銀蛇謳海~40~健御雷神と八雷
長いこと屋敷を留守にしていた主が戻って来たかと思えば、何かを探してあちらこちらを引っ掻き回して散らかすので、家僕のタカアシガニたちはにわかに忙しく動き始めました。
「どっかにあったと思うんだよなー」
そうぼやきながら夜礼がようやく寝台の下から見つけ出したのは刀剣でした。
身幅が細く切先が大袈裟に湾曲したそれは実用品というより装飾の色が濃そうです。しかも錆びついています。
無造作に寝台の上に投げ置いたのを蟹達がシゲシゲと見る横で、今度は髪を解きました。
海藻のように揺れる髪は微細な海流の変化を感じとります。いつなんどき『海境』が開いても夜礼には分かるのです。
蟹達はいつもと違う主の姿にそわそわしましたが、夜礼はそのままゴロンと横になってしまいました。
水中に解かれた長い髪は寝床の天井目指して揺れています。数日の間そうしていましたので、蟹達は見慣れた怠惰な主であることに変わりなし、といった態度に戻りました。
それがある日、むくりと起き上がるといつもの紐で髪をぐるぐると巻きなおして、刀剣を佩いて屋敷を後にしました。
それが蟹達が主を見送った最後になりました。
そして開かれた『海境』、ここから先は海の神々の国という境界線の上に降り立ったのは健御雷神というたいそう屈強な神さまでした。
『高天ヶ原』から沫那芸神の求めに応じてやって来た彼は、自分が選ばれた理由をこう心得ていました。
『真海』を治める綿津見は『黄泉』との取引きに際し邪神の色が濃くなった。無辜の者を手にかける残忍な神である。
その体を割いて、一方は滅びを目前にした『竜宮』の礎にもう一方はその守護者とする。つまり強制的に荒御魂と和御霊に分けることによって『真海』の安寧を図る。
では誰が海の王である綿津見を二つに分けることができるのか?それが自分であると健御雷は自負しております。
沫那芸神は『真海』の神々の力を依って集めて纜を造り、彼に託しました。
纜とは舟を繋ぐ縄なのですが、持たされたものは短くて太くずしりとした重さがあります。綿津見の体をその纜ごと裂けば、見事魂は二つに分かれるという仕掛けなのです。
ー並み居る神々に嫌われるとは綿津見も地に落ちたものだ。しかし腐っても海神。手合わせがかなうとは楽しみなことだ…………。
甲冑を纏った彼は海中に至り、体の感触を確かめ、獅子毛のように荒れくれる豊かな髪を整えました。
さて行こうとしたとき、目の前に気配なく真っ黒な衣の神が現れました。全身が黒いのに瞳だけが赤いものですから、海の底の奇妙な生き物にでもであったような気持ちになりました。
「………」
「…………………」
正面から見つめあっても黒い神ー夜礼は何も言いません。痺れを切らした健御雷が、
「なんだお前は。案内でもしてくれるのか」
と聞けば夜礼はハッとした顔になって、
「はいはい。案内いたします」
と先に立って進み始めました。
ーやばいのが来てるじゃないか。俺でも知ってるぞ、雷神健御雷だ。よりによってこんな好戦的な神をよこすんじゃない。とっとと帰ってもらおう…………。
すいすいと彼は進み『海境』の外へ健御雷を連れ出すと、
「お帰りはこちらです」
と言いました。
それが気に入らなかった健御雷は無言のまま青筋を立てると、強引に進もうとしましたが海流の壁に阻まれて境界の向こうへ行くことができません。
「ふざけたやつだ。我なぜ『高天ヶ原』から出向いたか知らぬのか、………いや知っているからの振る舞いか。ふん、名を名乗れ!」
「いやですよ。名前なんか教えたら後で仕返しされたら困るので」
「愚弄する気か。仕返しだと? 今ここで終いにしてやるぞ」
「ひとつだけ言わせてください。沫那芸が何を言ったか知らないが、綿津見は海を治めるに最も相応しい神だ。彼がこの海を満たす者だ。帰ってほしい。『高天ヶ原』が関わる件ではない」
「………なるほど忠実な下僕というやつか」
「………………違います」
健御雷はおもむろに背負っていた大剣を抜くと、行く手を阻む海流の流れを断ち切ろうと大きく振るいました。
それを防ごうと夜礼は腰の剣を抜いたのですが、勢いに負けて剣は手から離れていってしまいました。
そのあまりにも要領を得ない動きに健御雷は失笑しました。
「剣のひとつもまともに扱えぬのか。天都比古禰命はたいそうな使い手だったのに綿津見にはもうこんな者しか残っていないのか」
「………………」
その時、健御雷の背面左下から弾かれた剣が飛んできました。すんでのところでかわすと剣は速度を増して今度は脳天へ降下してきました。まるでイルカです。籠手で弾きとばすと、剣は生きているように向きを変え、なおも甲冑の隙間を狙って襲ってきます。
「剣はまともに扱えませんが、水流の方は、ね。こういうのは邪道って言われるのでしょうけど」
夜礼の指の動きに合わせ、水は剣を運びます。見えない糸で結ばれたようにその動きは微細に調整され、さらに健御雷の足元に起こした小さな渦潮のせいで彼は動きが取れなくなっていました。
「……少しはやるようだな」
「褒めてもらえて嬉しんですけど、帰って下さい」
夜礼の剣は錆びていましたので、一二度切りつけたところで深くすっぱりと切れることはありませんでしたが、押されているのは明らかに健御雷です。
「さあ、帰ると言ってくれたら帰しますから」
剣は先程抉った甲冑の隙間ー剥き出しになった腹を狙って海中にとどまっています。大剣を構えたまま腕の動きまで封じられた健御雷は厳しい目で夜礼を睨みつけました。
その時、開いたままになっていた『海境』から何かが飛び込んできました。ひとりではありません。もつれあうように神が八柱も現れたのです。
「押すなよ!」
「押したのはそっちだろう」
「おいあれが綿津見か?」
「違うだろう、綿津見ってのは身の丈8尺あるっていうんだから」
「それも違うだろう」
「じゃああの黒い奴はなんだ?」
よく似た八つの顔が一斉に夜礼を取り囲みました。
彼らは八雷ーそれぞれに名前がありますがここでは合わせて八雷としましょうーもまた雷神でした。
神さまでしたがその出自は黄泉で朽ちていく伊奘冉の体から発したこともあり、手足は痩せこけて長く、目ばかりギョロギョロとし蜘蛛を思わせるような異様な雰囲気を漂わせていました。
夜礼がたじろいだ隙に健御雷は体勢を整えると、夜礼を囲んで奇妙な動きをしている神達に叫びました。
「どうしておまえら八雷まで来たんだ」
「どうしてって、だんなぁ」
「雷神さまをお呼びなんだろう」
「俺たちだって雷神だ!」
「綿津見が黄泉に取り込まれそうなんだろ」
「そういう方面なら俺たちお得意だからね」
「お役に立てるぜ、健御雷!」
「ケヒヒヒヒ………」
厄介なことになったなと夜礼は内心思いました
「…………役に立ちたいなら、その黒い神をどうにかしろ」
健御雷の言葉に16個の目に黄色い光が宿りました。
続く
九柱の雷神を相手に夜礼はどう出るのか?次回、『誰かひとりくらい』。いいなと思ったら応援しよう!
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