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楓荘の十二ヶ月<二月のポタージュ>

つーっと。
台所の窓をしずくが伝って落ちる。
コトコトと小気味よい音をたてるお鍋からは湯気がのぼって、ガラスを曇らせている。

江藤えり香が<楓荘>のこの部屋で気に入っているのは、台所に窓がついていることだ。
流し台の正面に横長にとられた出窓だ。
北向きで高い位置にあるため、見えるものといえば大家の敷地を囲む槙の垣根だけである。
しかもすりガラスなので外はぼんやりとした色彩でしかない。
ガラス自体も浮き彫りのモミジを散らせた昭和レトロなものだ。

それでも出窓というのは物置にちょうどよく、ザルや洗い物の定位置になっているし、すりガラスは祖父母の家を思い出させてほっとする。

お鍋の中のなんでもポタージュを教えてくれたのも祖母だった、気がする。
母だったような気もする。
大根のしっぽ、人参の皮、筋ばった蕪や萎びたじゃがいも、それからキャベツの芯と玉葱。
みんなまとめて鍋にいれてぐずぐずになって形がなくなるまで煮込む。

貧乏くさくて嫌だなぁ。

材料を見た時はそう思ったが、このペーストを牛乳でのばし、塩胡椒をふって、カリカリに焼いたトーストを砕いて入れたらあら不思議。
ご馳走スープが完成するのだ。
奥行きがあって毎回味が違うのもなんでもポタージュのいいところだ。

祖母も母もエコとか節約とかそうゆう感じではなかったな。

と、江藤えり香は当時を思い出してみる。
祖母も母も専業主婦で、えり香が地元の中堅企業へ就職が決まった時はとても喜んでくれた。
どんどん仕事にのめりこんでいくえり香におおいに呆れ、おおいに心配していた母はもういない。

父の浮気が発覚し、紆余曲折あった後母は出奔した。
その時、母を探さなかった父をえり香は許すことができないし、以来顔も合わせず、連絡は必要最低限だ。

母がどこかで死んでいるかもしれない。

これ以上怖いことはえり香にはなかった。
江藤えり香はひたすら仕事に没頭し、昼も夜もなく働いた。
スケジュールと頭を仕事でいっぱいにして、不安が入りこむ隙を塗り込めた。

祖母の葬式に母はちらりと姿を見せた。住む人のいなくなった祖父母の家は人手に渡ることになった。
すりガラスの向こうにいた喪服姿の母は、懐かしそうに庭から家を眺めていたが、それっきりまたいなくなった。
その時の母の姿がなんとも寂しくて、えり香は母親のために家を買おうと思ったのだ。

貯金が八桁に届く頃、母親から連絡があった。
再婚するというのだ。
母が新しい人生を踏み出すなら祝福したかったが、ことは単純ではなかった。
どうやら父が浮気している頃からお相手とは関係があったらしい。

ばかにしてる!

江藤えり香はそれから夜の街で遊ぶようになった。
あられもないくらいの豪遊だった。
なにしろ稼ぎはあったのだ。
それでも貯金が底つくまでに三年とかからなかった。

禊ぎのように。

とえり香は思う。

徹底的に使い尽くしてようやく、えり香は静かな場所にきたように思う。
ようやく、大人になったのかもしれないとも。

ポタージュに塩を振る。
これも目分量だ。
かき混ぜているとちょうど窓の外を誰かが通りすぎた。

「ママー! いい匂いするよ!」

先月越してきた親子が通りかかったようだ。
元気な声にえり香の頬も緩む。

「ほーんとだ。いい匂いだねなおくん」

「なにつくってるなぁ? あ、わかったしちうだ! ママ! しちう!」

「シチューかな? 」

「おっきなお鍋でぐぐってるの! あーあなおくんも食べたいのに」

そんな声が通り抜けていく。
 
まぜてまぜて、火を止める。
すっかり温まった部屋の中にお鍋にたっぷりのポタージュ。






◻︎◻︎◻︎『楓荘の12ヶ月』は1話完結型の連載です。毎月1話更新です◻︎◻︎◻︎

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