をビジュアルでまとめました」明治図書

【自己紹介・著者プロフィール】 T先生(静岡で小学校の先生やってます)子どもの「やってみたい」から始まる豊かな学びの根底にある、国語の「経験」を耕す授業づくりを日々、模索しています。迷いながらも子どもの思いを大切にしたいと願いながら実践している国語授業のドキュメンタリーを執筆中です。

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