石垣島から名寄へ――二つのすばるを結ぶ旅【後編】
南十字星から北のピリカへ、3200km天文台スタンプラリー完結
第一章 北の天文台
先週は南の島にいた
先週、私は石垣島にいた。
南の海を見ていた一週間後、今は北海道・名寄の雪原に立っている。
名寄市立天文台きたすばるの丘に立ったとき、
ふと不思議な感覚になった。
南の島の湿った風のなか、むりかぶし望遠鏡を見上げていた。
それが今は、雪に覆われた道北の丘の上に立っている。
石垣島から名寄。
距離にしておよそ3200km。
日本列島をほぼ縦断する距離を、
わずか一週間ほどで移動してきたことになる。
南の星空から北の雪原へ。
この対比こそが、3200キロ天文台スタンプラリーの醍醐味なのかもしれない。

先週まで石垣島にいたことが、少し不思議に思えた。
木原天文台からきたすばるへ
名寄の天文文化の始まりは、木原天文台にある。
木原天文台は、天文愛好家である木原秀雄氏が設立した私設天文台だった。
道北の澄んだ空に魅せられ、自らの資金と情熱で望遠鏡を据えたのである。
都市部から遠く離れた名寄。
光害が少なく、冬は晴天率が高い。
冬は厳しい寒さに包まれるが、その分空気は澄み、
星が鋭く輝く。
やがてその天文台は市へ寄贈され、名寄市立木原天文台となり、さらに現在の「なよろ市立天文台きたすばる」へと発展した。
個人の情熱から始まった場所が、いまは国内有数の公開天文台へと成長している。
名前や姿は変わっても、空を見上げる場所であることに変わりはない。

個人の情熱から始まった歴史が、いまのきたすばるへとつながっている。
ピリカ望遠鏡
きたすばるの主役は、口径1.6メートルの反射望遠鏡「ピリカ望遠鏡」だ。
石垣島天文台のむりかぶし望遠鏡が105cmなので、数字のうえでも一回り以上大きい。
観測ドームの中でその巨大な鏡筒を見上げたとき、自然と先週の石垣島を思い出した。
南のむりかぶし望遠鏡から、北のピリカ望遠鏡へ。
わずか一週間で、日本の南北にある“星の拠点”を訪れたことになる。

有効口径1.6メートルを誇る、国内有数の公開天文台の望遠鏡だ。
第二章 北の空の観測
一人だけの見学者
当日昼の見学者は私一人だった。
石垣島天文台でスタンプを押してから来たことを伝えると、
スタッフは少し驚いた様子だった。
「先週、石垣島ですか?」
自分でも少し可笑しくなる。
南の島から北の道北まで、一週間で来る人はそう多くないのだろう。
しかし最近は、この3200km天文台スタンプラリーの参加者も増えているという。
南と北、まったく異なる空を一つの旅で結ぶ企画として、たしかに印象に残る。
昼の金星観測
午後になると雲が出始めたが、
ただ一人の来訪者のために昼の天文観測を準備してくれた。
観測棟の屋根が開き、スタッフの方が
きたてらす望遠鏡(50cm反射式望遠鏡)を動かして金星観測を行う。
日中の天体観測は初めての経験だった。
雲が多く、なかなか像をとらえられないが、
それでも視野の中に浮かぶ金星が見えた。

昼の観測では太陽光に注意しなければならない。
なかなか個人でできるものではない。夜とは違う、静かな観測だ。
昼の観測では太陽光への細心の注意が必要で、個人で気軽にできるものではない。
だからこそ、天文台で体験できたことに意味がある。

明るい空の下で金星を追う、夜とはまったく違う観測体験だった。
さらに、ピリカ望遠鏡の主鏡も見学させてもらった。
むりかぶし望遠鏡より一回り大きい鏡面には、やはり迫力がある。
直径1.6メートルの主鏡は、公開天文台としては国内でも屈指の大きさだという。
夜の公開日に来れば、実際にこの望遠鏡で星を見ることもできる。
研究用の装置としてだけでなく、一般の来館者が宇宙に触れるための望遠鏡でもあるのだ。
プラネタリウム貸切
きたすばるには立派なプラネタリウムもある。
当日は他に来場する見学客もおらず、
上映時間になったが観客は私一人だった。
するとスタッフが言った。
「好きな番組を選んでください」
まさかの貸切上映である。
ドームいっぱいに広がる星空を見ながら、先週見上げた石垣島の夜空を思い出していた。
南の星と北の星。
その両方を実際に見たあとで体験するプラネタリウムは、少し特別な時間だった。
ここで館内に掲示されていた地図パネルを見ると、この旅がいかに大きな移動だったかが改めて実感できる。
石垣島と名寄。
南北に大きく離れた二つの天文台を、一冊のスタンプ帳が結びつけていた。

地図で見ると、この旅のスケールがよく分かる。
第三章 3200kmの帰路
サロベツ4号
なよろ市街地へ戻り、レンタカーを返却する。目指すのは、15時50分発の特急サロベツ4号。
これを逃すと、旭川方面への移動は一気に厳しくなる。
冬の道北では、一本の列車を逃す重みが本州よりもずっと大きい。
列車は宗谷本線を南へ走り出した。
宗谷ラッセル

サロベツ4号は和寒駅に停車した。
そして反対側の線路に、赤い重厚な車両が見えた。
雪を押し分けるようなその姿は、まさにラッセル車だった。
宗谷本線の冬を守ってきた除雪列車、いわゆる「宗谷ラッセル」である。
北海道の鉄道は、冬になると大量の雪との戦いになる。
そのため各路線には除雪用車両が配置されている。
宗谷本線で長く活躍してきたのは、DE15形ディーゼル機関車をベースにしたラッセル車だ。
巨大な排雪翼で雪を左右にかき分けながら進むその姿は、北海道の鉄道の冬そのものだと言っていい。
観光列車でも、イベント列車でもない。
冬の鉄道を守るための実務の列車。
だからこそ、車窓から出会えたことが少し特別に思えた。

冬の鉄道を守るために働く、北海道らしい風景だった。
キマロキ編成
今回の目的地である名寄といえば、鉄道ファンには除雪列車の街としても知られている。
ここには、かつて活躍したキマロキ編成が保存されている。
キマロキとは、
キ 機関車
マ マックレー車
ロ ロータリー車
キ 機関車
という編成略称だ。
豪雪地帯の北海道では、こうした大型除雪編成が必要だった時代があった。
名寄に保存されるキマロキ編成は、宗谷本線をはじめとする道北の鉄道除雪の歴史を伝える存在でもある。
そして現在この編成は
名寄市北国博物館前に保存展示されている。
参考
世代交代 ― キヤ291
近年、この風景にも変化が起きている。
老朽化したDE15形の後継として投入されたのが、キヤ291形除雪車だ。
従来の「機関車+除雪装置」という姿から、より新しい除雪車両へと世代交代が進みつつある。
和寒駅で見たあの車両も、北海道の鉄道が変わりゆく途中にあることを感じさせる光景だった。
南の島から北の雪原へ。
星を追う旅の途中で、北海道の鉄道を支えるもう一つの主役に出会った瞬間でもあった。
終章 3200km完結
旭川に到着し、駅ナカの食堂で醤油チャーシュー麺をすすった。
冷えた体に熱いスープがしみる。

体が温まったところで、特急ライラックに乗り換えて札幌へ向かう。
宿に戻ったとき、改めて思った。
先週は石垣島にいた。
南の島の星空から、北緯44度の雪原へ。
その距離は3200km。
スタンプ帳に並ぶ二つの印影は、日本列島の広さを実感させる証だった。
こうして、3200km天文台スタンプラリーは完結した。

