銀蛇謳海~32~双子
天都比古禰と海若の手合わせが行われた翌日に夜礼は『真海』の端っこのわが家へと帰りつきました。
「「お帰りなさい」」
とイサラメたちが迎えましたが、すぐに海若と瀬織津姫がいないことにぶーぶーと文句を言い出しました。
『竜宮』は夜礼には眩し過ぎて疲れる場所でしたが、双子たちには是非見せてやりたいと思っていました。どこを切りとっても信じられないほどに美しい都。それに海若の“お家”はお城なのです。この狭い蟹だらけの屋敷とは全く違います。
あそこへ行けば双子がどれだけ驚き喜ぶか目に浮かぶようでした。それに不思議なことでしたが、海若は誰に褒められるよりイサラメたちの感嘆の声を喜んでいるようなのです。
ーここはひとつ、海若を驚かせてみよう。
彼には内緒で双子を『竜宮』へ行かせることを思い着きました。“道”を使えば二人だけでも迷わず着くでしょう。瀬織津姫にだけ文で知らせ、『竜宮』へ入ってから海若の元まで連れて行ってくれる手筈にすれば完璧です。
その提案には双子は大喜びでした。
翌日、海月燈用の海月を壺に詰めて持たせると、“道”を『竜宮』へと通しました。
「行ってくるね」
「イサラメがいなくても夜礼はお利口でお留守番するんだよ」
「蟹をいじめないようにね」
「脚、すぐ取れちゃうからね」
どこで覚えたのか一通り注意をうながすと双子は意気揚々と『竜宮』へ旅だっていきました。
久しぶりにひとりになった屋敷で夜礼は、寝台を独り占めしたのですが寝つきはそれほどよくありませんでした。
場所をかえましてこちらは『真海』に住まう神々の様子です。
天都比古禰と“新しい“綿津見の手合わせを観覧した神さまたちの反応はと言いますと、それほど芳しいものではありませんでした。
天都比古禰の素晴らしい剣技や未熟ながらも工夫に満ちた海若の立ち回りは好評なのです。何より若い海神は惚れ惚れするような美しさですから、見せ物としてはむしろ成功だったといえましょう。
ですがいちばんの関心ごとである『竜宮』の安寧につながるものを見いだせたのでしょうか。気の遠くなるような星霜を治めた綿津見の、あの誰もが知っている落ち着きと威厳はそこにはありませんでした。
勝敗でいえば海若の勝ちですが、それは追い詰められた鼠が猫を噛むようなもの。何か憑かれたような執拗さで天都比古禰を追い詰めるさまは、一抹の不気味ささえ孕んでいました。
瀬織津姫があのタイミングで出ていかなければ、彼は天都比古禰を縊っていたのではないかと言う神さまもいるくらいでした。
「のうのう磯螺どの」
と沫那芸神が亀の上にちょこなんと座った老神にたずねました。
水晶宮を取り仕切る沫那芸ですが、わけあって磯螺の散歩に付き合っています。
「わたしゃ綿津見どのの気配がすっかり変わってしまったことに驚いているのだが………」
「気配とな」
「臭うのですよ………その……『下海』の匂いと同じものが」
「ほっほっほ」
「磯螺どの笑いごとでなくて。あなたは彼を生まれ変わった時、いやその前から見てらっしゃる。クラゲの姿の頃、『下海』に落ちたりはしてないでしょうか?」
海で起こること全てを“見る”磯螺でなければ分からないことですが、返事は「ない」でした。
「わかりませんなぁ。どうして夜な夜な衛士を手にかけ、果ては真っ暗な離宮に篭られるのか。いったい、何が彼を変えてしまったのか………」
亀は磯螺を乗せゆうゆうと進みます。
そこに天都比古禰が筒之男三神とともに通りかかりました。
「まあ天都比古禰命、お怪我の具合はどうですかな」
「治った」
「それはよかった。今、磯螺どのとおしゃべりをしていたところですがね」
「さようか」
「ああ行かないで! 天都比古禰命。貴殿は先代のお側にいて今の綿津見どののことも気にかけてらっしゃる」
「それがどうした?」
「だからうかがいたいのです」
「うむ」
「『黄泉』から戻られた綿津見は同じ綿津見なのでしょうか………」
「おっしゃっていることが分からないが」
足早に去ろうとする天都比古禰をよそに筒之男三神たちは、沫那芸神の言葉に食いつきます。
「それはわしらも思うとった!」
「わしもだ!」
「なんとわしも!」
「なんでああも若いんじゃ?」
「なんでいつまでも子どもなんじゃ?」
「それにじゃ、天都比古禰を痛めつけるわけも分からぬ」
「やはり底筒之男どのもそう思ってらっしゃったか」
沫那芸神は我が意を得たりとばかりに、先ほど磯螺にした話を繰り返して聞かせます。
「それは全て憶測だ。綿津見どのは強い。私は負けた。それは変わらん」
天都比古禰は痺れを切らして立ち去ろうとしました。
「まだ油を売るつもりなら私は先に城へ戻る。いいな、上筒之男、中筒之男、底筒之男」
無駄なお喋りは無用とばかりの態度ですが、同じ武闘神でも筒之男三神には言わんとすることがたくさんあるようです。
「天都比古禰、これは重々に議論の余地があることですぞ」
上筒之男が呼び止めましたが、彼は眉間の皺をいっそう深くしただけで行ってしまいました。
「あの方の頑固なところは変わりませんなぁ」
沫那芸神はほよほよと笑いました。
「ああは言っても先代の綿津見にいちばん固執しているのは天都比古禰じゃな」
と磯螺はいいます。
「なるほどそうかも知れん」
「わしもそう思う」
「わしもじゃ」
筒之男三神が続け様に同意すると沫那芸は目を細めました。
「まあ、天都比古禰命もおりませんので、重ねて気になることを……」
「なんでしょうか、沫那芸どの」
「『黄泉』と海神が結託したとしたら、この『竜宮』はどうなるとお思いですか。………いえ、たとえばの話ですよ、例えばの………」
天都比古禰は水晶宮へ向かい『竜宮』の通りを歩いていました。
体が大きいうえ威圧感のある神なので、皆が自然と道を開けます。
その彼の膝に何かがぶつかりました。見下ろせば小さな子どもがふたり、仰向けの同じ姿勢でひっくり返っています。
「童、大事はないか」
彼は左右の手でそれぞれ双子を引き起こしました。
「「大丈夫だよ、おじさん!」」
にこにこと返事したのは『竜宮』までたどりついたイサラメたちでした。天都比古禰は双子を見下ろしています。瓜二つの顔が珍しくただじっと見ていたのですが、表情は怒っているように見えてしまいます。
「おじさん?」
「おまえたちはどこかの神に仕えているものか?」
「ううん、遊びに来ただけ!」
「さっきここに着いたんだよ」
「そうか。手付かずの神饌なのだな」
「しんせん?」
「知らない」
「ねーウトゥ」
「ねーサナ」
くすくす笑いあう双子の愛らしさに彼は目を細めました。
ーこれほど無垢な人の子であれば、綿津見どのの邪の気を抑えられよう。しかも大変珍しい………この童、心の臓が右とは……これは稀なる供物だ。
天都比古禰は手を伸ばしウトゥの首に触れました。するとウトゥの体は淡く輝くとするすると丸くなっていくではありませんか。
「うあー!」
サナは驚いてウトゥと天都比古禰を交互に見ます。
「ねえ、ウトゥはなんで小さくなっちゃたの?」
「おまえたちはとても良きものだから、海神綿津見の剣に変えてやるのだよ」
続く
罪を犯したのは誰なのか………。悪しき夢が現実になる時、裁かれるべきは誰なのか?次回『無辜』。いいなと思ったら応援しよう!
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