「ヒルコのうた」と幕間コラム⑧
ヒルコのうた
ぼーくのしんぞおが
いーきることをやめる
ことができなくても
ことができなくても
もおうーいいよー
ぼーくはただよおう
うーみはひろすぎて
くわれかけたり
のまれかけたり
さんーざーんさー
これからね ぼくはね またながれていくよ
これからね ぼくがね みたものをみんな
きーみに はなしたいな
きーみに おしえたいな
またあおう
またあおう
このばしょで
長編連載・神話系ファンタジー小説『銀蛇謳海』より
本編はこちらです↓

幕間コラム⑧ヒルコと恵比寿
ヒルコとは不完全な“何か”である。
捨てられた子である。
イザナギとイザナミの間に誕生するが、「わが生める子良くあらず」(古事記)と言われ葦船に乗せられ流されてしまう。日本書紀でも三歳になっても脚がたたず、同様の末路をたどる。
記紀の記載は以上。
さて面白いのはこのヒルコが流れ着いたという伝承が各地に残っていることだ。
やがてヒルコは七福神の“恵比寿”と同一視されるようになった。
神話という素っ頓狂な世界観の中でもヒルコは特異な存在だ。
ヒルコという存在は不気味さや忌まわしさ、憐れさや悲哀、恐ろしさや奇異を感じさせる。
蛭子、水蛭子、蛭児という表記にしても忌み子っぽい。
それが転じて福の神となるのは、なんとも気前がいいではないか。
「あいつ死後祟るから神にして祀っとこ(例:菅原道真)」の精神もあるだろうが、なんというか「捨ててはおけん」みたいな思いも感じる。
怖そうだからといって悪鬼妖怪の類いにするのではなく福の神としてありがたがる。
どんな悪そうなやつでも、よってたかって「ありがたいやーありがたやー」と言われれば、良いことのひとつもしたくなるだろう、という小狡さも微笑ましい。
海の向こうから宝船に乗って恵比寿となって戻ってくるヒルコ。
不遇なものには幸せになってほしい、ついでにお裾分けもほしいというちゃっかり精神が、日本人と神さまのかわいい関係なのだろう。
「ヒルコのうた」はtaelsの方の『銀蛇謳海』26話に作中詩として載せていたものの抜粋です。
海に流されたなら綿津見神に遭うだろなぁ。
それで『竜宮』を出た後は世界中の海を漂ってるんだろうなぁ。
でも最初のぼっち流浪とは違って、「今度綿津見にあったらこんな物を見た、あんなことがあった」って話そうって考えてるのかもなぁ。
ついでにお土産もしこたま集めて、気がついたら福の神なってた……
かも、って思います。
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