楓荘の十二ヶ月<マフラー男の一月>
このアパートメントの気に入っているところは、近くに川が流れていることだ。
末松春輝はカーテンを全開にして、冬の西日をたっぷり部屋に満たす。二階の窓からは蛇行する川の一部が見える。
今日は一月だというのに昼間は暖房要らずの暖かさだった。
川沿いの畑に整列したキャベツはスーパーで見るのよりどっしりと大きく、外側の葉は濃い緑と紫だ。植物としての力強さを感じさせる。
畑の隅には実をたわわにつけた蜜柑の樹があって、暖かい土地のシンボルみたいに元気なオレンジ色だ。
「さてと」
末松春輝は上下黒いスエットに包まれた体を窓辺から引き離し、カーテンを閉める。
こうしておけば昼間の熱は日暮れ後しばらくしてもとどまってくれる。
帰宅した時、一人暮らしの部屋が暗いとわびしい。出かける時は灯をつけていくのが習慣になっていた。
スエットの上に高校生が着ていそうな濃紺のコート(実際、高校を卒業した弟のものを勝手にもらってきたものだ)を羽織り、タータンチェックのマフラーを無造作に巻きつけた。
あまりに無頓着な格好だと思うが、誰に会うわけでもない。いつものように川沿いを散歩してコンビニエンスストアに寄るだけだ。
末松春輝が住む<楓荘>はもともと住宅だったところを建て増しと改築を重ねたせいで、一風変わった造りになっていた。
玄関のドアを出るとすぐ外で、ポリカボーネの透明な屋根の下を数歩行くと、また室内に戻りそこから急な階段が続く。階段は木製で薄暗い。
トントンと音を立てて階段を下った先で、西野彩花と鉢合わせた。
西野彩花は小ぶりなエコバックとベーカリーイトウと印刷されたパン屋の紙袋を持っていた。
「あ、どうも」
と末松春輝は頭を下げた。
西野彩花も軽く会釈する。
それを完璧なそっけなさだと末松春輝は感心した。
必要以上に愛想よくもなければ、礼を欠いているとも思わせない。
平日も休日も関係なく部屋から出てこない何をしているか定かではない三十過ぎの男への、住人同士の挨拶としては完璧だ、と。
西野彩花が近くの大学の学生だということは知っていた。
<楓荘>で暮らしていると他の住人のことはそこはかとなく耳に入ってくるのだ。
自転車置き場と大家の家との間にある郵便受けの前に来ると、彼女の足音は階段に消えていった。
末松春輝は郵便受けを開けてみた。
A4サイズの茶封筒が一通。その場で開封すると男性向けのライフスタイル雑誌が一冊入っている。パラパラとめくる指は白黒ページで慎重になり、あるページで止まった。
紙面の大半は文字で埋まり、小さくイラストが添えられている。末松春輝は淡白な目つきでそのページを仔細に眺めていた。
<イラスト:魚骨>。
誰の目にもとまらないような小ささで添えられた文字は末松春輝のペンネームだ。
かつて大手の少年漫画誌でデビューした新人漫画家<魚骨>はもういない。
漫画が載らなくなってからは再びアシスタント生活に戻った。縁あって引き受けたイラスト稼業の方が漫画を描いていた年月より長くなった。
末松春輝はがさがさと雑誌を封筒の中に入れ小脇に抱えた。
重みはなかった。
しかしこれを持って散歩とコンビニにいく理由もなく、郵便受けの中に置いておこうと引き返した。
その時、郵便受けの脇にある宅配ボックス(大家の手作りのただの大きな木箱)を開けようとする人があることに気づいた。
チラリと目をやると向こうも同じタイミングで顔をあげた。
その人は西野彩花だった。
寸刻前にあった人物に、間を置かずして再度あう気まずさに動きがぎこちなくなった。
ーあれ? いや、そうか、さっきは荷物で手が塞がっていたからか。
一旦部屋に置いて宅配ボックスのものを取りに戻ってきたのだろう。
そうわかっても咄嗟にセリフは出てこない。
ーまた会いましたね、ではおかしいし………。いや喋らなくたって………。
とりあえずしたお辞儀は亀のようにぎこちなく首を突き出す形になった。
「素敵なマフラーですね」
突然のことに何を言われたのか分からなかった。
きょとんとした末松春輝に、彼女は自分の襟元を軽く触れてみせた。
「ああ」
と言って末松春輝は自分のタータンチェックのマフラーに触れた。
「ああ、ありがとうございます」
マフラーを買ったのは原稿料を初めてもらった日で、それはとても寒い日だった。
銀行でおろしたばかりのお金を持って、目についた店で値段を見ずに買ったのがこのマフラーだ。
漫画家<魚骨>の初めての買い物だった。
西野彩花はほんの少し恥ずかし気に目をそらしたが、きっちりと頭をさげて去っていった。
末松春輝は<楓荘>の敷地を出た。
ー素敵なマフラーですね。
西野彩花の言ったことを反芻する。
西野彩花がパン屋の袋を持っていた姿も思い出す。
川沿いを歩いて、今日はイトウベーカリーに寄ってみようと思った。
この時間なら割引になったパンも置いてあるかも知れない。
フードロス削減でイトウベーカリーと地球に貢献するのもよかろうと、末松春輝は歩き出した。
<楓荘ーかえでそうー>という古アパートの住人を1年かけて追っていくシリーズです。
毎月1話掲載の予定です。
ヘッダーの絵はフリーハンドで切り絵しました。
へにょへにょした感じがこのお話の雰囲気にあってるかな。
どうぞよろしくお願いします。

なにかわかるかな………
右下のはチャッカマンだよ
左上は上から見たスリッパ………
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読んでくれてありがとうございます。