銀蛇謳海~27~水府の離宮
「なんでこんな目にあうんだー。見るな! こっちを見るなぁぁぁ!」
『竜宮』の上空、といいますか都を眼下に見る海中で騒ぎたてているのは夜礼です。
いつもまったりとしか話さない彼が混乱しながら大声を出すにはそれ相応の理由があるはずですが、海若も瀬織津姫も気にかけるそぶりは見せません。
家出をする時はこっそりと出てきた海若ですが、水晶宮に戻る時はうってかわって凱旋パレードのような大仰さです。
「綿津見さまだ! 見ろ、綿津見さまが水晶宮へ入られる」
「あの若さまが、我らの王か?」
「なんと眩しい風采だ。今度のお姿は随分とお若い」
都の神や人々は頭上を飛ぶように泳ぐ竜を仰ぎ見ます。その竜というのは海若が”波の獣”の姿を変えたものでした。それが右へ左へ、上へ下へ蛇行しながらゆっくりとお城を目指して進んでいます。
道中、夜礼は“道”をつくって自分で移動していましたが、『竜宮』へ入るなり海若が有無を言わさず竜の上に引っ張りあげたのです。
するとどうなったでしょう。竜のたてがみを軽く握った楚々とした風情の瀬織津姫には注目が集まります。人々が、中でも男神達が尋常ではない熱い眼差しで女神のたなびく黒髪や端正な横顔を注視しています。その彼女の後ろに見たことのない黒衣の神がいるのです。
「あれは誰だ?」
「知らない顔だ。どこから来た神だ」
視線はいやおうなく夜礼にも集まります。数百年、誰ともろくに関わってこなかった神嫌いの彼にです。それはなんとも耐えがたく、できることなら竜から飛び降りてどこかに隠れてしまいほどの苦痛です。
「来たくなかった! ほんとうは俺は来たくなかったんだぁぁぁ! 帰してくれー!」
「もう遅いよ、夜礼。これまでの礼がしたいのだ。ほら、『竜宮』を目に焼き付けろ」
海若が振り返って声をかけますが、彼の目に飛び込んでくるのは神、神、神、時々竜人竜女の無数の目です。目眩を感じます。夜礼の頭は大混乱に陥ってしまいました。
竜が身をくねらせた時、夜礼はとっさに目の前のものにしがみつきました。目の前のものとは瀬織津姫の背中です。手は震え、動悸までしてきた彼はもう上も下も分からなくなってそのまま何かにしがみついていました。
そうなると黙っていないのは下の神々です。
「おい! あいつ何を恥知らずな真似を!」
「う、うらやましい………ではなくて、けしからん!」
「ええい、どこの神か知らんが叩き斬ってやる」
ただの視線ではなく憎悪の視線を一身に浴びて、それでも自分がどういう姿なのか知らぬまま彼らを乗せた竜は水晶宮の露台の上に降り立ちました。
「そろそろお離しください」
瀬織津姫の冷たい声で夜礼は我に帰りました。なぜ自分が姫の腰に手を回しているのか不思議に思いながらもあわてて手を退けました。
「邪恋の者ともなるとさすがに手慣れているのですね」
姫の棘でできた言葉にもすぐに反応できません。
「………ん? じゃれん? なんの話だ………?」
瀬織津姫はさっと手をあげると、夜礼が抱え込んでいた背中に水のきらめきが流れて消えました。
「え? 今、清めた?」
すっかり汚いもの扱いをされ夜礼もへこみますが、非があるのは自分なので謝ります。
そんな二神を尻目に海若は建物の奥へと足を運びました。慌ただしく動き回る大工達が造っているのは新しい離宮のようでした。
水晶宮は水と光の織りなす美しさを極めた建物でしたが、この離宮には窓がひとつもありません。岩石を積み上げ屋根は葉状珊瑚をいくつも重ねたような外観でした。趣向を変えた造りと言って済ますには、扉の外にも内にも備えられた太い関貫がものものしさを放っています。
大事なものをしまう場所なのでしょうか。いえ、ここに住むのは海若です。影を解ける暗がりと、何があっても出ることも入ることもできない扉を備えた離宮です。
「急拵えにしては上出来ではないか」
水晶宮の万事を取り仕切る泡那芸神が、それを聞いてうやうやしく頭を下げました。
穏やかな好好爺然とした風貌の神ですが、ピシッと伸びた背やふくよかな顔のツヤの良さをみれば、さほど年寄りではなさそうです。
後からやってきた瀬織津姫と夜礼も海若について中に入りました。抜かりなく離宮の手配をしていたのだと、夜礼はここに来て初めて知ることとなりました。
「海月燈がいるな」
真っ暗な内部に目が慣れるより先に、くすくすと笑いながら海若は言います。
「じゃあ、俺が取ってきますよ。ものはイラサメたちに持たせて“道”に乗せるから、すぐだ」
「なぜさ? 夜礼は『竜宮』に来たばかりだろ。ゆっくりしていきなよ。チビどもは後で迎えに行かせるよ」
「いや、もう都見物は十分だ。………帰らせてくれ…………」
夜礼はげっそりとした声で言いました。
イサラメたちを置いてきたのは夜礼の方策でした。彼女たちがお城に来たら最後、決して帰ろうとはいわないでしょう。必然、夜礼も引き止められます。彼は上京には全く乗り気ではなく最速で帰りたいのです。
連れてきて粘られるより『中津海』の気心知れた人魚に遊びに連れ出してもらい、程よいところで双子を心配して帰宅するという筋書きでした。口実はなんでもよいのです。
そんな夜礼の気持ち知ってか知らでか海若は苦笑いし、泡那芸神に海月燈のクラゲを捕まえるように指示しました。
泡那芸神は離宮の扉を少し開けたままそこを離れましたが、中に海若たちがいることに気づかない大工の弟子のこんな声が差し込まれました。
「今夜には完成だな」
「そうだな。今回は随分こき使われたぜ」
「ははは。何にしても立派な牢獄なこった」
「何が牢獄だ。海神さまのご寝所だろう」
「どう見ても牢獄さ」
瀬織津姫が厳しい顔で出て行こうとするのを海若が首を振って止めました。
「『竜宮』は隠してるけど人の口に戸は立たないぜ。衛士が綿津見さまに食われたんだろう。だから出てこれないようにするための、牢だ」
夜礼は海若の顔を盗み見ましたが影になってよくわかりません。僅かに口角を上げているのが本心を隠しているようにも見えました。
「それに」
「おい、まだあるのかよ」
「だっておまえ、俺たちだけじゃなくて神々の間でも囁かれているんだぜ」
「それ、あれだろう………『下海』の気を纏ってるってやつだろう」
「そう。だから『黄泉』から戻った海神はほんとうの海神なのかってね…………」
海若から笑みが消え関貫の棒が音を立てて落ちました。
続く
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